火炎蜘蛛
数日後、事態が動き出した。
鎌山北部にあるカフェ形式のパン屋にいた客十数人が突如狂暴化し、近くの障害者施設に押し入り、入所者を人質にとる事件が発生した。
正気を失くして暴威の徒となった彼等は、メディアを呼べと要求。
マスコミはこれに応じ、施設を取り囲むように陣取った。
「おめえら、何が望みだってんだ!よりによってなんでこの施設なんだ!ここは皆穏やかに真面目に働いてる厳粛な職場なんだぞ、この狼藉もんが!」精一杯の威厳を露に施設長の土山英隆がまくし立てる。屈してなるものかと、手には竹刀を携えている。
暴徒の首謀者らしき羅漢がふてぶてしく笑い立てる。
「今からここは俺達の根城だ。貴様らは人柱ってことよ。覚悟しな」
目の血走った息の荒い他の連中に対して、この男には理性があるようだ。
「言って置くが、言いなりにはならんぞ!作業員はこのわしが守る!」土山はゴツンと剣先を床に突いて豪語する。
作業部屋には労務に勤しむ入所者15名が集められ、壁を背に座らされている。
「歯向かうのは一人だけか。いいだろう。じっくりリンチしてやる」羅漢が残忍な口調で唇を釣り上げる。
「ハッハッハ!そうはいかんな。わしは剣道六段の達人だ。宮本武蔵を敬愛する筋金入りの兵法者でな。悪人は斬って裁かずにはおけん性分なんだ」言うなり、速い太刀筋で豪快な素振りをして見せる。
「笑わせるな、腰抜けジジイが。竹刀一本でどうやって俺達全員を叩きのめすと言うんだ?」
「武士の情けだ。斬る前に聞こうではないか。お主たち、なぜかかる暴挙に訴えるのだ?」
「フン。人間が関知するところではない。クタバレ!」羅漢たちが気炎を吐いて、とうに人ではない吠え声を上げた。
しかしその時。天井付近に黒い穴が空き、青年が飛び降りてその前に立ちはだかった。ジーンズにパーカー姿。そして大層なライフル銃を肩に掛けている。
「ほんと集団いじめが好きな卑怯野郎だな。ムカつくぜ」そう宣告してトレードマークの銃を向ける。
「うぬ!何だね、君は!」土山が血相を変えて竹刀を中段に構える。
「救国使、水上敦、推参。びっくりしただろ?ごめんごめん」笑って茶化す。
一同は度肝を抜かれて端然と息を呑む。
「救国使だと?貴様か。先のウイルス計画を妨害した輩は」
「そうとも。俺が出来損ないシャボン玉男を成敗したのさ」敦は例の隠しアイテムである鏡を取り出す。
「てめえの正体を暴いてやるぜ!」鏡を掲げて、相手を写し出した。
そこに照らし出されたのは、紅蓮の炎をまとわり付かせた奇っ怪な魔物の姿だった。
「おのれ。俺様の本体を見たからには生きては帰さん」羅漢は火炎の塊に変身し、蜘蛛のような所作で天井に肢体を張り付かせた。
「あれは妖怪の類か!」土山が決死の形相で見上げる。
「破壊獣っていうんだ。地球支配を企むアホンダラでさ」そう言って敦が魔封銃を放つ。
火炎蜘蛛は素早く脚を離して床に逃げ、惜しくも被弾とはならなかった。
「なあ、蜘蛛野郎。なぜパンに薬を入れたんだ?」
「フッフ。我らが魔薬を混入させなくとも、お前たちは自分で毒を盛ってるではないか。パンには人間の味覚欲が作り出した大量の不純物が入っていよう。それによりお前たちはゆっくりと自死に突き進んでいる。だからいっその事、一気に背中を押してやったのよ」
「自死だ?馬鹿かお前!誰が死ぬなんて考えるか!」
「意地を張る必要はない。いずれ人間は自滅する運命にあるのだ。せいぜい残り少ない時間を憐れみと共に楽しむことだな」火炎蜘蛛が卑屈に嘲笑する。
「なんという悪逆非道な陰謀か。だがそんな愚昧な事は決して許さん。この土山、命に替えてもうぬを斬り捨てる!」
「待つんだ、先生。こいつは武術で片付けられる相手じゃないからさ。俺に任せときな」敦が再度銃口を敵に定める。
「小賢しい黄泉の騎士め。嬲り殺しにしてやる。やっちまえ!」
号令を受けた他の狂乱者たちが、敦に飛びかかった。
押しかぶさるように突進して来る敵の波に抱きつかれ、敦は立ち往生する。
しかしそこへ気合い一点、土山が声を張り上げると、竹刀を振り回しながら敵を片っ端から打撃して打ちのめしてしまった。それはあたかも時代劇スターの百人斬りを彷彿とさせる圧巻ぶりだった。
「すげえな先生。現代の剣豪史に燦然と残るよ」
「いやはや、それほどでも。地球の存亡がかかっているんだからな。年寄りも一肌脱がなくてはならん」快活な笑いを発して、満悦至極の表情で竹刀を肩に載せる。
糸を切られたカラクリ人形の如く横倒れになった部下を尻目に、火炎蜘蛛は怒り心頭、炎の波動を爆散させて言い放つ。
「脆い奴らめ。魔薬の力を与えたとて、所詮人間など我らの捨て駒にさえなれぬわ」そう吐き捨てると、体躯に渦巻く炎熱を散弾にして打ち放った。
「よけるんだ、先生!」敦の掛け声で、土山共々二人は、火柱の弾の乱射を前後左右にかわしながら転がり回る。
形勢は防戦一方になり、二人はどんどん体力を削られていく。
しかし、瞬時の間を突いて土山が敵の頭にメンを打たんと間合いに飛び込んだ。
「やめろ!」敦が決死の叫びを洩らす。
竹刀が火炎蜘蛛の脳天にクリティカルヒットした。しかし、黄泉の魔獣に人間の肉弾攻撃は効果を為さなかった。
土山は火炎蜘蛛の右腕に抱きとめられ、捕獲されてしまった。
「しまった!」
「ワッハッハ。どうだ救国使。人身御供があっては必殺の銃も撃てまい」
まずい。これじゃ、おっさんがエネルギー弾の巻添えになる。
照準を当てようにも土山がブラインドになって、正確な射撃ができない。
敦は焦燥に駆られて、確信笑いを浮かべる破壊獣を眺めやる。
「わしになどかまうでない!もろともに撃ってしまえ!この愛しい地球救国に命を捧げらるならば本望だ!」
おっさん。何の使命も責任もないのに。
あんた、真の兵法者だな。だが、それには及ばない。何を隠そう、新米ながら俺は古代神の血を継ぐ聖人なんでな。窮地に置ける秘策の一つ二つぐらい難なく捻り出せるってもんだ。
敦は慢心する敵の意表を突くある手段に思い至った。
「早速コイツを活用する時が来たな。取って置きのピンチまで温存しておきたかったけど、仕方ないぜ」自信溢れる笑みを見せて、バレないようこっそり後ポケットからその秘密兵器を引っ張り出した。
それは一匹のネズミだった。裸ではなく、きちんとした装束を着ている。まさに着せ替えペットだ。
「これぞ冥界獣チュウタだ。頼むぞ」敦は黄泉のネズミをそっと床に放した。
チュウタは俊敏な足運びで反対側の壁を這い登り、天井へと移動した。
「情にほだされた人間は無力この上ない。そんな軟弱な理性しか持たぬ愚か者からこそ、かくまで世界を退廃させてしまうのだ。だが我々には冷徹で強固な意思がある。やはり地球を統べるのは魔王軍よ」敵は侮蔑の声色で高らかに笑う。
「何を言うか。慈悲のない者にこの地球を統べることなどできんわ。うぬらは人間の素晴らしさを知らんだけだ。わしたちには温かい心があり、何より底力があるのだ。あの世を彷徨う無知な邪念などに負けるわけがない」土山が士気を堅持して力強く述懐する。
挑発された火炎蜘蛛がさらに強く土山を抱き縛る。苦悶の声が漏れ、手から竹刀が離れ落ちる。
「大丈夫か、先生!」叫んだ敦がチュウタに視線を遣る。
それに応答するように、チュウタの身体から無数の棘が発射された。
その一撃は火炎蜘蛛の額に命中した。
「ヌアー!」さらにチュウタは敵の顔面に飛びつき、その鷲鼻に齧りついた。
思わぬ急襲に慌てふためく破壊獣。
腕から自由になった土山が間合から走り出る。
「よくやったぞ、チュウタ!先生!一つ頼みがある!そこの消化器をコイツにぶっ放してくれないか!」
「よし来た!お安い御用だ!」土山は消化器に飛びつき栓を外すと、思い切り噴射した。
「グアー!」
瞬く間に敵を取り巻く烈火が消えてしまう。
「よっしゃ、完璧!さあ、くたばりやがれクソ蜘蛛が!」敦が魔封銃を打ち放つ。
真っ白い粉状態になった敵は、エネルギー弾の光波を浴びて唐揚げのように惨めにも焼け焦げになってしまった。
「やりすぎたかな。生きて黄泉に還さなきゃなんないんだけどさ。まあいいか」
作業員たちが賞賛の拍手を送って飛び上がる。
敦は土山とハイタッチを交わして勝利に浸った。
障害者施設は作業部屋一室こそ火事による損耗を被ったが、元通りに運営を再開するのには別段問題なさそうだった。
また、破壊獣の下僕たちは正気をすっかり取り戻した。狂乱していた際の記憶はそっくり抜け落ちていて、まるで狐に抓まれたような顔で不思議がっていた。
「いやあ、水上君。それにしても大変な謀略だな。地球が無事で済めばいいが」
「ええ。無事で済むように全力を尽くすつもりですけど。僕だって人間だから、どこまで防げるかは分からない。でも、最悪の事になったらなったで、黄泉の神様が何とかしてくれるはずだから。心配してもしょうがないですよ」
「なるほど、神様ね。ハッハッ。あの世の事はよく分からんが、まあ期待するしかあるまいな。わしに加勢できることがあらば、遠慮なく言ってくれよ」
「土山先生がいれば、この施設は永遠に安泰ですね」
「自慢じゃないが、ここの子たちは皆障害を背負いながらも、生活のために必死で頑張っておるんだ。自らの人生に負荷が課されようとも、腑抜けずに努力する姿勢には心打たれるばかりだ」
敦は自戒すべき思いに駆られた。負荷か。自分には何もない。普通の身体と心があり、部活も勉強もたっぷりできる。
ただ降りかかった火の粉は救国使としての使命だけだ。
甘えるのは止めなければ。楽ばかりするのも。
人との出会いはホント色々考えさせられる。
相変わらず土山は、竹刀を体の一部のように肌身離さず持っている。
「剣道六段って凄すぎですね。僕なんかまだ二段になったばかりですよ」
「そうか。一度わしが師範を務める道場に来給え。新免武蔵ばりの鬼稽古をつけてやろう」
「面白そうだな。そのうち行きますよ」
そんなわけで、鎌山事件は解決を見たのだった。




