一抹の寂しさ
「エリー様、本日は夜市が開かれるようですよ。お帰りの前に立ち寄られますか?」
にこにこと柔らかな笑みを浮かべて告げるジャンに対して、エルヴィーラは僅かに眉をひそめて難色を示す。
「事前に決められた予定と別の行動を取ることはあまりよろしくないかと。それに人出が多い場所は警護も難しくなるのではないですか?」
「うーん、ちょっと考えるわ」
ジャンの気遣いとエルヴィーラの懸念はどちらも分かるため、瑛莉は一旦返事を保留することにした。
仲が悪いわけではないのだが、二人の間で意見が分かれることが多く最終的な判断は瑛莉に委ねられることになる。
(今まではあんまり接点がなかったからな……)
お茶会の翌日、ヴィクトールが訊ねてきて瑛莉に対するお咎めはないこと、マリエットが1ヶ月の謹慎を言い渡されたことが伝えられた。どこか暗い表情を浮かべていたため、本当に大丈夫なのか不安になったが、確認すれば王太子の言葉を疑うのかと難癖を付けられはたまらないので我慢した。
それ以降ヴィクトールと顔を合わせることもなく、まあいいやと気に留めずにいる。
ただ万が一を考えて、外出時の担当をジャンに王宮内での担当をディルクに変更してもらった。護衛と逢引していた噂はディルク相手には立てられないと踏んだからだ。爵位持ちであり王女のお気に入りの第二騎士団副団長を敵に回したくはないだろう。
「焼き栗の屋台も出ていて小粒ですがほっくりと甘くて美味しいですよ」
「……ねえ、食べ物さえ出せば釣られるって思ってない?」
じっとりした目でジャンを見ると否定しながらも笑っていて、エルヴィーラは小さくため息を吐いている。ちょっとむしゃくしゃするが、頭の片隅に美味しそうな焼き栗が浮かんでいるのも事実だ。
(気が乗らない仕事のためには多少のご褒美も必要だよね……)
自分に言い訳をしながら瑛莉は仕事帰りに夜市に行くことを決めたのだった。
「本日は神官長が不在のため私がご同席させていただきます」
そう言って瑛莉を出迎えたのは副神官長のロドリーゴだった。神殿に通うようになってそれなりに日は経っていたが、会うのは今日が初めてだ。
(神官長とはまた違ったタイプみたいだけど、なんか相性悪そうだな……)
エルヴィーラの保護者のような存在だとは聞いていたので、真面目そうな印象は納得できる部分である。折り目正しく淡々と説明する様子は神官長と正反対なようで、瑛莉はそんな感想を抱いた。
「エルヴィーラはお役に立っておりますでしょうか?」
エルヴィーラが患者を迎える準備をするため、席を外した際にロドリーゴは瑛莉に訊ねた。
「はい、真面目でしっかり働いてくれるので助かっています」
エルヴィーラを気に掛けるような問いかけに、意外と愛情深い性格なのだろうかと瑛莉は思った。
「……聖女様にそう言って頂けるのでしたら何よりです。先日もあの娘のことでご迷惑をお掛けしたようなので、気に掛かっておりました」
「……大したことはしておりませんよ。エルヴィーラは私の侍女ですから」
迷惑とは恐らくエルヴィーラの父であるジョエルの件だろう。瑛莉が取った行動の詳細――レンガを投げつけたことまでは知らせてないと信じたい、そう思いながらさらりと流そうとそう告げた。
ロドリーゴはそれ以上何も言わず、患者が待つ応接室へと瑛莉を促す。
(……何か変なことを言ったか?)
瑛莉の言葉を耳にした後、ロドリーゴが一瞬不快そうなに目を細めたことを見逃さなかった。
城に戻ったらロドリーゴの情報をディルクから得ることを頭にメモして、瑛莉は何事もなかったかのように外向けの表情を作りながら応接室へと向かった。
「焼き栗とこの前のプラリネのお菓子が食べたい……」
治癒自体は大した労力ではないのに、貴族相手だとその前後の問診という名のお喋りが非常に面倒くさい。内容は5割自慢で3割が愚痴、残り2割が文句である。
いつもなら相手の機嫌が下降する前に、ダミアーノが機嫌を取ったり別の話に誘導したりと調整するのだが、ロドリーゴはそちらの方面が苦手なのかほとんど口出しをしなかった。その結果相手の機嫌を損ねてしまい、いつもよりも時間と手間、精神的負担がかかってしまったのだ。
おまけにロドリーゴはどこか探るような目で瑛莉を見ていて、気が休まらない一日だった。
「代わりに買って参りましょうか?」
エルヴィーラの申し出に瑛莉は首を横に振る。食べたいなら自分で買いに行くべきだし、帰る前に気分転換をしたほうが良いだろう。
夜市と言っても夕方から店は出ており、神殿から近い場所にあったため瑛莉はジャンとエルヴィーラと一緒に徒歩で目的地へと移動した。
「結構人多いね」
「夜になるとさらに増えますよ。今の時間帯はまだ明るく子供連れの家族などが多いですが、ご注意を」
背後からジャンに囁かれて瑛莉は素直に頷いた。物珍しさもあってきょろきょろと見回していたが、土地勘がない田舎者やお忍びの貴族は格好のカモになる。
幸い目当ての焼き栗の屋台はすぐに見つかり、列に並んでいるとジャンが独り言のようにぽつりと呟いた。
「副隊長も好きなんですよね、これ」
ジャンを見れば口元を押さえる仕草がわざとらしく、目が笑っている。無視することもできるが、ここでディルクの分を買わないのは大人の対応として間違っている気がして、仕方なく四人分購入することになった。
プラリネ菓子も同じように購入して神殿のほうへ戻っていると、視界の端に白金色がよぎる。
顔を向けると一組の男女が路地裏に消えていくところだった。男のほうは一瞬だけだったがディルクに間違いない。
「エリー様?」
「……あ、ごめん。何でもない」
ジャンに声を掛けられ、足を止めていたことに気づいた瑛莉は再び歩き始めた。何故かジャンに告げる気にもならず、自分が見た光景を思い出す。
一緒にいた長い髪の女性が誰なのか気になったが、それは瑛莉が詮索することではない。ディルクとて独身の若い男性で、付き合っている女性ぐらいいるだろう。
当然のことなのにどこか胸が重くなる。
(……私だけ、なんだよな)
ディルクだけではなく、ジャンもエルヴィーラも知人、友人、家族など仕事以外での人間関係を築いている。
元の世界から召喚された瑛莉には、聖女という立場から行動も人との交流も制限されており、また生き抜くために頭を働かせることで精一杯で、友人関係を育む余裕などないのだ。
一抹の寂しさを感じるが、今はそれどころではないのだと自分に言い聞かせる。
(とりあえずディルクの分は自分で食べよう)
そう考えれば胸のもやもやも幾分ましになった気がして、湧きあがった気持ちに蓋をしたのだった。




