67 RE:VENGE 2
「連絡はしておいた」
俺は父さんに近くの公衆電話から警察に連絡をしてくれないかとお願いした。今回、先に起きる事件そのものを阻止するために動くわけだが当然一般人に出来ることには限りがある。かといって事件発生前に警察が動いてくれるかと言ったら難しい話なのは仕方がない。なので、今回連絡した主な内容は塚本家に対する物言い。所謂クレームだ。子どもの鳴き声が頻繁にする、親の怒号が隣室まで響いてきてどうにかしてほしい、など。どうして公衆電話から掛けたのか、匿名でなのかと聞かれたときに、万が一でも自分が言ったことがバレたくないから一度調査をしてほしいと言ってだけ通話を終える。そうすれば下手にこちらの情報を開示しなくても変に怪しまれることもないだろうという浅知恵だ。
「そういった情報があったという事実があるだけで違うからね」
実際に交流がある人間には、その人となりを知られているわけだ。ただ、惜しいのが今やっている行為が抑止力としての効果は薄いということ。どちらかというと事件後に効力を発揮するものである。万が一やり直しが利かなかったときの保険に過ぎない。母親が居なくなった後のやりとりまでは知らないが、夫婦間にトラブルがあったと分かれば疑いの目が向けられ今後の人生好き放題しづらくなるだろう。
「あなたたちは仲が良さそうでいいな」
後部座席に乗ってきちんとシートベルトをしている田栗楓。
「ありがとう、そう見えているのなら安心した」
父さんは静かにエンジンを掛ける。
「…………」
「わたしの家はあまり親子で仲が良くない。ご飯もそれぞれがそれぞれ食べている。この話が一般家庭で語る普通とは遠い、おかしいと気付いたのはごく最近だ」
深くは聞かないほうがいいと思ったが、即座に自分で掘り下げてきた。田栗楓本人にとっては例え普通でもおかしなことでも語れるものなのかもしれない。
「麻衣は『うちもおかしいから同じだね』って笑ってくれた。だから今日も麻衣が約束を破るなんて何かあったに違いないとしか思えない」
極論、というか考え方がハチャメチャすぎるのは子ども故だろうか。いや、なんにしても何かは起きているのだから強ち否定もできない。むしこの場でこの子に出逢えたのは吉兆かもしれない。家族を置いて一番塚本麻衣に近い人物、田栗楓。
仲がいいのは単純に同じ学校に通っているからとか家が近所だとか、そういった感じではなくどうやら似たような境遇が彼女たちを引き合わせたというべきか。
あまりに複雑な家庭事情ならばこの子も救うべきだろうけれど、本人がそれを望まない限りは下手に動きようもない。勝手に考えを押し付けたらそれこそエゴだ。
「変わった境遇であれど、不遇ではない。普通だから幸せなんてことはない、人間には感情があるのだから環境も違って当たり前だ」
集団生活を送るうえで誰かに迷惑を掛けなければ、多少浮いていようが大丈夫だと俺は勝手に思っている。大衆と意見が割れて虐めなどが起きてしまうからみんな普通を演じようとしてしまう。
「俺も普通が一番だと思ってたよ。変に絡まれたりもしないし、良くも悪くも目立つのが好きじゃないからな」
だから知恵を使う。
普通を演じるために情報を集め、擬態する。
「けれど、普通を求めてしまっている時点で俺は普通じゃないってことに気付かされたね。俺の家族ってのは異様に仲良いし、父さんは家族を第一に考えすぎて空回りすることが多いし、母さんは惚気ることばっかだし、妹は裸族だし」
「え待って。沙希がなんだと?」
「で、俺に関しては自分で言うのもなんだ、顔はいいけどそれ以外はからっきしで宝の持ち腐れだし。愛とか恋とかもよくわからないままそれに振り回されてきたし、気付けない自分に苛立ちを隠せないまま、ズルしてこんなところまでやってきたし」
何を言っているんだこいつは、みたいな目で俺を見る楓に俺はふんっと鼻を鳴らす。当然、小学生に語るにはまだまだ早いし俺の精神だけで言えばとっくにおっさんくらいの時間は過ごしているしな。同じ小学生から出る知見ではないだろ。
「不幸自慢なら負けないぞ、だから麻衣も楓もみんな似たようなもんだ、気にすんな」
「親の前で不幸自慢など許すわけがないだろう。親不孝者が」
後ろを向く俺の頭を掴み、無理矢理前の方へ向かせる。手を放す間際、数回頭をくしゃくしゃに撫で、その手をハンドルへ戻す。
「…………」
まあ、子ども相手にムキになったところで仕方がない。精神的に成長が一番できていないと思う俺の意見なんて、話半分くらいに聞いてくれれば御の字だ。
「なあ、沙希は本当に、その、あれなのか? 一体いつから」
「……中学上がる少し前からだっけかな。ちょうど思春期の頃合いかぁ、ほぼ毎日1階と2階を裸で往復して」
「わかったありがとうこれから対応策を考える」
運転席に座る父さんの顔が、今までの人生で見た中で一番悲しそうに見えたことは胸中に仕舞っておこう。
冬休みは当然さむかった。だから春休みはぽかぽか陽気であたたかい日を過ごせると思った。
「お母さん、どこへいくの?」
わたしは、この質問を今日だけで何回お母さんにぶつけただろう。
「ふふ、だからなーいしょ。着いてからのおたのしみ」
お母さんは微笑みながら、同じ答えを繰り返す。何回も聞いているけれどお母さんの機嫌はずっと変わらない、嬉しそうだ。お父さんといない時、わたしと居る時は嬉しそうだ。
だからわたしも嬉しい。
今日は本当はかえでと遊ぶ約束をしていたのだけれど、途中それさえも忘れてしまうほど私は私とお母さん二人の時間を大切だと感じている。
かえでには帰ってから電話をして謝ろう。
約束を破ってしまったこと、何も言わず出掛けてしまったこと。心配をしているだろうから、今度お菓子をあげよう。
「そとさむそう」
ガラスの向こうの移り変わる景色に見惚れながらボソリと呟く。
幸いにもバスの中は暖房が効いていて暖かい。太陽の光も当たる席に座っているのでときどき眠くなっては、椅子に座り直す。
「着いたら起こすから、寝てていいよ」
お母さんの声を聴いて更に眠気が増した。
「いいよ、夜寝られなくなるから」
もっともらしい理由だけれど実際は違う。お母さんとの時間を少しでも永く過ごしたいからというのが本音。わたしは恥ずかしがり屋だから決して口にはしない。
寂しがり屋で恥ずかしがり屋なのがわたし。
ただ今は、寂しくもなく、恥ずかしくもない今の時間が最高に感じる。
この時が一生続くんだろうな。
「いつも、そう言いながら寝ちゃってるのよ」
「すぅ、すぅ」
少し鼻をすすり、この子が起きないように小さく身をよじり座り直す。
「ごめんね、こんな女が母親で」
別に私があの人を選んだことを間違いだなんて思っちゃいない。むしろ、こういう状況に陥る可能性の方が高かったと、そう思っていた。だけど私は奇跡というものに縋った。。
あの人が真っ直ぐでいてくれると信じた。
あの人だけが悪いわけじゃない。今のあの人を追い詰めている彼の家庭が悪い。
暴力の絶えない家庭で生まれ育った、非力なあなた。一度は私の手を取って私以外の全てを投げうったあなた。
義理の兄が組の構成員だった、それだけで壊される家庭もある。逆らえるわけもなく連れ戻されて、結婚という形は認められた。麻衣が生まれるまでは何度か自殺も考えた。逃げることも。
この子が生まれてからは、私の唯一生きる希望になり、また同時に足枷となった。
あの人も、私たち家族よりあの人の家族を選んだ。
賭けに負けたんだ。
いつか私は何もかもに耐えられなくなって、自分を見失う。
じゃあこの子は? 麻衣はどうなる?
私以外の誰がちゃんと育ててくれる?
私もこの子も、言わば組の所有物。間違いなく麻衣に一通りの幸せを与えてやれないことは明白。
無責任な私の自暴自棄。麻衣を、この子を産めば全てがうまくいくんじゃないかとあわよくば期待した。麻衣を憎んだこともある、この子さえいなければ、私一人でも逃げられるんじゃないか。
その考えが過った瞬間、私は母親であることをやめた。正確には母親と名乗る資格を失った。
そう。だから。
私はこの子を連れて逃げることにした。一緒に逃げるただの大人と子ども。いざというとき、他の誰に託してもいいと覚悟はした。ここより危険なところを私は知らない。だからこの子がこの先どんな人生を歩もうと、あの場所に居るよりはずっとマシだと思う。あそこには人間としての選択肢なんて与えてもらえない。
けど、もし追い付かれたら。麻衣だけでもと言いつつ逃げきれなくなったら。
迷わず麻衣とともに死を選ぼう。
だから、こんな考えをする人間が母親なわけがない。
「~~♪」
小さな鼻歌を口ずさむ。
今日は久々に気分がいい。
「宗次ぃ! てめぇの唯一の利点はその顔でいい女引っ掛けられっから使ってやってんのを、いい加減理解したらどうなんだ?」
苛立ちが収まらねぇ。
弟の宗次ときたら昔からどんくさいのなんのって、俺がいなきゃ今でもずっといじめられているような腰抜けが。さんざ助けてやった。なのに俺が好きだったあいつも、いいなと思った相手も、俺と繋がりのある女はみんなこぞって聞きやがる。
『ねぇ、宗次くんってどんな子が好みなのかな?』
その言葉を聞くたびに俺の中の自尊心は傷つけられる。その禁句を言った女をこれまで何人なぶってきたか。人の心を汲んでやれない女なんて物と同じだ。俺を利用しようとしてたんだろうが、そう簡単に許してやるものか。俺の傷付いた心に比べるとどんな扱いをしたところでそいつら自身が先に悪いことをしたんだからしょうがねぇよな。
「……ちっ」
嫌なことを思い出した。
宗次との電話を早々に切り上げ、支度をする。
「手の空いてるやつら集めろ、春のドぴんく花びら母子狩りの始まりだくそがっ」
「わかりました」
部下が部屋を出ていったのを見て溜息を吐く。
オンナ使ってると嫁に怪しまれっから都合よく長期休みだけにって、こちとら我慢してやってんのを調子づきやがって。予定してたよりもだいぶ早かったが、もし見つけたら泣かしまくってやんよ。
渇いた唇をに湿り気を与えるため、舌なめずりをする。
あの女も上玉だが、その子どもがとくに顔立ちがいい。早いうちに箔付けてもいいだろう。なんならウリを始めてもかなり儲かるかもしれないな。
「待ってるのも飽きたな、俺もドライブがてら動くか」
事務所を出て階段を下りる。
年々軽々と動いていた脚の筋肉も衰えてきているのか、たまに痛みを引き起こしたりする。一方的な暴力を振るう分には慣れているが、この歳で喧嘩紛いなことなど不必要に考えなくなっている。下っ端が舞台を用意して俺は俺としての仕事をしていられりゃそれでいい。頭の悪い奴が金儲けするには、実力を見せなければならない。役回りを演じきれるやつが、甘い汁をすすることができる。
「栄養も摂りすぎれば毒だなこりゃ」
高級車も手に入れてしまえば、途端に醒める。俺は偽物だった。本当にこんな生活に憧れていたのかと……、そう感じるときもある。今更やめるつもりなんてない。ただ、好き勝手に生きてきたツケの回収に追われ始めている気がする。小さな工場に勤めてたときにゃ、こんな車乗り回すなんて思いつきもしない。生き残るために長い物に巻かれ、利用し、拡大していけばあとは俺の意思とは関係ないところまで動いている。土地や建物あつかったところで、定期的に金が入るのはやっぱ女だ。いい女には誰だって金を掛ける。確実に手に入るものには値段が決められちまっている、面白くねぇ。が、人間には無限の可能性がある。怨恨も産まれるが、見返りの方が確実にでかい。
「友情はかけがえない、愛情は金にはなる」
こんな考えを持つ俺が既婚者だってんだから、笑えるよ。
運転しながら左手薬指のソレをちらと見る。
「似合わねぇよな」
ズボンのポケットから伝わる振動に気付かない俺は、僅かながらのドライブを楽しんだあと、進路を大きく変えることになる。




