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第28話―道場にて―

 女性教諭殺害事件の起きた小学校からは、電車で二駅程の郊外。

 山間部に位置する『鬼道空手道場』。真新しい木造平屋建ての屋内には、日の暮れかかった時刻にも関わらず、道着に身を包んだ沢山の門下生達が練習に励んでいた。 

 神棚の真下でその様子を見渡す男。

 身長は190センチ程。

 広い肩幅と分厚い胸板から、全身筋肉の塊で覆われているのかといえばそうでもない。無駄な贅肉を削ぎ落した長い四肢は、俊敏な動きを想像させる。近年、立ち技系格闘技を制している王者達が、生まれつき持ち合わせている理想的体型。

 この男、増山もまた、天より類稀な肉体を授かっていた。

 自らも門下生数名と組手をこなし、額から噴き出す汗。

 広い道場の中は熱気に満ちていた。

「増山先生、お客様がお見えです」

 まだ真新しい道着に身を包んだ小柄な少年が、ボサボサの眉毛をつり上げながら、人の良さそうな満面の笑みを浮かべ駆け寄ってきた。

「客?誰だろう?」

 増山は怪訝な表情を浮かべながら、首筋に伝う汗を拭う。

 ふと、道場の入り口へ顔を向けると、スーツ姿の若い女が目に入った。女は深々と会釈し、柔和な笑みを浮かべる白い顔。

「あぁ、小見さんか」

 増山は端正な浅黒い顔をくしゃくしゃに崩すと、大きな手のひらを掲げて見せた。



 四人がかければ窮屈な程の小さなソファーと、ガラス製のテーブルが置かれている狭い事務所。

 増山は小見に座るよう促すと、自らカップに粉末のインスタントコーヒーを入れ、ポットのお湯を注ぎ、ゆっくりソファーへ腰を下ろした。

 その姿を見て、向かい合わせに座る小見は、くすりと鼻を鳴らして笑う。

「どうした?」

「いえ、増山さん可愛いなって」

「えっ?」

 大柄な増山が、たどたどしい動作でコーヒーカップを両手にする姿を見て、サーカスの熊が芸をする様を連想していた。

「プッ」

 困った表情の増山を見つめ、数秒置いて片手を口に押し付け、ついに吹き出す小見。

「なんだよ?失礼だなぁ」

 一方の増山は後頭部をボリボリかきながら、困惑した表情を見せた。

「で、今日は何の用?」

 小見が道場に顔を出したのは、これで二度目。事件のすぐ後、挨拶しに来たことがある。

「ええ、実はあれから例の事件、私なりに調べたんですが……殺された女性教諭と、屋上から投げ落とされた少年二人。その三人に共通点があったので、増山さんに報告しておこうかと」

 小見の言葉に、増山は複雑な表情を見せた。

「なぜ俺に?」

「本社を訪ねても、三国さんや木下君には会わせてもらえないんですよ」

「あぁ……確かに、三国さんはああ見えて社長だしね」

 事件以降、小見は幾度となく三国や木下に接触を試みたが、それは叶わなかった。それを知っていた増山だったがとぼけて見せた。

「で、なんだい? 共通点って?」

 小見がコーヒーカップから口を離し、言葉を発しようとした瞬間。突如として、事務所の引き戸が乱暴に開け放たれた。

「増山先生!」

「おいおい、どうした? お客さんの前だぞ?」

 先ほど小見を道場へ案内した少年が、血相を変えて飛び込んできた。

「ど、道場破りです!」

「はぁっ?」

 少年の震える声に、増山はコーヒーカップへ傾けた砂糖の盛られたスプーンを止めた。



「雨宮! 柴崎!」

 道場に飛び込んだ増山が目にしたのは、床の上に倒れる門下生二人の姿。

「キャッ!」

 後からついてきた小見が悲鳴を上げる。

「せ、先生……」

 白い道着を鮮血で真っ赤に染め、屈強な体格の青年二人が仰向けで虚ろな目をしている。

 一人は右腕が異様な角度に折れ曲がり、もう一人は顔面を強打したのか、鼻がひしゃげ、盛大に流血。

 道場を見渡すと、まだ幼い少年少女の門下生達が、震えながら散り散りにへたりこんでいた。皆、一様に顔面蒼白で、茫然自失状態に陥っている。

「一体何があったんだ!」

「おかしな奴が突然……黒い渦の中から現れて」

「黒い渦だと?……雨宮! おい! しっかりしろ!」

 かろうじて喋れる雨宮と呼ばれた青年は、いかつい肩を小刻みに震わせながら懸命に口を開く。

「せ、先生……神津(こうづ)の奴が一人で……道場の庭先に」

 増山がその視線を辿ると、縁側の戸板が数枚破られ、日が落ちて薄暗い庭先が視界に入った。

(まさか、あの化け物が来たってのか?)

 増山の背筋に悪寒が走る。

「小見さん! 救急車呼んで! 拓海! みんな連れて道場から避難しろ!」

 床を蹴ると、戸惑う小見と拓海と呼ばれた眉毛ボサボサの少年には目もくれず、声を張り上げ庭先へ向け駆け出した。

「は、はい!」

 小見はひっくり返った声で答えると、カバンから慌ててスマホを取り出す。眉毛ボサボサの少年も、あたふたと走り出した。

「神津ぅ!」

 屋内から漏れる光を背にした道着姿の大柄な男を見つけ、迷わず駆け寄る増山。庭先の草むらに足を踏み入れ、ヒヤリとした冷たい感覚を足裏に感じた。

「おいっ!……!」

 微動だにしない門下生の肩を鷲掴みにする。その瞬間、神津と呼ばれた青年は直立不動の姿勢のまま、まるで伐採された巨木のように増山へ向かって倒れてきた。

 その体を全身で受け止める。

「うっ!」

 白目を剥き、口から泡を吹いていた。薄暗い闇の中で、その全身に目を凝らす。

 鳩尾みぞおちに出来た、影を作る程に落ち窪んだ異様な陥没。

 握り拳大。

 とてつもない力で正拳突きを喰らった痕跡が見受けられた。

「神津! おいっ!」

 増山の呼び掛けも虚しく、完全に意識を失っている青年をゆっくりと草むらに寝かす。

 増山が師範を務める道場の中で、次代のエースと目されていたのが神津と呼ばれる男だった。だが、そんな屈強な青年が、恐らく一撃の元にほふられている。

「!?」

 増山の肌が粟立ち、光の届かない暗闇から感じる得体の知れない殺気。

 それは静かに、ゆっくりと歩み寄ってきた。

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