12 想定外の事態
「……今日はまだ来ねぇのな」
明るい光の差し込む小屋内で、ディアンは小さく呟いた。
見るともなしに見たのは、投げ出した脚に巻かれた包帯。
ルルアは律儀に包帯を巻くけれど、既に傷はほぼない。解熱薬を飲まなくても、もう不調もないように思う。恐らくこれは、『まだ怪我をしているんだからね?』というディアンへの牽制だ。
苦笑しながら立ち上がって、小屋内を歩いてみる。
平気とは言わないが、少々痛むくらい、どうってことはない。ただ、その程度では戦闘が難しい。
「魔物避けがありゃあ、出られるけどな」
とは言え、ルルアにああは言ったものの、彼が魔物避けをくすねてこられるとも思えなかった。
飢えていたのに、はちみつすら口にしようとしなかった彼には、相当な試練だろう。
「……くそ、腹減った」
ルルアの前では口が裂けても言えないが、このままではディアンが飢えそうだ。食の細い病人と自分しか知らないルルアは、ディアンがどのくらい食べるのか想像もできないだろう。飯抜きには慣れた身ではあるけれど、さすがに堪える。
ふいに、近づく足音に気付いて身構えた。
ルルアの軽やかな足音ではない。重く引きずるような――
「――ルルア!」
想定通りの人物に、一応警戒は解かないまま力を抜いた。
息を荒げて扉を開けたのは、あの『師匠』と呼ばれる男。
「……いねぇよ」
吐き捨てるように言葉を投げ、密かに眉をひそめた。
ルルアが、いない……?
こいつは大方、俺が連れ去ったと思ったのだろうが……。
ひとまず俺がいることに一瞬安堵して、隠れるところもない小屋内を見回している。
「……ルルアをどこへやった」
「知るかよ」
訝しむように細められた男の目が、ディアンを見下ろしている。
圧を跳ねのけるように睨み上げながら、それが琥珀色であることに気が付いた。
似ている、と言われたことが頭をよぎる。
ああ、この目つきの悪さ、確かに俺と似ているのかもな。
ディアンは、自嘲と共に思う。
……だから、反吐が出るほど嫌いだと。
しばし不毛なにらみ合いの末、嘘ではないと判断したのか、男は何も言わず踵を返した。
「おい、待てよ。ルルアはどうした」
僅かに逡巡して足を止めた男は、口を開かない。
こいつに協力はしねえが、ルルアに何かあったなら別だ。舌打ちしたディアンは、不本意ながら言葉を紡ぐ。
「……いねぇのか。使い魔と森にでも行ってんだろ?」
「この時間まで、俺の所に来ないはずがない」
つい、盛大に舌打ちが出た。
うぬぼれんのも大概にしやがれ……!
しかし、罵詈雑言が出るより早く、ぽつりと零れた言葉がディアンの耳に入る。
「――食事と、数日分の薬があった」
「なに……?」
ふら、と一瞬よろめいた男が、脚を踏ん張って立て直す。
出て行かない男の背中を睨みながら、ディアンも考えを巡らせた。
ふと、置かれた小瓶に目が留まる。
『これは万が一、熱が出たり内火が起こった時用ね』
『あと、おやつも置いておくね』
おやつならば、ルルアがいる時に食うべきだと……腹が減るから開けもしなかったカゴを開けた。
パン、干し肉、干し麦……どう考えても、ルルアが持って来ていた食事と同等の内容に愕然とする。
肩越しにディアンとカゴを確認した男が、唇を歪めた。
そのまま小屋を出ようとする男に、ディアンが食って掛かる。
「まさか、ルルア一人で……?! おい! ルルアは一人で森を抜けられるのか?! 戦闘は?!」
魔法の腕はある。ああ見えて、慣れている可能性も――
しかし、ディアンへの返答は、足早に小屋を出る背中だった。
「待てよ! てめえは気に食わねえが、ルルアは恩人だ! 俺が探す。てめえよりは動けんだろ、方角の目星は?!」
追いすがったディアンが、男の胸倉を掴んだ。
広大な森の中、あてずっぽうに飛び出して見つけられるはずがない。
絡んだ橙と琥珀の視線がにらみ合い、琥珀が揺れて外れた。
「選書で……、聞いたはずだ。なら、西の旧林道」
「くそっ、そこへ出るまでに魔物に遭遇するだろ?!」
「……魔物避けが、一つなくなっている」
「一つ……! 間に合うか?!」
ぎりっと歯を鳴らしたディアンが剣を取った時、男が何かを投げつけた。
咄嗟にキャッチして睨みつけ、掴んだものに視線を落とす。
「収納袋……? 魔物除けか!」
中身を確認して、思わず笑みが漏れる。
他にも色々入っているようだったが、とりあえず後だ。
「ありがたく使わせてもらうぜ。ルルアを見つけたとして、ここへ帰ってくるとは限らねえけどな?」
にや、と笑ったディアンは、今度こそ森へと駆け込んで行った。
ひとり残され、しばらく風に髪を揺らしていた男は、小さく零した。
「……『ルルア』などと、聞いて呆れる……。俺は、どうしてそんな名前を」
自嘲の笑みは咳に紛れ、男はゆっくりと踵を返したのだった。




