駒
結論から言えば、ジャンはとても頼りになった。
門番に急病人だと告げて、シーツに包まれた瑛莉を城からあっさりと連れ出したのだ。馬で街まで移動し、旅に必要な物資を揃えるため早朝でも開いている朝市に立ち寄ることにした。
「では必要な物を揃えてきますので、絶対にここから動かないようにしてくださいね」
くどいほどに念押しをしてジャンは雑踏に姿を消した。
(至れり尽くせりな感じで申し訳ないな……)
下手に動き回って他の騎士に見つかってはまずいからと、大通りを避けた食堂で朝食を摂りながら瑛莉はジャンを待つことになった。朝から賑わいを見せるこの店は元傭兵の店主が営んでおり、客同士のいざこざもすぐに治めてくれる安全な場所だという。
素朴な料理はどれも丁寧に作られており、熱々のオムレツは絶品だ。食後にチャイのようなスパイスが効いたお茶を飲みながら待っていると、不意に袖を引かれた。
「姉ちゃん、こんなところで何してるんだよ」
「朝ご飯を食べていただけだが?」
そわそわと周囲を気にする素振りを見せるフリッツに瑛莉は事実だけを告げた。数少ない知り合いに出会うとは思っていなかったが、驚きを隠して平然とした表情を保つ。逃亡中なのだから目立つのはまずいし、下手に巻き込むわけにはいかない。
「……ディルクさんは知っているのか?」
「あいつは別に私の保護者じゃないぞ。ちゃんと護衛はいるから気にしなくていい」
瑛莉の正体を知っているフリッツには、一人で勝手な行動をしている聖女が危なっかしく見えるのかもしれない。そう思って付け加えた言葉だが、フリッツの表情は晴れないどころか更に不安が増したように見える。
「……あの護衛の兄ちゃんは、あんまり信用しないほうがいいよ」
「何故そう思う?」
反射的に返した声は自分でも意外なほどに静かだった。そんな瑛莉の反応に安心したのか、フリッツはさらりとその理由を告げる。
「あの兄ちゃんは神官長の駒なんだ」
フリッツのように貧民街に生まれながらも身を寄せ合い生きていく家族がいる一方で、見捨てられる孤児も珍しくない。そんな環境で全ての子供に手を差し伸べれば、孤児院はすぐに定員になってしまう。だから孤児院に入るには一定の資格が必要となるらしい。
それは例えば外見や性格、利発さや機敏さなど何かしらの才能を持つ子供が優先される。その中でも特に将来有望な子供は神官長より名前を与えられて、駒にするべく育てられるという。
「そういう奴らはこっちの事情にも精通しているから警戒しないといけない。だから名持ちの情報はすぐにこっちでは共有される」
「ディルクはそれを知っているのか?」
そう尋ねればフリッツは気まずそうに目を逸らした。
「……多分知らない。吹聴すれば駒の連中から狙われる。存在を知っていても触れないのがルールだ。……でも姉ちゃんはソフィアを助けてくれたから」
消えそうな声で告げたフリッツは嘘を吐いているようには見えない。ジャンと一緒にいる瑛莉を見かけて気になって様子を見ていたのだと聞けば心配してくれたのだと思う。一度騙されたとはいえ、あれは本当に肩を痛めていたので全てが演技だったわけでないのだ。
「教えてくれてありがとう。自分で何とかするからもう行ったほうがいい」
「姉ちゃんの立場なら大丈夫だろうけど、あんまりディルクさんに心配かけるなよ」
小声で告げて素早く店を出て行ったフリッツを見送った瑛莉は大きなため息を吐いた。
順調に思えた脱走だったが、にわかに雲行きが怪しくなったのだ。
(……でも意外とショックじゃないのは何でだろう?)
奇妙なことではあるが、どちらかというと安心したというか肩の荷が下りたような気分だった。親身になってくれた相手が実は別の人物のために動いていたと知れば、悲しんだり傷ついたりするのが普通だろう。
少し考えて回答に思い至った瑛莉は納得するとともに苦い笑みを浮かべる。
(そのほうが私にとって都合が良いからか)
ジャンのことは嫌いではない。他愛ない雑談は楽しかったし、細やかな気配りに助けられたことも多く、珍しく好意的な態度を示してくれる貴重な人物だ。
だからこそ同行を申し出てくれた時は、申し訳ない気持ちの方が強かった。自分のせいで他人が損をするのは落ち着かない。それはどこかで瑛莉が誰かに甘えることを許容できず、他者に一線を引いているからだと昔「先生」に指摘された。
ジャンが他の目的のために瑛莉を助けているのだとしたら、借りを作りたくない瑛莉としては気が楽だった。
とはいえまずはジャンが本当に神官長の命令で動いているかどうか、確認しなくてはならないだろう。
「ディルクと合流できるのはいつぐらいになりそう?」
「申し訳ございません。副団長と連絡を取る手段がありませんので、はっきりとお伝えできないのです」
困ったように眉を下げるジャンはいつも通りで、でもその返答が嘘でもないが本当でもないのだと瑛莉には分かった。
ディルクについて訊ねた時だけジャンは曖昧な返答しかしないのだ。嘘を吐くことに罪悪感を覚えるのか、不要な情報を与えないようにしているだけなのか分からない。
ただ瑛莉はそれでもジャンを嫌悪することはなかった。
「うん、じゃあ質問を変えるよ。ジャンは私を何処に連れて行くつもりなんだ?」
「……エリー様」
たとえ他の役割を担っていようとその気質や性格まで偽っていたわけではないのだろう。焦燥に揺れる瞳がジャンらしいと思って、瑛莉は小さく笑った。
「ここまで連れてきてくれてありがとう。後は一人で行くよ」
馬の扱いに慣れているわけではないが、簡単な扱い方は教えてもらった。ジャンは瑛莉が一人で馬に乗ることに抵抗を示していたが、二人分の体重が掛かれば馬の速度は格段に落ちる。安全面でいえば馬車のほうが間違いないものの足が付くし、先に距離を稼いでおいた方がいいということで、瑛莉の主張が通ったのだ。
「お待ちください。エリー様に危害を加えるつもりはございません。ただトルフィ村は本当に危険でお連れするわけには行かず――っ?!」
馬から下りて瑛莉に近づこうとしたジャンの身体がぐらりと傾いた。膝をつきこちらを見上げる眼差しは困惑と混乱が見て取れる。
「毒じゃないから安心して。悪いけど荷物は貰っていくね」
救護院でお世話になったメディ先生にこっそりもらった睡眠薬を先ほど渡したお茶に混ぜておいたのだ。不眠気味だと訴えて手に入れた薬はいつか何かの役に立てばという程度だったが、ジャンに使うことになるとは思わなかった。
「っ、エリー様!危険です。それに、副団長はまだ――」
必死で止めようとするジャンに構わずに、教わった通りに馬に合図をすれば小走りに動き出す。手綱を握りしめ進行方向に注意を払いながら、瑛莉は村の方角に馬を走らせたのだった。




