八つ当たり
気づいたのはその日の夕食の時だった。
(………何か、美味しくない)
何かが足りないというわけではなく、ここ最近出されているちゃんとした食事なのにどこか味気ない。美味しいはずなのにと思いながらも、残したくないという気持ちからもそもそと完食する。
熱や頭痛などの症状もなく、身体に異常は見当たらない。
「ストレスかな……」
心当たりは山ほどある。どうしようもないことを気にしても仕方がないと頭では分かっていても心が納得するかは別だ。
(うん、寝よう)
とりあえず眠ってリセットしようとベッドに入った直後にノックの音がした。
夜中に誰だよ、と内心毒づくが普段よりも二時間以上早い就寝なので、仕方なく返事をしたのだが、すぐに後悔した。
(寝た振りをすれば良かった……)
いつもなら何も思わないのに、ディルクの顔を見た瞬間、感情がざわざわと波立った。頭の回転が速く目ざといディルクなら、今の状態を見透かされてしまうかもしれない。そうなれば瑛莉はこの苛立ちをディルクにぶつけてしまうだろう。
「――どこか悪いのか?ジャンからは報告を受けていなかったが……」
ベッドの上にいた瑛莉を見て、ディルクは気遣わしげな声を掛ける。
「……少し疲れただけだ。用件は?」
なるべく苛立ちを出さないようにと思うのに、いつもよりそっけない声音になった。失敗したと思うが、一度口に出したものは取り消せない。
「ああ、大したことじゃないんだが、街に出たついでに土産を買ってきた。明日にでも食べてくれ」
かさりと音をたててディルクが机の上に置いたのは、焼き栗の包みだった。
(やっぱり見間違いじゃなかったんだな……)
瑛莉に持ってくるぐらいなのだから、当然自分の分も購入済みだろう。渡さなくて良かったと思う反面、わざわざ購入した自分が馬鹿みたいに思えてくる。
「いらない」
他に言い方はあったと思う。同じものを買ったからと言えばいいのに、会話を続けたくなくて短く拒絶する言葉だけが口から滑り出た。
「エリー?」
(友達でもないくせに……)
親しい間柄のように、心配そうな声で呼ばないで欲しい。これがただの八つ当たりであることは分かっているのだ。それでも抑えきれない感情が溢れ出しそうで、顔を上げていられなくなってベッドに潜り込む。
子供みたいだと冷静な自分が冷ややかに囁くが、きつく目を閉じて耳を塞ぐ。成長していない自分が悔しくて瞼の裏が熱い。
(泣いちゃ駄目だ。泣いても何も解決しないし、それほどのことじゃない)
誰にも相談できなくて苦しんだことも、擦れ違った家族連れを羨んだことも、もがきながら耐えながら全部一人で我慢してきたのに――。
「先生」と会う前の自分なら大丈夫だった。でも今は受け入れてくれる安心を支えてくれる心地よさをを知ってしまったがゆえに、心がささくれて弱っている。そのせいで孤独だという事実に簡単に気持ちが揺さぶられてしまうのだ。
(恥ずかしい……みっともない……これじゃ駄目な子だ)
頭に浮かぶ言葉に落ち込み、胸が詰まる。自傷行為だと分かっているのに、自分を責めたくなるのは昔からの癖のようなものだ。他人を責めるよりはましだと思うが、「先生」にはどっちもどっちだと言われたことを思い出して、自嘲的な笑みが浮かぶ。
(――っ!)
くるまった毛布越しに大きな手のひらが瑛莉の背中に当てられた。思わず硬直し息をひそめた瑛莉をあやすかのように一定のリズムでトントンと優しく叩かれる。
「触るな……出てけ」
くぐもった声は小さくて情けないほどくしゃくしゃだった。束の間止まった手が、またリズムを刻みながら柔らかい声が落ちてくる。
「話したくないなら話さなくていい。でも落ち着くまでは側にいるからな」
いつもと違う優しい声は見透かされているようで嫌いだ。労わるような手つきから伝わる温かさも、穏やかな雰囲気も心地よくて、大切な人を思い出して悲しくなる。
「――帰りたい……家に帰して」
絶対に言わないと決めていた言葉を口にした途端に涙が溢れた。帰れないことを受け入れているつもりだったが、それを他人から現実として突きつけられるのを本当はずっと恐れていた。
「………すまない」
僅かな沈黙のあと、苦しそうにディルクはそう言った。
(だから言わないって決めてたのに……)
瑛莉の思考がはっきりしていたのはそこまでだった。我慢していた感情が限界を超えた瑛莉はしゃくり声を上げながら、涙が果てるまで泣いたのだった。




