63 分かること
珍しく、僕が見守る中で眠りに落ちた顔を眺めて、そっと立ち上がる。
足音を立てないよう師匠の部屋を出て、久しぶりの自室へ向かった。
あちこちに傷はあったものの、大きなダメージと言えるようなものはなく、ほうっと息を吐く。
ただ、あれだけ動いたのだもの。きっと熱が出るだろうし、薬を飲ませておいた。
凄いな、師匠は。僕だったら、秒ももたずに食べられていただろうに。
あの身体で、何度も攻撃を避けて。
ヴェルさんを見ても分かる。師匠が、全盛期にどのくらい強い冒険者だったのか。
師匠の部屋、窓のすぐ下にはヴェルさんがいる。
きっと、感じるだろう。その存在感、魔力の温かさを。
堪えきれない笑みが浮かぶ。
ねえ師匠、とびきりのお薬が来てくれたね。
あんな師匠を見たのは初めてだな、と思い返したところで、思わず顔を覆った。
目を丸くして僕を見る、師匠の顔。
苦笑して視線を落とした、表情。
「僕……どうしよう」
どう考えても、言っちゃいけないことを言ってしまった。
分かっていたのに。知っていたのに。
幼児じゃあるまいに、怒りに任せて、ごめんなさいではすまないことを。
暗い部屋の中、力なく背中で扉を閉めて、溜息を吐く。
「僕……酷い人間だ」
「何の話だ」
思いもよらず声が返って来て、文字通り飛び上がって側の棚にぶつかった。
シェイクされている心臓を押さえて、何とか笑う。
「ディ、ディアン。起きてたの? びっくりした……」
起きてるも何も、むしろ、すっかりディアンがいることを忘れていた。だって、僕の自室に人がいるなんてことがなかったものだから。
運び込んだソファのせいで、床がほとんどなくなってしまった室内で、ディアンが窓辺に座っている。
ゆっくりソファに移動したディアンを見て、僕も隣に腰かけた。
ちら、と僕を見たディアンが、いつかの夜のようで首を傾げて見上げる。
そして、ハッとした。
「あ、あのね。僕……怒ってたでしょう」
「ああ」
こくり、喉を鳴らす。
本当だ。僕、こういうことをディアンに言ってないかもしれない。
ううん、ディアン以外にも、誰にも。
本当だ。これって、中々言えるものじゃないんだ。
カサカサになった唇を舐めて、目を泳がせて、誤魔化そうとする僕を振り払って口を開く。
「その、それで。僕……師匠に酷いことを言ったから。だから、どうしようかと思って。だって、謝ってすむことじゃない」
「どこに、謝ってすむことがある」
「え?」
どういうことだろう、と目を瞬かせると、ディアンは不機嫌そうにぼそりと告げる。
「そういうの、うぜえ。謝ったからって、どうにかなると思うな」
じ、とディアンを見つめて言葉を探る。
ディアンは、一生懸命僕に伝えてくれているから。
「あ――そっか。ごめんねは、どうにかしてもらうためじゃないね」
「……」
にこっと笑った僕に、ディアンが意外そうな顔をする。
大丈夫、分かったよ。
「僕、ごめんねって言うよ。ディアン、ありがとう」
「は? ……どう受け取って礼を言ってんだ」
フン、と鼻を鳴らしたディアンが、どこか気まずげに視線を揺らす。
下手くそだなあ。そんなに伝わらないと思っていたなら、もうちょっと伝わる言葉で言えばいいのに。
くすっと笑って、軽くなった胸から息を吐き出す。
明日、ごめんねと言って。そして、大好きって言おう。そうしたら、師匠は『ごめんね』を片付けなくてすむ。
静かな部屋の中に、外からいろんな音が入って来る。
暗闇に慣れた目に、月明かりが明るいほどで。
……あんなことがあったとは思えないほど、今はもう、静かだ。
「――酷いとは、思わねえ」
うつら、としかかった時。低い声が闇に紛れるように零れ落ちた。
ばちっと開いた目で、窓の外を見るディアンを見上げる。
「何もないのが、イイわけねえ。空っぽには、ならねえ。必ず何かが、残る」
確信しているような声音が不思議で、その橙を見つめる。
まるで『その時』を、残った『何か』を、知っているみたい。
尋ねようと口を開きかけて、閉じた。
ディアンのしっかり閉じられた唇が、それ以上は漏らさないことが分かるから。
「そっか……。ディアンは、そう思うんだ。じゃあ……ちょっとは、よかったかも」
えへ、と笑うと、ディアンが意地悪な顔をした。
「中々いい啖呵だった。『未練を抱えて死ね!』か」
「そっ、そんなこと! 言ってな……言って、ない……」
尻すぼみになる声と、しおしお小さくなる僕。
ああ僕、なんてことを。
でも。それでも。
「俺は、いいと思うけどな?」
にや、と笑うディアンがあからさまに小馬鹿にしていて、涙目で睨みつけた。
「ひどいよ! 僕、真剣なのに!」
「痛て」
思い切り胸元にたたきつけた拳は、難なく受け止められ、ぺちっと申し訳程度の音が鳴る。
もう知らない! と憤慨してベッドへ飛び込むと、頭から布団をかぶった。
こんなに腹を立てているのに、どうしてか、涼やかな胸の内に余計に腹が立つ。
そして、みるまに忍び寄る睡魔と格闘していた僕は、ディアンの小さな声が聞こえなかった。
『いい、っつったんだ。後悔より、ずっと』
◇
「――あと、これね! これを売っていたお店が、また凄くってね、びっくりするくらい――」
「お前は全部同じ感想だな。もっと語彙を増やせ」
「ルルア、くだらねえこと言ってねえで早くしろ」
師匠に言われたくないんですけど?! お土産について駆け足で説明しているっていうのに、師匠は聞き流すし、ディアンは急かすし!
事あるごとに睨み合う橙と琥珀を見て、溜息を吐いた。
少しは、打ち解けたと思ったんだけど。どうにも、この二人は相性が良くないらしい。
「てめえ、誰のおかげで町まで帰れると」
「コイツだろ。別にアンタの使い魔でもねえ」
どこか生ぬるい視線を送っているヴェルさんと視線を交わして、ディアンを引っ張った。
「分かったから! 行こっか」
本当は、もっと滞在したかったんだけど……。今回の魔素災害について、ドラゴンまで出て来たことの報告をしなきゃいけないそうで。
師匠が行くはずがないので、僕らが代わりに取り急ぎ帰ることになってしまった。
お土産は、ヴェルさんが持ってきたドラゴンの片翼。こ、こわ……。
ヴェルさんが送ってくれるというので、わくわくしながらその背中に……乗れなかったので、ディアンに乗せてもらった。
ひょい、と後ろへ飛び乗ったディアンが、不安定な僕を支える。
「じゃあね、師匠。また来るからね!」
「うるせえ」
ものすごく不機嫌な顔をした師匠に、くすっと笑った。
来るなって言わないんだ。
「師匠、毎日お肉は手の平大よりたくさんと、野菜は5種類以上を――」
「うぜえ、行け」
まだ途中なのに! ふわり、舞い上がったヴェルさんに慌ててしがみつく。
思い切り後ろへ転がりそうになった身体は、無事ディアンで止まった。
「う、うわあ……凄い!!」
「お前の感想じゃ、何も分かんねえな」
「師匠みたいなこと言わないで?! 僕も今何も分かんない! こ、怖い!」
むしろ、こんな状況でどうしてディアンは落ち着いてるの?!
ぐんぐん上がっていく高度と共に、尻が浮いたり沈んだりする。
「目ぇ開けてろ。飛んでんだ」
「飛んでるのは分かってるよ! 他に何が分かるって言うの!」
言われて初めて、目を閉じていたことに気が付いた。
そろっと開けた視界は、ふわふわした美しい被毛でいっぱいだ。
風に揺れる毛並みは、日差しに柔らかく踊って、楽しそう。
「……怖くないのは、分かったかも」
微かに笑う声がした。
「てめえと組むと、色々……分かりそうではある」
「何の話?!」
振り返った顔を押し戻され、『前向いてろ』と怒られた。
耳に、風が聞こえる。
お尻の下がふわふわ温かい。
ゆったり、翼をはためかせるヴェルさんの周りを、グリポンがちまちま飛び回る。
明るい日差しを頬に受けながら、間近な空を見上げた。
すごい。こんな贅沢な旅。
「ねえ、ヴェルさん。お願い、なるべくゆっくり行って!」
「クァ!」
心得た、と頷いたヴェルさんに笑って、僕は思い切り後ろへ体重を預けて力を抜いた。
あけましておめでとうございます!
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
お正月を甘く見てました。更新遅れてすみません!
これで一旦大きな区切りです。(少し次回投稿空けるかもしれません)
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