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猿の神通力

 滾る湿気と蒸した苔が暗がり独特の雰囲気を醸し出している。

「ここは?ここは何処なんだ!」敦が微かな燈火の置かれた闇の中で恫喝する。

「心配いらんよ。村の外れにある閉鎖になった炭鉱の跡地さ」何者かが冷笑口調で説明した。

 炭鉱?すると洞穴の中にいるのか。

「五人とも健康そのものだしね」

「てめえが魔王軍の飼い犬か!」

「まあそう熱くならないで。殺しはしないから」

 僅かな薄明りに、両手を縛られた五人の男たちが見えた。もう暗闇には慣れたようで、夫々憤りやら不満やらを顔に出している。

「妖怪などに、この村は明け渡さんぞ!」一人の農夫が怒号を吐く。他の男たちも口々に罵声を浴びせて気勢を誇示する。

「貴方達の農地は既に健全ではない。人体に害のある肥料が使われているからね。これからこの土地に魔精種を植え付ける予定なんだ。やがては世界中の田圃や畠が魔精種によって占められるだろう。それにより、我々の理想郷が実現するんだ」

「ボケが。アホな妄想してろ。そんな事はさせないぜ」

「おーっと。どうしても言葉では諭せないかな」暗闇にゆらゆらと影が動き、破壊獣が歪な姿態を顕にした。

「なんだろか。でーたらぼっちかよ」農夫が悄然と注視する。

「まあ、そんな感じですね。でも俺が来たからには大丈夫。任せて下さい。こう見えてもプロですから」敦が自信を漲らせる。

「そうか。君が魔王の耳を煩わす正義の使者だね」

「そうだ。こんな廃坑に人質集めて何する気だ?」

「怖がらせようと悪戯しただけだよ。人間が怖がるのは、快感だから」嬉しそうにせせら笑う。

「ふざけるな。このオカマ獣が」敦が悪罵すると、平静だった相手も些かたじろいだ。

「それは酷い仇名だなあ。訂正させてもらわなきゃいけないねえ」

 そう言うや、破壊獣は大きく荒々しい息を吐いて、窟内に強風を巻き起こした。

 明らかに逆鱗に触れたように、怒りの唸り声を上げる。

 一同はその逆巻く風刃に翻弄されて、思わず地面に倒れ伏した。

「大丈夫。こんな小さな気迫の虚仮威しに惑わされないで下さい」敦がうつ伏せになって受け身をとる。

「虚仮威しだって?言ってくれるじゃない」

 風はさらに倍々になり、その吹き荒ぶ渦巻きの中に一同を呑み込んでしまった。

 農夫たちは完全に動転し、渦の内で喚き騒ぎながら藻掻く。

 敦もまるで紙人形のように風に弄ばれ、手も足も出ない。

 何なんだこれ!これほどの霊力があるとは。マゴヒルコの懸念は当たっていたな。

 何とかして、この反則級の暴風から逃れなくては。

「どうだい、風の肌触りは?少しは反省する気になったかな?」

「てめえの技は風だけかよ。芸の無い奴め」

「そう?じゃあ、このまま骨をバラバラに砕いてもいいのかな?」破壊獣は卑近な嘲笑を放つ。

 どうする。絶体絶命だ。関節に痛みが走り出しやがった。まな板の鯉そうろうってか。

 だが俺は天津神の異端児よ。こんな無芸な影法師にヤラれるほど弱かないぜ。

「こんな局面もあろうかと、今回は取って置きを持参してるんだよな」敦は自信を湛えてほくそ笑む。

 息も絶え絶えに、渾身の気力で手をズボンの内ポケットに突っ込むと、例のカプセルを出しボタンを押す。

 すると、一匹の猿が登場したのだった。

 それは赤い褌を身に着けた珍妙な風采の小猿だ。

「あー、よく寝たよく寝た」猿は場違いなまでに無気力な動作で自分の肩を揉み解す。

「な、なんなんだい君は?」破壊獣が唐突に出現したトリックスターに腰を折られてしまう。

「はあ?おいらかい?聞いて驚くな、おいらはかの斉天大聖様の末代、孫李伯よ。黄泉の秘密警察も恐れ慄く、大物賞金稼ぎさ」

 破壊獣は目を点にしてその奇態を茫然と見遣る。

 魔力の集中が切れたのか、風は止み、一同は難を脱した。

「李伯さん、起こして済まなかったな。俺、新米だから弱くてさ」敦が照れながら侘びる。

「そうだぞ。おいらの一番の幸せと趣味は惰眠なんだ。腹も膨れて、気持ちよく寝てたところを叩き起こしやがって。あんた救国使なら、こんなゴミ野郎なんか自分でやっつけなくてはいかんじゃないか」

 猿の厳しい説教に、敦は平謝りするしかなかった。

「でも退屈してたとこだからチョー特別に許す」李伯は目を爛々とさせて破壊獣を舐めるように見た。 賞金首を前に戦意を湧き立たせているようだ。

「君が黄泉の賞金稼ぎ?面白い冗談だな」

「本当さ。俺が飛猿玉で彼を召喚したんだよ。このアイテムは冥界ならどっからでも猿ハンターを呼ぶことができるんだ」

「へー。そんな便利な物があったんだねえ。ま、いいよ。これで面白くなったな」

 かくして、猿と破壊獣の一騎打ちと相成った。

 李伯は腰にぶら下げた錫杖を取った。斉天大聖と言えば、無くてはならないのがこの如意棒だ。

「黄泉きってのハンターである名猿李伯様に葬られるんだ。本望と思え」

 昂然たる宣戦布告に敦は吹き出しそうになった。やれやれ。自惚れの極端な猿だな。華奢で弱そうだが、斉天大聖の子孫というのは伊達じゃないだろう。期待するしかないか。

 すると破壊獣は地にペタリと潜り、完璧な影になった。 

 逃がすまいと李伯は如意棒を打ち込む。しかし、影に実体はなく打撃は意味を為さない。

「無駄だよ。私に物理攻撃は効かないから」破壊獣は嘲笑うように影のまま地表を蠢く。

 さらに影は疾風を起こして李伯に襲いかかる。

「わっ。この風は堪らん!」小猿の繊弱な体は軽々と烈しい風に持っていかれてしまう。

「降参するなら早いうちがいいんじゃないかな」

「だ、黙れ!この名猿李伯、降参などするもんか!貴様なんぞチョチョンと退治してくれる!」そう強がって、やっとのことで風の渦から抜け出すと、如意棒と足裏で自棄っぱちになって影を叩いては踏んづける。

 しかし物体ではない幽体の影にはなんらのダメージを与えることもできない。

 敦はその滑稽な京劇西遊記に期せず失笑を洩らしてしまった。

 駄目だ。何をしても攻撃は通じない。このままじゃあの猿さん、風で獣毛を剥がれて八つ裂きにされる。

 待てよ。俺を畑に引きずり込んだ時、奴は確かに俺の肩を掴んだ。肉体はあるんだ。地面から追い出しさえすれば、ダメージは加えられる。

 しかしながら失望感に苛まれた。野良仕事中で丸腰だったため、必携の魔封銃を持っていない。

 この神大な魔力に対抗する術はない。何とかならないか。

 そうだった!俺は何ボヤッとしてたんだ。稽古のせいか、竹刀でメンを打たれすぎて頭がどうかしてたのかもな。

 敦は肝心なものを忘れていた。急いでポケットをまさぐる。

「これこれ。惟神カンナガラの鈴があったんだ」指先で振ってみる。

 カランカランという、何とも耳朶触りのよい神聖な音響が立ち現れた。

「うぬっ!鈴の音!」

 すると影は苦しそうに地を這い回ると、素潜りをした海人が酸素を求めるように見境無く地中から飛び出した。

「李伯さん。これで闘えるよ。この鈴は魔物の神通力を抑える優れものらしいんだ」敦がにんまりとした相貌で親指を立てる。

「そうか。でかしたぞ。名ばかりのお飾り野郎かと思ったが、さすがは救国使だけのことはあるな。ようし、これでおいらの本領発揮だ」

 李伯ははち切れんばかりの気概を全身に表して、商売道具の如意棒を長々と伸ばした。

 尻尾を掴まれた格好の影は、恨みがましい波動を放出しながら、ゆらゆらと黒い陽炎のように浮かび佇んでいる。

「それでも無駄だな。影にならなくとも君たちを倒すくらい容易いことだよ」

 一気呵成に破壊獣は旋風弾を連射した。

 李伯は敏捷性溢れるステップでそれをかわす。まるで曲芸雑技団のように惚れぼれする華麗な体の捌きだ。

 そして小猿は敢然と敵の懐に侵入し、神速な棒撃を雨あられの如く繰り出した。

 破壊獣はしなやかな身体を利用して、洞穴の天部に舞い上がって猛攻を逃れる。

「やるねえ。でもこれはどうかな?」

 次の瞬間。洞内を突き抜けるように鋭い風塵が左右に走り、それが集合して猛烈な竜巻が発生した。

「やばい。李伯さん逃げろ!」敦が警句を投げかける。

「無理無理。逃げ場所はないよ」勝ちを確信したかのように冷笑を浮かべる破壊獣。

 そして竜巻が轟音を響かせて放たれた。

 李伯は歯噛みしながら苦渋の面相で防御姿勢になる。

 情け容赦ない乱風が小さな身体に覆い被さる。

「李伯さん!」

 あちゃー。まともに受けちゃった。勝負ありか。名ハンターもこれでお陀仏だな。

 とその時。李伯はお待ちかねとばかりに、秘めたる戦術に打って出たのだった。

「これを見られる貴様は望外の幸せ者よ。斉天大聖様の脈士であるおいらを怒らせた罰だな。見ろ、これが黄泉の神仏とて黙る奥義、百身拳だ!」

 言うなり、小猿があろうことか、無数の極小の猿に分裂した。それは百に分かれた李伯のミニチュア分身体であった。

「げっ!そんなことが!」敦が驚嘆して慄く。

 分身体は難なく竜巻から飛び出して、敵に猪突猛進する。

 その群体は破壊獣の全身に群がり喰らいついた。

 そして小針のような棒で、獲物の骨肉を完膚なきまでに殴打しまくった。

「ああっ!やめるんだー!やめろー!」黒い影は苦痛に身を捩らせて叫び散らす。

 やがて鬱積した鬱憤を晴らしに晴らした小猿の分身体たちは、敵をボコボコビリビリの襤褸雑巾に仕立てると、勝利の雄叫びを上げて地に舞い降りた。

 

 魔王軍屈指の難敵を倒した李伯は、喜びも束の間。実に尊大な唯我独尊的態度で手柄を吹聴して止まなかった。

「やい、救国使。褒美がないとはどういうことだね?ただ働きさせたのか?おいらを?この斉天大聖様の累代である李伯様を?」

「まあまあ。そう激怒しないで下さいよ。褒美は向こうへ帰ってから貰えますよ」

「誰から貰えるんだ。呼んだのはあんただぞ。依頼主が払うのが筋だろうに?」

「僕は単なる救国使です。地位も権力もありませんから」

「なら、あんたの上官に報酬を請求させてもらおう!寸分過不足なく、誤魔化しのない請求書を届けるからそのつもりで頼むぞ!」

 なんて現金で貪欲な猿公だ。

 場所は移って佐巻の家。救出した五人の農夫ともども、祝杯の宴を開催していたところだ。

「それにつけても、あれだけ働いて、もてなしがこんな甘露な酒坏だけとは失礼千万にもほどがある」そう言いながら、すでにビール缶を五杯空けている。

「貴方様は山神様なんか?よう、でーたらぼっちを懲らしめて下すったわい」佐巻がまだ猿が喋ることが信じられないといった様子で訊く。

「まあ、神ってほどでもないんだがな。その実、手柄の半分はこの救国使のもんだ」

 救国使とはなんぞやという話になったが、敦はどうにか茶を濁して二枚舌を貫いた。

 こうして村人は救われ、ほどなく敦は別れを告げる。無論猿ハンター李伯も黄泉に帰還したのは言うまでもない。

 

 


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