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Re Day toーリデイトー  作者: 荒渠千峰
Date.3 最悪の教祖
45/68

44 桜の樹液

「ぐ」


ぼんやりとした視界。薄暗い。

独特なにおい。少し煙たい感じ。

そして動かないからだ。

柱を背に座らされていた。そして手は上に上がった状態。ロープで両手を縛られていた。


「…………」


きつい。ま、当然かな。

少し無理をすればどうにか抜けられそうな感じ。素人目で見ても、する方も素人感が否めなかった。けど、たぶん私の方が少し玄人だとは思う。

そしてこの感覚、あの頃のトラウマが再び蘇りそうになっている。わかっていても止められない、そんな不安ん、焦燥、脱力感。


「お目覚めかな、麻衣ちゃん」


すぐ目の前には事務員の男が立っていた。

しかしどうにも薄暗い。

明らかに室内だということは分かる。唯一と言ってもいい存在感のある窓はあったものの侵入防止の格子が施されていた。埃っぽいような、しかし鼻孔をくすぐるような別の臭い。グラウンドでラインを引くあの白い粉だ。

つまりここは体育倉庫だ。

しかも最悪なことに数年前、別の場所に体育倉庫を新設しているのでここはひと気のない旧体育倉庫だと思われた。見渡しただけで体育倉庫というのが分かるのに、放課後という運動部が出入りすること間違いなしの体育倉庫をわざわざ選ぶ馬鹿がどこにいるだろうか。

つまりひと気のないところに私は拉致された。

放課後にどうやって人目につかない方法でこんなところまで人間を一人運び込めたのか、気になるところではあるけれど、今は些細な問題でしかないのかもしれない。


「わかってるんですか? こんなことして、人生終わりますよ?」

「わかってないのはお前だ!!」


煽ってみる、というのもこの男がどういう人間か知らないので怒りの沸点というのを探ってみようとしたのだけれど、逆上した。

成程、大声を出してもこの男にとって問題はないのか。

というのもそもそもグラウンドの端に作られていた旧体育倉庫は部活動の準備場所、また片付けなどに要する時間や経年劣化もあって作り直された節があった。

特別な理由以外で旧体育倉庫に近付く人間がいないとなると、今のところ助けは見込めそうにない。


「マセガキが、どうせごっこ遊びだろうが! 俺がどれだけお前に時間を割いたと思ってやがるっ。クソビッチが!!」


とんだ勘違いをされたものだと心底嫌気と吐き気が催される。

逆にこういう勘違いができるからこそ、蛮行に及ぶことが可能なのか。どちらにせよ人とは良くわからない生き物なのだと痛烈に感じた。

大声で怒鳴り散らすも、傷をつけようとはしない。誘拐紛いなことをしたのにも理由がなくてはやらないだろう。自暴自棄になって、身代金を要求するとか明確な理由がハッキリしてくれたほうがまた気持ちが晴れるけれど。

教職ではないにしてもそこそこ給料がいいはずだ。それをバレたら一瞬で水の泡、どころか社会的地位のどん底に落ちてしまうだろう愚かにもそんな行動をしてしまったこの男は、何を求めるのだろう。


「は、はは。麻衣ちゃんが誰のものなのか、きっちりと教えてやらないと」


過去にも似たようなことを言う奴がいた。

その男はどうなったっけ。間接的に私の駒になっているのかな。

とにかく、問題は今のところはない。私はそう判断した。

ただ頭の中では別のことを考えていた。

事務員の男は、身動きの取れない私の上にまたがった。膝から下が抑えつけられ、もがくこともできない。くそ、距離が近いなぁ。


「や、やめてください……」


怯えたふりをしてみる。

そこから先の反応で、またこの男の人間性を探ろうという魂胆。まあ、言ったところでむしろそこでやめてしまうバカもいないだろうけどね。


「いいや、もう君は俺のものだ。だからどうするかは俺の勝手なんだよ」


普段から小心者でいるこの男はたがが外れると歯止めが効かない。そうすると動きを封じた、いわば自身より下に見ている相手の話も聞く耳は持たず。

髪の毛を触られ、頬をなぞられる。怯える様に俯いて視線を合わせないようにする。視線を合わせたくないのは本当のことなので演技は必要ないか。

上から下へと指を滑らせ、ついに服の上から胸を触られる。


「誰かのモノになる前に俺が君の初めてになってあげるよ」


残念至極だけれど、別に初めてというわけじゃないんだよね。

なんてことは誰に言えるでもなく心内に留めて、というか今すぐにでも忘れたいトラウマなのだけれど、それでも私はきっと怨嗟のように縛られ忘れることはないのだと思う。今の私を創りあげた根っこの部分なのだから。

そう、私は絶望なんかしていない。地獄には落とされたかもしれないけれど、それでも感謝をしている。地獄に仏、地獄を知ったからこそ他の尊さを学べた。かけがえのないものを見つけることができた。だから私は今のこの状況でさえも、鬱陶しく思ったりはしたものの恨んだりはしない。

恨みは晴らしてこそ、初めて恨んでいたと心から思えるのだ。


「く……うぅ」


男にされるがまま、私は顔を背けて歯を食いしばる。

ゆっくり、ボタン止めされているリボンを外され、シャツのボタンを上から外していく。男の息が荒々しく五月蠅い。あからさまに興奮しているのが見なくても分かる。

されるがまま、気持ちが悪い。

でも、本当ならこういった行為は男女ともに気持ちよくなるためのものだと思っていたけれど、今はそういった感情は一切芽生えない。

このひとのことを何とも思っていないから、気持ちよくないのだろうか。もし相手がめぐるでも気持ちが今と一緒だったら? 私はそれで楽しいのだろうか。それを彼が望んでくれるだろうか。いや、彼が望んでくれるなら私は何だってできる。もしこれが我慢なんだとしても。それは相手に問題があるだけで私にとっては苦にならない。


「は、綺麗な肌だ」


ブラの下から手を入れられひとしきりに揉まれる。

ときどき力強いので眉を歪めながら、それでも抵抗はしない。


「さてと、最初は痛いかもしれないけど我慢してくれよ。すぐに気持ちよくさせてあげるからね」


後ろへと下がり、私の膝を立てる。

前戯が短い。

長丁場は苦手なのか、それともただ女性の扱いに慣れていないのか。まあ、歳のせいもあるかもしれないけれど両方かなあ。

それと別に痛い思いはとっくの前に終わらせてるから。


「は、こいつはまた綺麗な色をしているね。例えるなら薄いピンク色かなぁ」


スカートの中を覗いている。私のパンツをずらして中でも見ているのだろう。

いちいち言わなくてもいいよ、気持ちの悪い。心底うんざりする。

けど、まあせめて最期にいい思いをさせてあげたからこの男も本望だよね。恨みっこなしだもんね。

一度、思いっきり脚を広げた。


「へ?」


間抜けにも漏れ出た男の声を皮切りに、そこから目一杯ちからを込めて脚を閉じた。


「ぐ、げぇっ!?」


片方の足で首を寄せ、もう片方の脚でバランスを崩した男の背中を蹴り仰向けへと態勢を変える。そして首と脚の間に隙間という隙間を与えまいと、これでもかと力を込めた。躊躇なく。


「か、はっ……はっ」


僅かに漏れ出た声が、男の走馬灯を誘っている。しわがれた声がこれ以上なく情けない。今こんな状況じゃなければ是非聞きたいものだ。

あなたの人生はいったい何だったの? と。

しかし、そんな余裕もなくさすがは大の男というべきか。しきりに暴れて拘束を逃れようとしている。私も最大限に力を込めているつもりでも、油断でもすればすぐにでも引きはがされそうだ。

それに、縛られたロープがキシキシと撓るので手首が擦れて痛む。表情が苦しく歪み、今すぐにでも脚を離せばこの痛みからは解放される。けれど、我慢しなければならない。そうしないと、後戻りはできずこの男に好き放題やられてしまうだけだ。

時間にすればほんの一分と数十秒くらいだったけれど、それがとても長い時間のことのように思えた。

ピクリとも動かなくなった男を絞めていた脚を離す。これを万が一、死んだふりをしていて即座に反撃でもされればそれこそ打つ手なしだったけれど、どうやらそれは杞憂だったみたい。


「はぁ」


安堵の息、ではなくさらに面倒な状態になったことへの惰性の溜息だった。結局、手を縛られた状態なので自力で脱出するには手首にかなりの痛みを要することとなる。もしくは誰かに発見でもしてもらうか。状況を見れば私に非が無いことは分かってはもらえそうだけれど、その誰かがまともな神経をしているとも限らない。私に対する脅しを仕掛けて来ないともいいきれない。

けれどやっぱり憂き目に遭いたくはないから、せっかくだけど正当防衛ではなくちゃんとした事件として処理するしかないかな。それで過去のことを探られても迷惑だし、なるべく見つからないように処分しないと。

そう思案する私にとって、予想だにしない出来事が訪れた。

体育倉庫の扉が軋む音がした。

ゆっくり、その扉が開かれて誰かが入ってきた。

私は咄嗟に苦悶の表情を浮かべた。人がこんなに早いタイミングで入ってくるなんて予想外だ。こうなったら正当防衛の事故として処理するほかない。


「ひっ!」


その人物は惨状を見るなり、短く悲鳴を上げた。

彼女を見た私は被害者を演じることを素で辞めて、茫然としてしまっていた。


「どうして、どうしてあなたなの?」


声が震えていた。


「かえで……」


涙ぐんでいた彼女は私を安心させようとしていたのか、あるいは自らに言い聞かせたかったのか、笑顔だった。


「麻衣を助けに来たよ」








「…………どうしてここが?」


とりあえずロープを解いてもらい、手首に強く残った擦り傷をタオルで巻き付けながら尋ねた。


「麻衣を追いかけてたら、このおじさんが麻衣を運んでるのを見た」


かえでが指さしたほうを見ると、台車があった。そして段ボール箱が二つ詰まれている。


「これで?」


不思議に思って中を開けると空洞になっていた。間をくりぬいてダミー状にしていたのだ。

と、いうことは私を攫ったのは突発的なことではなく計画していたものだということがわかる。


「っていうか、死んでる、んだよね」


頷いて肯定する。

加減したつもりはないけれど、生きていれば今はそっちの方が都合は良かったけれどそんなにうまい話はない。

首には薄紫に腫れた痕が残っている。ベロが伸び切っているし瞳孔も開きっぱなし、挙句に力が抜けて漏らしたのか、アンモニア臭がする。

こんな状態だと、素人目とか関係なしに誰がどう見たって死んでいる。


「麻衣が、やったんじゃないよね? だって縛られてたわけだし……」

「私がやった」


かえでは押し黙った。


「って、言ったらこのこと警察に話す?」

「……警察呼ばないの? これってどう見ても事件でしょ?」


確かにもっともな意見だろう。というかほかに選択肢があるのかってくらい、正当性がある。

私だって誰かにこの状況を見られた時点で、事故として警察に訴え出るしかないと、そう思っているんだけれど。


「呼ばない。悪いけど余計なことをしようとするなら、かえでも同じ目に遭うと思って」


脅し。

ほかに言いようがあったかもしれないけれど、こう見えてかなり困惑している。まさかよりにもよってかえでに見られるなんて。

ただ、脅しが通用する相手とは思えないのでほかに何か方法を――――――――。


「…………そう。麻衣が決めたなら、そうしな」


淡白に返事をされたときは、思わず聞き返してしまいそうになったくらい意外だった。けど、逆にそれが私の思考を鈍らせた。


「かえでっていつもそうだよね」


そう。かえでといると気持ちが悪い。別段かえでが嫌いなわけじゃなく、むしろ数少ない友人だと思っているのに、どうにも歯切れが悪い。こんな曖昧な関係性が私にはつらい。分かっているつもり、こんな風になったのは私のせいだって。私にやましい気持ちが、後ろめたさがあるから避けようとしているのだ。でも、それをどうしてかえでは突き詰めて来ないの?

あのときも、あのときもあのときもあのときも――――――――――。


「なんで何も言ってくれないの?」


涙が流れた。

きっと純粋に悲しかったのだと思う。

彼を思う気持ちとは別の意味で溜め込んでいた感情の一房。


「そんな顔されるなんて、思ってなかったなー」


涙が頬を伝う前に、かえでは自らの涙を拭きとった。


「隠し事してるのは、なんとなく知ってたよ。でも麻衣は私に打ち明けようとはしなかった。だから聞かなかった。これだけじゃ不十分?」


言ってくれる。


「そんな簡単に割り切れる話だとは到底思えないんだけど」


もっとうまく行動できていれば、かえでにこんな疑念を持たせることもなかったんじゃないかって何度も思ってしまう。至らなさが疑惑を産み、そして勘繰ってしまう。

かえではスカートの裾をぎゅっと握った。


「だって、私には麻衣を助けられるほどの力がないから。でも、それでも、私だけは麻衣の味方でいたいから。だから私は、何も言わないし、聞かない」

「人として間違ったことをしている私の味方なんて、しないほうがいいよ」


どうしてだろう。気分が良い。

胸の奥のつっかえが取れたような晴れ渡るような澄んだ気持ちだった。

私はやっと、心からの言葉でかえでを突き放すことができるんだ。それが嬉しいかと聞かれると、そうじゃないけれど、ひとつのけじめがやっと終えられそうだということだ。


「間違ったことをしてるのは麻衣だけじゃない。麻衣のお父さんも、このおじさんも、麻衣がしたことを見なかったことにしようとしてる私だって、正しいことだけをしている人間なんていないよ」


また胸が痛む。


「小6の夏休み、何があったか知らない。けど、麻衣のあの時の顔を見て思った。人を殺したのって今が初めてじゃないんでしょ?」

「…………うまく隠せてると思ったのに、怖いなぁかえでは」


薄く笑って見せる。かえでにバレてしまっていた時点で私の計画は破綻していたようなものだ。今でこそ話題に出していないけれど、この前出掛けたときの爆発事件だって無関係だとは思っていない様子だし。


「麻衣を行動させる何かがあったことは、分かったよ。きっと麻衣に生きる希望を与えた誰かがいたんでしょ? だから生きるために麻衣はお父さんを殺した。今までの麻衣だったら、きっと行動はしなかった。抵抗しなくて、壊れていたかもしれない」


やっぱりかえでのことは少し苦手だな。

へんなところで核心をついてくるんだもん。友達じゃなかったらきっと殺してたよ。


「だから私にできることは、何もない。何もしないこと。本当なら自首することを強く勧めるのが友達なんだろうけどね。麻衣がいつか大手を振ってお縄になることを祈るだけだよ」


思わず吹き出してしまった。


「なにそれ、笑えないね」


死体が転がっている横で、そんなユニークなセリフが出てくるだなんて、そして笑ってしまった私もきっとイカれているんじゃないかと思う。


「久々に笑ったところ見たかも」


確かに言われてみれば、最近こんなふうに笑ったことってあっただろうか。忙しくて覚えていないだけ? そう、じゃないよね。私は日常においても笑うことを忘れるくらいに疲弊しきっていたということなんだろうな。


「じゃあ……えっと、私は行くね。あとは麻衣を変えた誰かさんが、本当の意味で麻衣を救ってくれることを願うばかりだよ」


めぐる。

私を救う、か。

助けてくれるかなぁ。

こんな私でも。






「これが私が起こした、のちに花咲じじい事件と呼ばれる事の一端だよ♪」


声にならない気持ちになった。

話を聞く限り、塚本麻衣という人間には友人と呼べるべき存在がいたわけでまだその時には慈悲というものが心内にあったように感じる。してしまったことは人殺しという大罪になるわけだけど、それでも正当な理由があるようにも思える。

だが、それとこれとは話が別だ。


「塚本、俺はお前を殺すっ!!」


俺は声を大にして叫んだ。

叫んだところで助けはこない。が、助けを呼ぶために叫んだわけじゃない。

殺すために叫んだ。


「俺の親父が、親父がお前に何かしたかよっ! 殺しを引き起こすだけの何かを、親父はしたのかって聞いてんだ!」


手足を鎖で縛られ、両膝にはガムテープを巻かれた。そんな拘束された状態の人間が誰かを殺めようだなんてできるわけもなく、それでも収まりどころのない怒りを吐き出すしか、俺にはできなかった。

だが、暴れている体とは裏腹に頭の中はクリアになっている。というのも一連の流れから何かが引っ掛かっていてしょうがない。


「やっと私に感情を向けてくれた。それだけで本当は嬉しいはずなのに、でも足りない。そりゃあんなの見せつけられたらなぁ。ショックだったんだよ? まさか裏切られるだなんてね」


にたにたとした笑みで俺を見下ろす塚本。

こいつが、元凶?

納富が言っていた人物が塚本だった、だとしたらどうしてあんなに早い段階で目星を付けられていたのか。何かつながりがあったりするのだろうか。


「きっかけは春休みのときかな。優しい巡瑠は私の事を助けてくれたよね? でもそれは例え困っているのが私じゃなくても助けたんだろうね。だって私は貴方にとってもう特別じゃなかった。貴方の隣には私がいるはずだったのに、そうじゃなく別の人間が立って、並んで、歩いていた」

「……春休み」


記憶を辿ってみる。

そのとき俺は塚本に会っていた、のだろうか。分からない、小学生の頃の記憶さえ曖昧なのにそこから今日に至るまでの春休みに会っているとでも言うのか。いや、少なくとも話を聞いてる限り俺が誰かと出掛けていた時に限られる、のであれば心当たりがたったひとつああるにはある。そして尚且つ裏切られた、と塚本は言っている。俺が同年代の異性と出掛けた、付き合っていた彼女と出掛けていた時期の春休み。


「そうか、あの鹿公園で会っていたのか」


入場料が掛かるが鹿と触れ合えて花見も見て回れるスポットを巡った。花より団子、というわけじゃないがそういったデートスポットに赴いた記憶が唯一というのが俺の中でネックとなっていたのだろう。鮮明に覚えてはいた。

思えば明羽とはそういった青春に値するような、理想のデートとかあまりしてこなかったな。まあ、学生だからいける範囲にも限界とかあるだろうし、思えば映画やコンサートなど特別にカップルだからという領分じゃなくても良いものばかりだった気がする。でもそれも論理的な考えでしかない、俺には彼氏彼女という関係の特別さを、未だに見いだせていないのだから。

いや、もう関係ないか。別れた今となっては。


「同時に嫌なことを思い出しそうになったけど、なんとなく正体が分かった。鹿にやるせんべいを買いに行ったとき、男と揉めていた女性がいた。あれがお前か」

「そ」


少し寂しそうに、塚本は頷いた。


「期待はしてなかったよ。あれからかなり経ったし、私に関しては変装までしていたわけだしね。本当は目に留まってくれるだけでよかった。まさか演技でやってた言い争いで仲裁に入ってくれるなんて思ってなかったな」


そうだ。普段だったら、というか基本的に他人のいざこざに首を突っ込んだりはしない。ただ不思議と、そう自然に間に入れてしまった。自分でもあの時は分からなかった。男と女、どちらも見覚えがあったわけじゃない、なのにどうして咄嗟に間に入れたのか。

だからとても不思議で、鮮明に覚えている。そのときの女性が塚本だと言われても、今でもピンとは来ていない。そう言われればそうだったかもしれないし、やっぱり嘘だと言われても納得はしてしまう。ただ、見た目は綺麗だった。共通点が存在するとすればそこだろう。


「あんなに近くにいたのに気付いてもらえなかった。でも繋がりは持てたから今度は織田さんと合流したところに鉢合わせてみたの。それから少しずつ亀裂を広げてやろうって、決意表明だね」

「少しずつ……亀裂……」


いや、そんなまさか。

俺は妄想をしている。だってそんなことが、普通の人間がそんな、できるはずない。

だって俺が明羽と別れたことだって、俺たちが決めたことであって誰かが介入できる余地なんて…………。


「お前、明羽に何をした」


再び溢れ出そうになる。

俺はここまで堪え性のない人間だっただろうか。


「ふふ、人に言えないようなことかな~」


指で輪っかをつくり、人差し指を立てて輪っかに通した。いや、それを動かしたと表現するほうが正しいか。


「殺す! 殺す殺す殺す殺す殺すころすころすころすころすころす殺すっ!!」


塚本の人となりを理解したなんて言うつもりはない、けど明羽を傷付けるために容赦はしないということは知った。知ることができた。

だからあいつが塚本に何をされたかなんて聞きたくなかった。明羽が今の俺に話さなかったことのひとつ、それによって諦めたであろう、俺という存在。

あいつは俺の為に身を引いた。

塚本がこの先、俺に何かをしないとも限らない。自分が身を引くことで俺を守ろうとしたんだろう。勝手なことしやがって。

情けなさ過ぎて涙が出そうだ。

いや、溢れていた。

声が枯れそうなくらい叫んでいるのに、これ以上水分を失ってどうしようというのだろうか。


「泣くくらい、私のことを想ってくれてるんだね。理由なんてもうどうだっていい。貴方がくれるものすべてが欲しい」


そう言った塚本は横たわる俺の前で膝をつき、何もできずにただ叫ぶ俺を抱きかかえる。そして流れる俺の涙を、自身の舌で拭きとった。

俺はただただ虚ろになる視界のなかで塚本の美しい顔を憎みながら、色を失った。




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