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第53話―C―4―

 ロープが波打ちながら舞い上がった。

 飛び出した西島と比嘉の体は、暗く翳り始めた空の中で頼りない程に小さく、弱々しい。

 落下の最中、比嘉は首を返すと背後の敵を注視した。視線の先、ちょうど給水塔の脇を通り過ぎようとする漆黒の巨体。あたかも手傷を負った獲物を追うハンターのように、その歩みは悠然とした余裕に満ちている。

 ()()である二人の視界は数秒足らずでビルの壁面に覆われた。落下しながらガラス面に映る自分たちの姿を凝視し、内臓に吐き気を催す不愉快な浮遊感を感じながら、強烈な重力に身を任せていく。

 見開いた瞳を風が撫で、みる間に眼球から水分を奪う。その最中、比嘉は強風に抗いながらポケットに右手を突っ込んだ。不規則に襲う乱気流が二人の体を煽り、姿勢を左右に崩す。

 瞬間、互いの視線が重り合った。

「比嘉さん!」

「おうっ!」

 半ば悲鳴に近い西島の声を聞きながら、ポケットから取り出したのはジッポのライター程の大きさの黒い箱。それを両手でしっかりと握り、赤いボタンに親指を押し付けた。 

 給水塔をぐるりと囲む白い物体。一つ一つが長方形の紙粘土に見える。

 ──C―4。プラスチック爆弾。

 総量30キロ近いその固形物は、一度爆発すれば、建設用の頑強な鋼材すら羊皮紙のごとく易々と引き裂きく威力を持っていた。

 比嘉の率いる公安部隊は、怪事件の発生当初より極秘裏に捜査を進めていた。

 街に起こった数々の怪事件は、三国重工の会長が行使する圧倒的権力により揉み消され、闇に葬られていく。それらの隠蔽の影で木下大河の動向を探り、事件の真相に近付きつつあった。増山の道場で起きた謎の敵との会戦以降、比嘉はあらゆる不測の事態に備え、チームの装備を強化している。数台の車両に積載された軍隊並の武装。それらは予め比嘉の指示により準備されていたものだった。

 木下と増山が入院している病院から他のチームと合流する途上、比嘉の頭の中では作戦が立案されており、それを実行するための装備の大半は車両の中の物で事足りた。

 僅かな時間の中で、“三匹の子豚”がレンガの家を建てるかのように、比嘉と西島の二人で設置した大量のC―4。給水塔の周囲をぐるりと囲む白い粘土質の物体、その一つ一つに鈍く光る銀色の雷管が突き立てられている。 

 起爆装置は比嘉の掌の中に。

(粉々になりやがれ!)

 カチリという硬質な音と共にスイッチが押し込まれ、爆薬に捻りこまれた雷管に繋がるコードへ信号が伝達する。

 給水塔の脇を黒い巨体が抜けた瞬間──。

 オレンジ色の目映い輝きが弾けた。同時に発生したビル全体を揺るがす振動。薄暗くなった空に、爆音を伴って光の柱が立ち昇る。

 その爆発の全景を確認する余裕など無い二人は、バンジージャンプそのままに、無様に姿勢を崩したままロープの限界点まで下降していた。ビルの真ん中、屋内のテナント施設にある一際太い柱に幾重にも巻き付けられた牽引ロープには伸縮性があり、二人の体重を拡散させ、全身に装着したハーネスへ加わる落下の衝撃を和らげていた。

「ぐっ」

 しかし、それでも尚全身に食い込むハーネス。

 内臓を圧迫し、比嘉の呼吸が一瞬止まる。

 ビルの中腹とはいえ、地上からの距離は150メートル。強風に煽られ、振り子のごとく左右に揺れる二人の体。

 爆発の余波は震動となり屋上から階下へ伝わり、柱から牽引ロープ越しにそれぞれの全身を揺さぶった。

 モンロー効果(爆風は上方へ吹き飛ぶ)により、屋上のコンクリートは抜けることなく、粉々になった給水搭とその中に収まっていた数トンの貯水が霧状に天空を覆う。

 霧のシャワーと大小様々な鉄の破片が降り注ぐ中、宙吊りになった比嘉と西島はロープを両手で胸元まで手繰り寄せると、体を左右に振りながら登り始めた。その動きに無駄は無く、日頃の訓練による成果が遺憾なく発揮されていた。

 数分とかからず、外壁にぽっかりと開け放たれた窓枠に手をかけると、屋内へ転がりこむ。

 ビルには商業施設の店舗が多数入っており、一連の騒ぎで退去した人々の熱気だけが漂い、取り残され、不気味な程の静けさに支配されていた。

 婦人服の売り場が大半を占めているフロアには、有線からポップな洋楽が呑気に流れ、煌々と灯る照明が無人の通路を照らし出している。

 比嘉と西島の用いた牽引ロープは、C―4設置後、屋上から重量物を取り付け階下に垂らし、ビル中腹の窓から取り込むと柱に固定していた物だ。

 長距離射撃、それに失敗した後に接近を許した際のRPGでの至近距離からの砲撃。そして、最悪の事態を想定し、切り札として大量の爆薬で屋上全体を敵もろとも吹き飛ばす──。

 比嘉の考案した無茶とも思える作戦は、全て実行されたことになる。

 他チームが光学双眼鏡で、比嘉のチームが交戦していたビル屋上を注視していた。

『隊長!()はダメージを負っています!』

 強風で外れかけたインカムが耳元から頬にぶらさがり、微かに聞こえた部下の声。

『そうか。やったか』

 比嘉は続けざまに窓から侵入した西島の手を引っ張り上げると、インカムを装着し直す。 

 互いに視線を交錯させながら、カラビナからフックを外した。

「さすがに()()といえど、あの量の爆薬で無傷じゃいられねーだろ」

 荒い呼吸を整える比嘉の言葉に、西島はその場で膝をつきながら上司の浅黒い顔を見上げた。

「んぐっ!」

 突如、西島が気の抜けた声を吐き出す。見つめた比嘉の表情が凍りついていたからだ。

 収束したビルの揺れが再び発生し、何かを削りとる、耳を塞ぎたくなる雑音(ノイズ)が窓の外から飛び込む。

 慌てて立ち上がり、振り向き様に外へ視線を送った西島は、口を開けて茫然となった。

 ──巨大な黒い肢体が、全身を広げながら外壁を滑り降りてきたからだ。

 

 

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