25 ルルア
しん、と静かな暗がりの中、すうっと息を吸い込んだ。
高めた魔力で、ほんのり体が燐光を帯びるのが分かる。
魔法って、綺麗だ。僕、とても好きだよ。
師匠が、魔法を使っている所――もっと見てみたかったな。
僕が来た頃は、まだ少し使えたのに。
ともすれば霧散してしまいそうな集中を取り戻し、師匠の声を思い出しながら詠唱を紡ぐ。
細く編み込んで行く魔力が複雑に絡み合い、文字となる。
魔法の力を秘めた古代文字が、光となってぐるぐる僕を取り囲んでいく。
ひとつの魔法になるべく、単語になり、文章になり、意味を、魔法を重ねていく。
厚みを増していく魔法が、あたかも本を編むようでうっとり唇を引いた。
詠唱など、さっさと省略しろって師匠は言うけれど……僕には、結構難しいことで。
たった一度、指を鳴らしただけで魔法を発動させた師匠を、脳裏に思い描く。
「――トトス・レク・ナイア……選書魔法! 僕に、教えて!」
ぱちんと、手を合わせた。
ひゅっと僕の手の中に吸い込まれた魔法文字。
そのまばゆく輝く手のひらを、そっと広げる。
溢れる金色の光に陶然と息を吐いて、引き寄せられる本を待った。
占術と、引き寄せと、サーチと……あとは何だっけ。色々な古代魔法をベースに構築された、不思議な魔法。人の内面を知る、魔法。
前の王様が、とても重宝したはずの魔法。
ふわり、空間を漂うように舞い降りた本を抱きしめる。
「……えっ? 『貴族の会話術』? どうしてこんな本?」
選書魔法は、こういうことがよくある。
でもね、選書した本人が読めば、理解できることが多くて――ほら。
「あ、これだ! 表情変化の分析……へえ、面白いね。師匠の顔はきっと、『ビックリ』だよね!」
そうだろうと思ってはいたのだけど。でも、別にビックリするほどのことでもないと思ったんだ。
だから……微かに引っかかった違和感を消したくて、きっと僕は調べようとしたんだろう。
「うん、これでいくと、合って……あれ?」
間違いなく驚きの顔だ、と結論付けようとして、別の記載が目に留まった。
「『恐れ』――?」
僕は、丹念に読み比べた。
『弛緩』をベースとする『驚き』と、『緊張』をベースとする『恐れ』。
だったら、あの時の表情は……。
それは、一体何に対して?
……絵姿が怖い? でも、師匠はそれ自体を嫌がっていなかった。
他に、何があったろう。その時そこには、僕しかいなかったのに。
ふと、ポケットに入れた球を思い出した。
「これが怖いなんてこと、ないと思うけど」
でも、ヒントにはなるかもしれない。
そう思って、僕は選書魔法を使った。
◇
「似合わねー、あのロクデナシに犬とか」
「かわいい犬だったよ。小さくて白くて」
師匠の話なら、何を言っても不服そうなディアンに笑った。
「で? 誤魔化してんじゃねえぞ。それがお前と何の関係あるんだよ」
「あるの! ……多分、だけど」
急に低く凄む声に苦笑して、やっと半分以上食べ進めたパンに視線を落とす。
「選書魔法で聞いてみたんだ、師匠の部屋で見つけた球のこと。『封印球』ってものみたいで、濁っているのは、使用後ってこと」
「封印て、何を封印?」
「うん……すごく、難しい魔法なんだけど。普通は大魔法なんかを封入して使うんだ」
「へえ。それをいっぱい持ってりゃ、無敵じゃねえか」
ふふ、そんな簡単に量産できるものじゃないんだけど。
先を促す視線に少し微笑んで、指を一つ立てた。
「もう一冊、あったんだ。選書魔法が導いた本」
「ふうん、どんな」
「魂と魔力の本」
分かっていない顔のディアンにくすりとして、少し説明を足しておく。
古代魔法において魂と魔力って、密接に関連しているってこと。
「たとえばさ、魔物でもいるじゃない? ゴーストみたいな実体のないやつ。ああいうのは、魂がほとんど失われて、ただの高魔力体みたいになってるんだって。だから、魂も魔力に近い扱いができるんじゃないかってこと」
「へえ、全然分かんねえわ」
「ええ……。つ、つまりね、師匠はきっと……魂を一部封入したのかなって」
「一部?」
「うん、だって魂って魔力に換算すると物凄い量だから、全部は無理だよ」
ディアンがまた分からない顔をするから、やっぱり言わない方が良かったのではと苦笑した。
だってこれ、全然ディアンに関係ないお話だもの。
「一部の魂なんか封印してどうすんだ。魔力として使うのか」
「うーん。そういうこともできるのかもしれない。でも師匠、魔力に困ってなかったから。ただ、持っていたかっただけかもね」
「はあ? そもそも、誰の魂だよ。人間嫌いなんだろ」
「そう。だから、あの箱の中の……」
「おいおい、犬?! わざわざ犬のを?! なんかの実験か? まあ、犬の魂なら……下手してゴーストとかになったりもしねえのか?」
もう……ディアンの師匠評価が低すぎる。
僕は、分かる気がするけどな。王宮を出て、不治の病を抱えて。あの森の中、師匠の側に唯一いたのが、あの子だったろうから。僕が、グリポンに側にいてほしいって思ったみたいに、きっと。
でもいくら魔法があっても、生来の寿命には勝てない。師匠も、その犬も。
それは、僕の想像でしか、ないんだけど。
「それで……最初に戻るんだけど。僕、孤児で、その数日は随分寒かったみたいで。たまたま師匠が見つけた時は、『3分の2くらいもう死んでた』状態だったみたいだよ」
「そういやその話だった」
「病気だとか、衰弱だとか、怪我じゃないものに回復魔法ってあんまり効果がないでしょう?」
「確かに?」
「だから、僕不思議で。瀕死の衰弱しきった子どもだよ? 抜けかけている魂をどうやってつなぎ止めたんだろうって」
それはもはや、蘇生に近い行為だと、回復魔法を学ぶ過程で知ったから。
「それで――……師匠は回復魔法を教えた手前、言い逃れできなかったんだろうね。『たまたま持っていた特別な封印球を使った』って言ったんだ」
「あ? 封印球って、さっきの……?」
思い当たったらしいディアンに、こくりと頷いた。
「その時は、それ以上聞いても勉強しろ、ばっかりで教えてくれなかったんだけど。選書魔法を使えるようになって、僕、封印球が何か分かっちゃった」
師匠は、どう思ってたんだろうね。
あの頃、弟子を探していたって聞いた。穏やかな最期のために、選書魔法で示された方法がそれだったから。
『もったいなかったから』。
いつだったか、どうして僕を助けてくれたのか、しつこく尋ねる僕にそう答えてくれた。孤児なんていっぱいいるのに、どうしてもったいないんだろうと思ったけど。
ディアンが言うには、全属性魔法自体が珍しいんだって。そりゃあ、もったいなかっただろう。
「僕、『特別な封印球』で魂を繋いで、生き返ったから。だから多分、元の僕と違うし、記憶もほとんどないんだよ」
「そうか。結局、全属性のお前を利用しようとしたことには、変わりねえな」
「もう、どうしたって悪者にするんだから。それで、僕に万が一どこかの貴族の血が入っていたとして、もうあの時死んじゃったよ」
「まあ……分からんでもねえけど」
少し息を吐いて、橙の瞳を見上げる。
「ふふ、僕、最初の頃よく言われたなあって。『お前は犬じゃねえだろ!』って」
「確かにお前は犬っぽい。それがどうした」
「どうしてそこだけ、師匠の味方するの!」
むっと頬を膨らませつつ、最後の一口を頬張った。
「……ねえディアン。ディアンの名前は、宝石のディアモンドから取ってるよね。とても、綺麗な名前だね」
「なんだ、急に……。まあ、そうだろうよ」
とても、とても硬い澄んだ宝石。『征服されざる、固い意志』の意味が本当に、ディアンに良く似合う。
「師匠はね、オルフェスっていうの。これは、オルフェイラスから取ってるよね、『始まりの火の精』の」
厳格で、偉大な火の精は、魔法使いの名前に相応しい。
みんな、大抵は何かに由来した名前をもっているって知ったから、僕も知りたかった。
「僕、名前なかったの。だって師匠、最初は『おい』とか『ガキ』って呼んでたから。でも、それじゃかえって面倒だから、『ルルア』って名前をもらったの」
「どういう名前だ? 聞いたことねえ」
「そうでしょう。僕も分からなくて、聞いたんだけど。でも、適当だって言って、教えてくれないんだ」
酷いヤツだ、と言いたげに顔を歪めるディアンを見上げ、少し微笑んだ。
「それとね……師匠は――犬の名前も、教えてくれないんだ」







