26 ディアンの思惑
イラつくほど、明るい月明かりの夜。
「野郎は……どういうつもりで、コイツを」
ごろりと寝返りを打ち、健やかな寝息をたてる間抜け面を眺めた。
結果としてルルアを救ったとして、ヤツの目的自体が己のためであることに変わりはない。
たまたま蹴飛ばした犬が、そのおかげで馬車に轢かれずすんだとして、犬は蹴飛ばした者に感謝すべきだろうか。
いや、ディアンならそう思わない。蹴飛ばしたヤツも、馬車のヤツも、両方に噛みついてやる。
なのに、こいつときたら。
蹴飛ばしたヤツどころか、馬車にだって轢かないでくれてありがとうと言いそうな様子だ。
「犬の名前が、なんだっつうんだ」
ディアンには、分からない。そんなことがあり得るのだろうか。それは、許される行為なのだろうか。
しかし、その行為を否定すればルルアの存在は――。
舌打ちして、腹いせにルルアの小さな鼻をつまんだ。
ぎゅ、と眉根を寄せていやいやする仕草は、ほんの幼子のようで笑える。
「これで起きねえのかよ。こいつ、寝てるうちに死ぬんじゃね」
そう言ってから、面白くない顔をする。
なぜ、こうも安心しきって眠るのか。眠れるのか。
その答えが明白だから。
だってディアンは、こんな風には眠れない。
もう一度舌打ちして、背を向けた。
せっかく逃げられたんだ。しばらくは……ディアンが面倒を見るしかないだろう。
明日は、どうするか。
あんな男のことが欠片もよぎらないように。
戻りたいなんて、考えないように。
「……なら、ダメじゃねえか。俺だと」
まず、俺から逃げたくなるのがオチだろ。
あまりに不向きだと自嘲して、目を閉じた。
気に入られていたから……ローラにでも頼むか。
いや、でも。
ルルアは、まるで生まれたばかりのヒナだ。
きっとディアンよりずっとずっと頭がいいはずなのに、何も分かっていない。
「知った方が、いいのかもな」
俺を怖がるようになれば、一丁前、かもな。
もう一度口の端をあげて、ディアンは背中の呼吸に耳を澄ませたのだった。
◇
外が、少しずつ明るくなっていく時間。
天井のひび割れが、少しずつ鮮明になっていく。
森とは違う、朝の匂い。
賑やかだな……色んな音がする。
人の、声がする。
たくさんの人が、いる気配。
僕、町にいるんだな。くすぐったい気持ちで、少し掛物を引っ張り上げた。
うふふ、と声が漏れそうで、慌てて毛布で口元を覆う。
ちら、と視線を向けた先では、息をしているのかと心配になるほど静かなディアン。
師匠も寝ている時は静かだけど、ディアンは、何と言うんだろう……。息を殺している、そんな感じ。寝ているのにね。
まじまじ眺めてみたけれど、反応しないところを見るに、ちゃんと寝てはいるのだろう。
起こさないように、そっとそっと寝台を抜け出して、伸びをする。
この時間なら、もしかして朝食の手伝いができるかも。
洗ってもらった靴を履いて、抜き足差し足、部屋を出ようとした。
「どこへ行く」
「わっ……起きちゃった?」
ごめんねと駆け寄って、本当は起きていたんだろうか、と疑り深く覗き込んでみる。
「ディアン、起きてたの?」
「寝てたわ」
「だって僕、すっごくこっそり動いたのに」
「どこが」
鼻で笑われ、唇を尖らせた。
どうやら僕、ディアンたちからすると『とてもドン臭い』らしい。
「ディアン、眠れた?」
「……なんで」
「だって、僕邪魔じゃない?」
「拾って来たのは、俺だ。『俺が責任もつ』んだろ?」
へっ、と悪者みたいな顔で笑って、ディアンが伸びをする。
僕、拾われたつもりはないんだけど! そりゃあ、結果的に助けてもらったんだけど……。
「あの、僕迷惑かけないようにしようと思ったの! だから、町の事とかもう少し教えてもらったら、もう大丈夫だから!」
「何も大丈夫な気がしねえ」
「ひとまず、ここでお仕事するんだよね? 僕、子どもたちと一緒の場所で寝られると思うよ。みんなもお仕事するんでしょう?」
子どもたちは雑魚寝だと言っていたから、僕が入る余地はあるんじゃないかな。
そう思ったのだけど、ディアンは思案気な顔をする。
「お前、一応10歳だろ。そのくらいの年だと、一緒に寝ねえ」
「そうなの? どこにいるの?」
「ま、既に卒業か、卒業目指して何かやってんな。あんまこっちへ戻らねえよ」
「そ、そっか……」
僕がのうのうと気楽な生活をしている間に、ここの子たちは立派に生活できるようになっているんだな。
しゅんとした僕を見て、ディアンが苦笑した。
「お前が気ぃ使うなら、俺が出てもいい。この部屋を使え。俺も飯とって来たり、護衛まがいのことする代わりに間借りしてるだけだからな」
「ううん! それなら僕が出ればいいんだから!」
「お前は出せねえよ……」
どうして?! 今、10歳になる子はそうしてるって言ったばかりなのに。
薄々自分でも無理だろうな、と思いつつむくれる。
だって僕、町で何をどうしたらいいか全然分からないもの。
はあ、と溜息を吐いたディアンが立ち上がって扉の方へ向かう。
目で追っている僕を振り返り、じとり、と橙の目を細めた。
「ドン臭ぇ……ついて来い」
「あっ! うん!」
弾むように飛び上がって、その背中を追いかける。
口で言ってくれれば分かるのに! まったく、師匠にしろディアンにしろ、どうしてそれを省略しようとするんだろう。
「どこに行くの? もう朝ごはん?」
「違ぇよ。町に出る」
「えっ! ごはんは?!」
くっ、と背中で笑われた気がする。
「飯のことばっかかよ。町で食え。ひとまず、てめえは町を歩いた方がいいだろ」
「いいの?! ディアン、用事はないの?」
「俺にそんな大層な用事があるわけねえだろ。お前は町で素材を換金して、何をしたかったんだ」
じゃあ……いいの?!
わくわく弾む心が、僕の足まで弾ませる。
「あのね! 僕、世界を知ろうと思って! 知らないものも、知らないことも、たくさんあるでしょう? 選書魔法を使うには、使おうとするための変化がいるんだって……ディアンに教えてもらったから!」
「……そんな高尚なことを教えた覚えはねえよ。世界を知るってお前……せいぜい知れるのはこの町だ」
うんざり、といった顔をするディアンに笑って、声を弾ませる。
「それで、町でいろんなことを知ったら、師匠に『いいこと』が見つかるかもしれないって思って。すっごく美味しいものとか、楽しい古代魔法とか! あ! そうだ、師匠にお手紙を出さなきゃ!」
「……は?」
ピタリと足を止めたディアンが、口を開けて僕を見た。
まごうことなき、『驚き』の顔。そして、徐々につり上がる眉とぎらりと光る目は――。
ディアンの表情って、すごく分かりやすい。
のんびりそんなことを考えながら、僕はディアンの怒鳴りを聞いていたのだった。




