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第9話―朝を待たずに―

「どうしたの?眠れない?」

 美嶺のマンション。部屋の掛け時計の針は、午前4時を回ったところだった。

 ベッドの隣から穏やかな気配を感じて、浅い眠りについていた美嶺は目を覚ます。

「眠れたよ。この布団、ふかふかで気持ち良くて」

 その言葉と重なりながら、優しい吐息が美嶺の胸元をくすぐった。

 木下は音も無くベッドを出ると、足元にあったTシャツを拾う。暗がりの中、衣類の擦れる音を伴って、木下の上半身を白い影が覆った。

「──どこ行くの?……アパートに帰っても一人なんでしょ?……だったら、ずっとここに──」

 ほんの数秒の沈黙。

「うん……朝のね、明け方の街並み、大好きなんだ。誰もいなくて。世界で自分一人だけになったみたいで。なんでか分からないけど、子供の頃を思い出すんだ」

 美嶺の問いに曖昧に答えるその声は、何かを懐かしむような感慨に満ちていた。

 生地の厚いカーテンは、次第に白んでいく外の光を微かに部屋へ招き入れていく。 

 その中で、布団に首まで潜った美嶺は悲しげな表情を作った。

 初めて夜を共にしたのに、この男は朝を待たずに行ってしまう。唐突に訪れたその瞬間は、夢にまで見た至福の時間に終わりを告げた。

 手料理を誉められるのは、女ならば誰しもが幸せを感じるだろう。昨日の夕食は喜んでもらえた。朝食も、美嶺は自分なりに精一杯頑張って作るつもりだった。

(木下大河は猫……違う……もっと違う何かだ)

 胸を突き刺す淋しさが、瞳の奥から熱いものを呼び出そうとする。

 だが、美嶺は必死にこらえた。

 そんな気持ちを知ってか知らずか、ジーパンを履き、ライダースジャケットを羽織ると、美嶺の上唇にそっとキスをする木下。

「また泊めさせてね」

 その声は優しい。

 少し高い少年じみた声色は、淡く、優しい。

「……もう来なくていい」

 そっぽを向いた美嶺の言葉に、暗がりで笑みを浮かべ、靴箱の上にある鉄製の皿から鍵を鷲掴みにした。

 軽い金属音を残し、静かに部屋を出て行く。

「もう、来んな」

 ゆっくりと閉じたドアへ向かって呟く美嶺。

 ブーツの踵が刻む規則的な響きが、次第に遠退いていく。

 男は、朝を待たずに。

 行ってしまった。



 隼の集合管から発する快音は、トランペットが奏でるブルースさながらに明け方の街並みに反響する。

 空気は僅かに湿気で淀んでいるも、ヒヤリと心地好い。

 見上げると、空の彼方が朝と夜の顔を同時に見せていた。

 ピンク、パープル、ブルー。

 グラデーションが夜の終わりを告げ、星々が次第に朝日の輝きに飲み込まれると、静かに消えていく。 

 左足をステップにかけ、右足も同様に、車体の燃料タンク左側面に押し付けながら、軽くシートに腰をかけている。

 虚ろな表情で、気だるくアクセルを開けていた。

 女を抱いた後に、まだ目覚めていない街並みを走るのが、木下は好きだった。

 人には理解されない、この男の性癖とでも言おうか。

 この瞬間が、自らの心身の全てを、穏やかに満たしていた。

 それは、人の温もりで満たされ、そしてまた孤独の中へと()()される、一時の優越からなのか。

 幼い時分に他界した両親のことは、朧気な記憶の中に霞み、同居していた唯一の肉親である姉は、嫁いでもういない。

 孤独は、木下の背中の辺りで、いつも密かに蠢いていた。

 次第に上がり出した水温計と油温計の針を確認すると、ステップに預けていた左足を蹴り出し、後方に浮き上がった下半身から左右のステップにそれぞれの足をかけ、人馬一体、跨がった。

 前傾姿勢。

 一気にアクセルを開ける。

 スピードメーターの針が跳ね上がり、瞬く間に三桁の世界へ吸い込まれていく。

 身震いする程の強烈な加速(トルク)が、背中から腰、内臓にかけて、激しく押し出す感覚に襲われた。

 12000回転を越えて尚、上昇するタコメーターの針。それに追従する叫び声に似た高音の排気音が、数時間前の女の声と似ている……そう連想すると馬鹿馬鹿しくなり、自嘲気味に口元が歪む。

 美嶺のマンションは郊外にある。そこから三国重工本社まで、長い直線の国道が続く。

 ふと、バイクを停車させた。

 それと同時に、胸元のスマホが鳴動する。

 フルフェイスのヘルメットを脱ぎ去ると、取り出したスマホを耳に押しあてた。

『き、木下君!』

 寝ぼけているのか、三国の口はうまく回っていない。

「おはよう。もう、見えてるよ」

 100メートル程前方。

 景色が歪みながら、黒い渦が形を現し始めていた。

『すぐに転送準備にかかります!』

 研究室に隣接する仮眠室。

 鳴り響いた警告音に跳ね起き、枕元のスマホで木下へコールしつつベッドから転げ落ちた三国は、デスクの上にある眼鏡を手探りで掴み、視界を確保すると、ようやく部屋の電気を点けた。

「せっかくいい気分だったのに」

 言いながら、木下はアジャストケースから和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)を抜き放った。

 三国の知人の研師(とぎし)に依頼して刃毀(はこぼ)れを研磨してもらったおかげで、刀身から水が滴るのではと錯覚する程、空から射す弱い光を確実に拾う。

 その煌めきの中に映り込む姿。思わず苦笑いする木下。

『木下君!相手は?』

「あれって、なんて言うか」

 黄金色(おうごんいろ)の甲冑。巨大な円形の盾(ラウンドシールド)。そして幅広の剣(ブロードソード)。額には朱色の鉢巻きをしている。

「勇者?って奴?」

 インカムを片手で器用に装着すると、見たままを三国に伝えた。

『ゆ、勇者!?』

「それがさ、ビックリなんだけど、ちゃんと顔があるんだよ」

『顔って?』

「人間の。金髪の白人。ん~、僕より全然若いよ。子供みたいだ」

 次第にこちらへ歩み寄る表情は薄ら笑いを浮かべていた。

『子供の勇者?な、なんですかそりゃ』

 未だ覚醒しきっていない三国は、舌を噛みそうになる。

 バイクのエンジンを切ると、自らもゆっくりと歩き始めた。

 木下の胸中に、とてつもなく嫌な予感が渦巻く。

 明らかに敵は、木下を待ち構えていた。

 それは、敵が木下の存在を理解し、自ら赴いた事を意味していた。

 次第に白む空には、数羽のカラスが舞い始め、旋回しながら悠然と漂う。

 絡まるような鳴き声が、場の雰囲気を一層面妖にさせた。

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