10 ルルアの異変
「キノコがあったら、干し麦雑炊ができるよね。あと、そろそろタッカの実が食べられるはず!」
急いで目当ての場所まで走って、その収穫ににんまりする。
大丈夫、これで明日の朝も問題ない。
タッカの炒め物は、お塩だけでも食べられる。2つあるから、僕が食べてもいいかもしれない。ディアンが怒っちゃうだろうからね。
くすっと笑って勢いよく立ち上がった時、ふわり、と世界が回った気がした。
「あれ……はちみつ、食べたのに……」
急激に頼りなくなり始める足元と、揺れる視界。
どくどく忙しない鼓動が耳障りな気がする。
暑くもないのに汗が噴き出していることに気が付いた。
これ、よくない……。
咄嗟に何か食べなきゃ、と手元を見たけれど、今持っているのは生食してはいけないもの。
しまったなあ、普段は森へ行く準備をしてから、行くのに……。
ちょっと収穫して帰るだけたったから……その判断が既に鈍っていたのかなあ。
ぼやぼやする頭を振って、必死に家までの道のりを辿る。
ああ、やっぱり僕は役立たずで、ひとりではダメだ。
……こんな時、せめて使い魔がそばに居たら。
師匠も、そう思って使い魔と一緒にいたのかなあ。
ねえ師匠、ひとりだと、色々ダメみたいだよ。
ああそうか、それなら僕は、役に立っていたかもしれない。
だって僕、確かにずっと師匠のそばにはいたのだから。
まとまらない思考の中、僕はもう、歩いているのか横になっているのか、ちっともわからなかった。
***
聞いたことのない、声がする。
魔物の声みたいな……ものすごい声に、痛む頭を感じながら意識が浮上した。
「なんでこんなになるまで、飯を削った?! てめえは金があんだろうが!!」
「知るか! 食料ならあったはずだ! ルルアに何をした?!」
「俺じゃねえ、やったのはてめえだ! 倒れたんだよ! 外でな?! 俺がいなきゃ、くたばってんぞ!」
「――ッ、うるせえ! ガキが!」
大声で怒鳴り合う正体を察して、飛び起きた途端、頭を抱える。
「あい、ったー……」
「ルルア?!」
戸口にいたディアンが僕を見て動きかけ、ぐっと歯を食いしばって体を支えた。
回復用の魔道具を使っていたらしい師匠が、サッと僕のそばを離れる。
いたたた……。
少しずつ薄くなっていく頭痛に安堵しながら、険しい顔をして睨みあう二人を見上げた。
「ルルア、こいつは誰だ! なぜ、ここにいる」
バレてしまったんだな。多分、僕のせいで。
師匠が、すごく怒っているのが分かる。
ディアンは、こういうことになるから、内緒にって言ってたのかな。
「あのね、ディアンは森で怪我してたから、手当てしてただけだよ」
「チッ……余計なことを。なら、お前はなぜ倒れた」
何と言ったものかと、困ってしまって眉尻を下げる。
「えっと……僕、大丈夫だと思ってごはんを抜いたから……?」
「嘘をつけ! こいつが食庫を食い荒らしたんだろう! なぜ、食料がなくなっている!」
「そんなことしないよ! お届け日前だから、もうないんだよ」
師匠が、困惑しているのが分かる。
「そんなわけあるか。いつもあれで、十分だっただろうが!」
「うん……でも、ちょっと前から足りないんだ」
「いつから」
「ええと……2年くらい前?」
「な……?!」
絶句した師匠に、申し訳なくて俯いた。
なんとか、しようと思ったんだけど。
そのうち、食べすぎちゃうのも収まるかと思ったんだけど。
「……なぜ、言わない……」
「だって、師匠はあんまり食べないのに……僕ばっかり」
こんな風にたくさんお返事が返ってくるのって、とても久しぶり。
そんな場合じゃないのは分かってるけど、僕は、やっぱり嬉しいよ。
「てめえがルルアを放置してるせいだろうが。役割押し付けて、世話だけさせやがって……! 俺と比べてみろよ。俺はこいつと3歳しか違わねえ」
「えっ」
びっくりして、吐き捨てるように言ったディアンを見た。
師匠も、目を見開いて僕を見た。久々に正面から絡んだ、琥珀の瞳が懐かしく感じる。
やっぱり、鋭い瞳は少しディアンと似ている。
だからかな? ディアン、もっと、年上だと思ってた。
師匠よりはひとまわり小さいけれど、少年の面影がそろそろ抜けそうな、しっかりした体躯と身長。
3年で、僕、こんなに大きくなる……? 今、こんなに小さいのは――。
「こいつの身体は、孤児のガキと大差ねえんだよ! てめえの都合で引き取って、こんな目に合わせんのか! ガキの食う量がいつまでも同じワケねえだろ!!」
「……うるせえ! クソガキが、さっさと出て行け!」
怒鳴り返した師匠が、むせ込んだ。
慌てて占領していた寝台から飛び降り、師匠を寝かせようと引っ張った。
「師匠、横になって!」
「……食事を制限した覚えはねえ」
「うん、ごめんね……。そっか、僕、成長の分……考えなきゃいけなかったのに」
また合わなくなってしまった視線を残念に思いながら、大きな背中を撫でる。
僕がうまくやらなかったせいで、師匠が怒られてしまった。
「師匠、僕ね、色々知らなくてうまくいかないなって思ったんだ」
「そのために、選書魔法がある」
「うん。そう……思ってたんだ」
訝し気な顔をした師匠ににこっとして、布団を掛ける。
振り返って、戸口にディアンの姿がないのに気づき、慌てて駆けだした。
放っておけ、なんて声に追いかけられながら。
「ディアン! まだ動いちゃダメだったのに!」
壁を伝って何とか歩くディアンを見つけて、その熱い身体を支える。
随分熱も、息も上がっている。この身体で、どうやって僕を運んで来たんだろう。
相当無茶をさせたはず。
「動かねえわけに、いかねえだろうが」
「ありがとう……ごめんね」
大失敗だ。師匠にも、ディアンにも悪いことをしてしまった。
しょんぼりする僕に、大汗をかくディアンが苦笑する。
「ちょうどいいだろ。これで、お前がいなくなっても言い訳が立つ」
「言い訳?」
「悪ガキに唆されて家出、なんてよくあるパターンだ」
にや、と微かに口の端を上げたディアンに、驚いて首を振った。
「それだとディアンが悪くなるじゃない! 僕、それは嫌だよ」
「俺はそれでいい。ああ、ここを出たら好きにしていいぞ。当面の生活くらいなら、教会で面倒みられる」
「どうして決定?! 師匠、悪い人じゃなかったでしょう?」
「アレをそう思うのは、お前だけだ」
どこか自嘲気味に笑ったディアンが、自分の脚を見下ろした。
「思ったより長居しちまってるけどよ、これだけ動けるなら、なんとかなるか……? あの野郎、魔物避けくらい持ってんだろ。お前が持って出ろ。今までの働き分、必要な金や他のモンも持ってけ。お前なら、文句言われる筋合いねえだろ」
ええ……あると思うよ? それって、泥棒じゃない?
でも……。
確かに、ディアンが森を抜けられるまで、もう少しだろう。
それまでに――僕は。




