第14話―タンデムシート―
「打ち身と捻挫だね……」
レントゲン写真を見つめながら、中年の医師が呟いた。
小見が怪我をした交差点から、そう遠くない大学付属病院。経営の悪化から、一時は廃院の憂き目にあっていたが、三国重工が買収し、実質的なオーナーとなっていた。小見を診察した外科医の医師は、三国とは顔馴染みである。
「骨には異常無いよ」
その言葉に、丸椅子に座る小見の背後に立つ三国が安堵の表情を浮かべた。
病室を出た二人は、ゆっくりと病院の廊下を進む。小見の肩に手を回し、しっかりと支える三国は赤面し、相変わらず口を真一文字にしていた。
「本当にありがとうございます」
「い、いえ……そんな」
こめかみから眉間にかけて、憔悴した色を浮かべる小見の横顔を視界の端に捉えるも、直視することは出来ない。
女に縁遠い男は、些細なことで異性に好意を持ってしまう。三国もまた例外ではなく、たった小一時間程で、親子程年の離れた女性を意識し始めていた。
「家まで送るから」
「そんな、これ以上ご迷惑おかけできません……タクシーで帰ります」
大学付属病院の1階ロビーでそんなやり取りをしている二人の背後に、静かに近づく影があった。
「三国さん、何してんの?」
身長170センチちょっとの三国が首を反し、斜めに見上げた視線の先。
短く刈り上げた髪に、浅黒い肌。精悍な顔つきが猛虎を連想させた。190センチはあろうかという巨躯に、洗いざらしのジーパン、麻素材のラフなシャツ。はだけた胸元ははち切れんばかりに膨れ上がり、尋常ならざる鍛え方をしていることが伺い知れた。
モデル並の頭身バランスをした男は、30代半ばと言ったところか。
「ま、増山さん」
目を見開き硬直する三国を見つめる男の表情は、いたって穏やかだ。
「三国さん、この子誰?」
増山と呼ばれた男が首を傾げながら小見に視線を送る。
「いや……その」
しどろもどろになる三国に、思わずニヤける増山。
「彼女?」
「ち、違いますよ、増山さんこそどうしたんですか?」
「いや、道場の生徒が試合中に怪我したもんで見舞いに来たんだ」
後頭部を無造作に掻きながら、その姿には似つかわしくない、少し困った表情を見せた。
「で、誰?」
腕組みしながら微笑むと、再び小見の顔を覗きこむ。
「小見絵美里です、木下さんの取材をさせてもらってます」
突如現れた見知らぬ二枚目に、戸惑う小見。
「木下?三国さん、木下って、大河のこと?」
「えっ、まぁ……その」
木下、三国、増山。
三人は旧知の間柄だ。増山は木下の姉と結婚しており、木下とは義兄弟の関係になる。
「大河はアパートで一人暮らししながら美容室に勤めてるはずだが……取材って?」
「その、カリスマ美容師として、雑誌の取材を……ねっ!」
増山の問いに、しどろもどろになりながら、小見に口裏を合わせるよう仕向ける三国。
その時、ふいに三国の懐のスマホが鳴動した。
「!!」
慌てて白衣の胸元へ手を伸ばし、ポケットから取り出したスマホの画面に見入ると、顔を引きつらせながら、みるみるうちに蒼白になっていった。
「どうした?三国さん?」
明らかに何かに対して動揺する三国へ、声をかける増山の表情が険しくなる。
「増山さん、頼みがあります。彼女を自宅まで送り届けてくれませんか?」
「はぁっ?」
唐突な三国の頼みに、増山は開いた口が塞がらない。
有無を言わせず小見の体を増山に預けると、慌ただしく駆け出した。
「おいっ!三国さん!どうなってんだ?まったく」
一瞬困惑した増山だったが、自らに寄りかかる華奢な小見の体を突然両腕で抱き抱えると、自らも走りだした。
「あ、あのっ!」
何がなんだか分からないといった様子の小見が、ひっくり返った声を上げる。
「おっと、すまん。君を自宅へ送り届ける前に、面白そうだから三国さんを追いかける。あのオッサン、何か隠し事しとるな。夢がワクワクだ」
「はいっ?」
軽々と小見の体を抱え上げる増山の逞しい両腕の中で、小見は体を強ばらせ、ただ赤面している。そして、初対面の男が満面の笑みを浮かべながら発した、冗談なのか本気なのか分からないような可笑しなセリフに吹き出しそうになりながらも、それを必死でこらえた。
◆
一方、美嶺をマンションまで迎えに行った木下は、水族館へ向け単車を走らせていた。後方のタンデムシートには美嶺が乗っている。
軽快に国道を疾走する最中、不意に、木下がアクセルを緩めた。
『どうしたの?』
両腕は木下のウエストに回したまま、美嶺がフルフェイスのヘルメットに備え付けられたインカム越しに声をかけた。どうやら、木下のスマホに着信があり、その電話の主と通話しているようだ。
隼を路肩に停車させたまま、インカムへ何事か小声で囁いている。美嶺の装着するインカムの回線はオフにされていて、騒々しい単車の排気音のせいもあり、美嶺の耳には会話がまったく聞こえない。
「──美嶺さんごめん。急用が出来てしまった。これからマンションに引き返すことになるけど……」
自らのヘルメットを脱ぎ、体を後方へ捻ると、美嶺が被るヘルメットのバイザーを開け、互いの鼻がぶつかりそうになる程に顔を近づけながら悲壮な表情で呟いた。
「──嫌。私、帰らない」
美嶺の大きな瞳が、木下の両眼を見据える。その視線は力強く、自らの意思を曲げない決意に満ちていた。
「ついて行くよ。木下君が何をしてるのか、この目で確かめる」
「美嶺さん……」
美嶺の前髪がヘルメットの開口部から放射状に飛び出し、木下の長い睫毛が上下する度に触れて、まばたきの邪魔をした。
最早隠し通すことは出来ないと心中でため息をつくと、木下は再びヘルメットを被り、美嶺のヘルメットのバイザーをゆっくりとその手で下ろす。
いつになく真剣な眼差しになる木下を見つめ、美嶺はそこはかとない不安を感じ始めた。
(この子、いったい何を隠してるの?)
隠し事は大抵悪事である。
世の中には、知らなければ良かったと思う事が多々あることを美嶺は知っている。
しかし、木下の謎めいた部分を知らずにいることに、美嶺はこれ以上耐えられそうもなかった。




