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第30話―死の予感―

 風が雲をちぎりながらまだら模様を作ると、丸い月がぼんやりと夜空に輝き、周囲に白い円を描く。

 その穏やかな淡い光を背に、空中から迫り来る異様な影。道場の外壁を蹴り破り、その反動を利用しながら空中へ跳躍した“天狗"。

 5メートルの高さまで軽々と飛び上がると、垂直に下降しながら増山の後頭部目掛け右足を突き出し、再び蹴りを放っていた。

 その動きは人外の者に他ならない。

(避けきれねぇ!)

 完全に虚を突かれた増山だったが、瞬間、動き出していた。

 質量のある物体同士が衝突し、弾ける鈍い音。放射状に広がった風圧が、周辺の木々や道場の雨どいをビリビリと震わす。

「ぐぅっ!」

 増山の巨体が背中から地面に叩きつけられ、草むらの中を転がった。受け身をとったが間に合わない。自らの呻き声が頭蓋の中で反響する。しかし、その痛みの中でも、視線を天狗から外すことはなかった。

 増山とは反対方向へ、空中でバランスを崩しながら吹き飛んでいく。

 鬼道空手奥義・“ついたち" 。

 瞬きの間に、増山が繰り出した技。

 左足を軸に回転しながら、螺旋を描き右足を掲げ、天高く膝を突き出し、空中から襲い来る天狗の蹴りにカウンターを合わせた。

 朔とは新月の意。

 太陽と月が同方向にあるが故に、陽光に照らされることのない、くらい月。 

 増山の膝が太陽。

 天狗の蹴りが月。

 本来ならば敵の繰り出す“拳"に対する技だったが、咄嗟に増山が防衛本能を働かせ、変形技として使用した。

 鬼道空手に於いて、上位有段者の中でも限られた数名しか体得していないと言われる高度な技だった。

 攻撃の瞬間、増山は自問する。

(あの化け物の攻撃に、膝が耐えられるか?)

 だが、迷う猶予は無い。

 日頃の鍛練により、条件反射的に体が動き出している。

 インパクトの瞬間、回転を加えて鋭く打ち出した右膝に、天狗の右足が直撃したかに見えた、だが、神がかり的な反射神経を見せた天狗は空中で体を捻り、増山の繰り出した渾身の膝を躱しながら、胸部へ蹴りを打ち込む。その動きに対し、増山は折り曲げた膝を伸ばし、天狗の首元へ蹴りを叩きつけている。

 掲げた膝から蹴りを放つと同時に、体を更に回転させたことによって、天狗の蹴りは増山の胸部中央を捉えることは叶わず、左胸を僅かに掠めた。

 対して増山の放った蹴りは、天狗の落下の力を利用し、完璧なカウンターとして直撃している。

 圧倒的に増山の攻撃が勝っていた。

 しかし、地に転がったのは両者。天狗が常人ならば、起き上がることは到底不可能な程の致命的ダメージを負っているはずだった。

「んだとぉっ!?」

 掠めた左胸に痛みが走るも、仰向けの姿勢から上半身を起こす増山。

 視線の先の天狗はゆっくりと膝を着きながら、首をさすり起き上がった。

(くそ!化け物め……あれで立ち上がれるのか)

 思いとは裏腹に、ローキックを叩きつけた時同様、天狗の首筋に蹴りを入れた瞬間、鉛に似た人ならざる感触を右足の甲に感じていた。痛めた右足に、加わる鈍痛。

 小学校の屋上での戦闘時、増山は一人では無かった。強化装甲服に身を包んだ木下という強力な味方がいた。

 しかし今、目の前に迫り来る人外の怪物と戦うのは己一人。孤立無援の状況に、さすがの増山も叫びたい衝動にかられる。

 試合ではない。

 敗けは“死"を意味する。

 前回の戦い同様、増山はどこか夢の中にいる感覚に囚われていた。

 だが、体に走る痛みと、喉の奥から這い上がってくるような恐怖。その二つが、目の前にいる得体の知れない存在を明確にさせていた。

「おいおい、自分の道場の軒先で死ぬなんて冗談じゃねーぞ」

 立ち上がりながら、右足の痛みと左胸の痛みを確認する。どちらも打撲程度だが、これから先、敵の攻撃をギリギリのところで躱すためには、重い足枷となることは明白。

 再び地鳴りと錯覚する程の轟音が響き渡る。

 半身の構えから深く腰を落とした天狗が、地を蹴り突進してきた。先ほどの増山が放った蹴りのダメージなど皆無に等しい程の動きを見せている。

 一瞬で増山の間合いに入ると、天狗は体を地へ寝かせ、野球選手さながらのスライディングを見せた。

「!」

 刮目する増山だったが、その攻撃が自らの足を刈るための攻撃だと瞬時に悟り、反射的に跳躍する。

 両足で地を蹴った瞬間、増山は戦慄した。眼下で草むらを異様な速度でスライディングする天狗が、その姿勢から両腕を突き立て、逆立ちの体勢から両足を天へ向け仰け反らせた。

「なっ!?」

 その一連の動きは、小学校屋上での戦闘時、“勇者"へ向け増山が行った攻撃を模倣しているとしか思えなかった。

「こいつ!」

 サッカーの“オーバーヘッドキック"そのものの動きで、天狗の右足が増山の背中へ迫る。

 人ならざる力を持つ天狗。

 その蹴りを、無防備に背中へ受ければどうなるか。

 身を翻そうとする増山だったが、到底避けることは不可能だった。

 “死"の予感。

 脳裏に、背骨を砕かれる自らの姿が浮かび上がる。

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