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第29話―月夜―

「......野郎」

 暗がりから姿を現した存在へ向け、増山はボソリと呟く。

 小見と会話していた時分の穏やかな気配は成りを潜め、野の獣を彷彿とする荒々しいまでの怒りに満ちた表情を浮かべている。

 道場から漏れる光を浴び、増山の前に姿を見せた者。

 身長は180センチ程。増山や門下生同様に空手の道着を着込んでいた。肩口から破り取ったのか、左右の袖が無い。屈強な体躯は増山と対照的に骨太。五体が太く短めで鈍重な気配を漂わせている。だが、四肢を武装するかのごときはち切れんばかりの筋肉が、増山の道場の門下生を一撃の元に屠ったであろうとてつもない膂力りょりょくを感じさせた。

 何より不気味なのはその顔面を覆う面。 

 ......天狗。

 暗がりに浮かび上がる、艶々と輝く鮮やかな朱色で彩られた天狗の面。そして、バサバサと四方八方へとのびる黒髪。

(こいつ......この前の勇者御一行とは別もんか?......天狗だと?)

 意識を失った神津の顔面に手のひらをかざし呼吸を確かめると、ゆっくりと立ち上がり、得体の知れない存在と対峙する。沸々と煮えたぎる怒りが胸中に沸き起こり、増山の精神をドス黒い闇が覆い始めた。

「ふざけんじゃねーぞ!この野郎!」

 腹の底から吐き出した怒りが、アウトレイジの北◯武ばりの怒号となり、圧倒的な声量を伴って天狗の面をビリビリと震わせる。愛弟子を完膚無きまでに叩きのめされたことにより、普段は冷静クールに徹している増山だったが、我を失う程激昂していた。

 だが、その声に微動だにすることなく、静かに腕を組むと、“天狗"は無防備に体の前面を晒す。

 増山が地を蹴った。

 道場から射し込む光が揺らぎ、巨体の影が残像を残す。

「オラァッ!」

 気合いと共に、瞬く間に詰めた間合いから強烈なローキックを繰り出した。内側に折り曲げた親指が、地面から伸びる雑草を刈り取りながら、“天狗"の左足、ふくらはぎへ叩き込まれる。

「っ!?」

 束ねた木製バット四本を一撃でへし折り、粉々に吹き飛ばす程の威力を持ったローキック。だが、まともに受けた“天狗"はピクリとも動かない。

 チリチリと首筋に感じる違和感。それが自らの命の危機に起因すると一瞬で悟った増山は、全力で後方へ飛び退いた。その最中、巨大な拳が増山の胸元を掠める。

 正拳突き。

 とてつもないスピードで、増山がほんの数秒前に立っていた空間をえぐっていた。

(は、速ぇっ!)

 野性的な勘から咄嗟に回避運動をとったが、ほんのコンマ何秒か反応が遅れていたら、足元に転がる神津同様、鳩尾みぞおちに陥没を作ることになっていただろう。

「化け物......」

 半身の構えをとると、“天狗"を見つめる。

 一瞬でも気を緩めれば、一撃の元に倒されてしまう。目の前で再び両腕を組み、仁王立ちする不気味な存在に、増山は畏怖の念を抱いた。

(一発でも喰らったら終わりだ......門下生やつらもそうやって倒されたに違いない)

 額から汗が伝う。

 竹刀ではなく、真剣で切りつけられる恐怖。ほふられた門下生達は増山が目を掛け、手塩に育てた道場きっての使い手達だ。彼れらだったからこそ一命はとりとめたのかもしれないが、素人ならば即死を免れない圧倒的破壊力を持った攻撃。

 恐らく神津は、他の門下生達を巻き込まないために自ら戸外へ敵を誘い出したのだろう。しかし、その思いも虚しく、幾ばくの時間すら稼ぐことも無く倒されてしまった。

 昏倒する神津へ視線を移すことすら叶わない現状。数秒でも意識を他に逸らそうものなら、その間隙を突いて、先程同様の強烈な攻撃が襲い来るのは明白だった。

(ローキックにビクともしねぇ......それに、あの感触......鉄の塊でも蹴ったみてぇだ)

 右足の甲に走る痛み。眼前の敵は、何事も無かったかのように悠然と佇んでいる。天狗の面に隠された表情を伺うことは出来ない。戸惑う増山を一切気にも止めない様子で、腕組みをゆっくりとほどくと、腰を沈め右足を後方へ滑らせた。

 空に垂れ込めていた厚い雲が微かに動き始め、その切れ間から丸い月が顔を覗かせる。

 風が、吹き始めた。

 天狗の全身に、異様な殺気が漂いだす。対峙する両者の距離、3メートル。

 静寂を打ち破り、何かが落下したと錯覚する轟音が周囲に響き渡った。雑草が周囲に舞い上がり、虚空で散り散りになる。

 天狗が地を蹴り跳躍したのだ。

 飛び蹴り。

 闇の中、冷えた空気を突き抜け、丸太と見紛う右足が増山目掛け襲いかかる。

「くっ!」

 受けにまわればただでは済まない。捌くことも不可能だろう。

 回避。

 ただその一点。

 増山は再び後方へステップバックした。すぐ真後ろは道場の外壁。予想より遥かに上方へ跳躍した天狗の蹴りは、正確に増山の顔面を狙っている。咄嗟に首を斜めにし、ギリギリのところで蹴りを躱した。そこから受け身をとりつつ、斜め前方へ転がる。

 天狗の蹴りは板張りの外壁を易々と突き破り、木材を破砕した。

 増山の首筋から血が滴る。掠めただけで皮一枚えぐりとられていた。

「っつぅ!」

 顔をしかめ、すぐに立ち上がると、天狗の姿を探す。

「消えた?」

 数秒前まで道場の壁際にいたはずの天狗の姿が、無い。

「!」

 増山の頭上から、急降下する影。

「んだとぉっ!?」

 天狗は壁面を蹴り破り、そこから上空へ跳躍していた。その動きは完全に人間を超越している。

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