番外異種格闘技戦
しばらく穏やかな学校生活が続く中、敦はある何とも理不尽な約束を果たす羽目になったのだった。
「覚悟はいいか、水上!」相模の豪快な声が道場を揺すぶる。
敦は震える腕で竹刀を中段に構える。防具はつけていない。
場所は剣道場ではなく柔道場。投げつけられても怪我をしないためだ。
異種格闘技戦。相模の敦への嫉妬がこの果たし合いを実現させた。
東青高校一の漢を決する戦いだ。
ルールは奇抜なものだった。
相模にはハンディが設けられた。
道着を掴むのは禁止。寝技も禁止。できるのは一本背いのみで、この時だけ道着を持ってもいい。
一方の敦に禁じ手はなく、とにかく一本を取ればいい。
三本先取した方が勝ち。
敦にはかなりのアドバンテージだった。
両者一礼し、試合開始の合図が出された。
審判には相模の知り合いで、剣道と柔道の両方の道場を経営する練達の先輩にわざわざ来てもらった。
相模は敦の一瞬の隙を狙おうと、獣王のような迫真の眼力で威圧をかける。
敦は小刻みに竹刀を振って、適当な間合いを作る。
怪力の相模とは言え、迂闊に近づけばリーチのある竹刀の打撃の的になってしまう。
「どうした!打って来い、青白坊主!」
敦は足を使って牙城に斬り込もうとするが、猛牛のような圧迫感に尻込みしてしまう。
相手は一本背負いしかできない。このルールで負けたら剣道部エースとして赤っ恥をかく。
敦は矜持を胸に、やぶれかぶれ、相模の手元に小手を打ちにいった。
しかし、相模は巧みにかわすと、伸びた腕に乗じて竹刀を脇に挟み込んだ。
相模は身動きが取れなくなった敦を睨むと、強引に竹刀を抱え寄せて、そのまま敦の身体に接着した。
そして鮮やかに一本背負いを仕掛ける。
敦は軽々と舞い上がり投げ放たれる。
背中に衝撃が走り抜けた。
相模の一本が決まった。
「骨に亀裂が入らねえように手加減してやったから、心配すんな」相模は唇を開いて高笑いする。
仕切り直しで試合再開。
駄目だ。勝てる気がしない。肉体的身体的能力に差があり過ぎる。
敦はぐらつく足取りで、前後左右に相手を陽動する。
「どうした、逃げるだけか?情けないぞ、水上」
「逃げるしか勝つ方法はないから」
「なら、遠慮なく叩きのめしてやる」
そう言うと相模は大胆にも竹刀に体当たりをして来た。
そして、竹刀を両手で鷲掴みにしてしまう。
さらにその余勢で、竹刀を奪い取った。
丸腰になった敦は目を点にして棒立ちする。
そこへ飛び寄り密着した相模の一本背負いが見事なまでに決まる。
柔道部相模の二本連取。
後がなくなった敦は、居直った相貌で乱れる呼吸を整える。
いくら相模が怪物だとしても、何もしないまま負ければ我が剣道部の面汚しだ。
こう見えても俺は映えある地球防衛隊の大将なんだぞと叫びたい気持ちだった。
何かないか。奴の弱点は。俺にできて、相模にできないこと。
敦は強打した背中を撫でながら熟考した。
そうか。よし。この奇策でいってやろう。
汗ばむ足裏を畳に擦り付けて気合いを入れる。
最終戦が始まった。
「いやあ〜!だぁ~!おらぁ〜!」敦は開始早々奇天烈な声を響かせて、あみだ上に試合場の中を所狭しと動き回り始めた。
この際、剣道で重んじられる礼節は度外視だ。
相模の精神は鋼鉄だ。しかし、奴はプライドが高い。そしてユーモアが苦手だ。
この戦法は戸惑いをもたらすはず。
予測通り、相模は腰を折られたようにあっけらかんとした表情を見せる。
それは剣道のどんな戦術にもない、完全な我流の無茶苦茶戦法だった。
「ここは柔道場だ。つまり相模君。君のお庭だよ。だったら俺は道場破りみたいなもんだね。こんな自由な振る舞い、自尊心が許せないでしょ?」
「何が言いたいんだお前?調子こきやがって。最後は飛び切りの背負いで、三本締めにしてやるぜ」相模は焦慮を垣間見せて距離を詰める。
そうだ。それでいいぞ。こっちのペースに巻き込むべし。
敦は引き続き頓狂な掛け声を出しながら、畳の上をアトランダムに移動する。
相模はそれを捕まえようと、いきり立つ所作で剛体をどしどし運ぶ。
「そんなトンチンカンな奇襲作戦は通じねえぞ。体力が尽きた時がお前の負ける時だ」
実際、奴の言う通りだ。間合いに踏み込まなくては、永遠に一本は取れない。
これはあくまで相模の集中力を削ぐための作戦だ。
面、胴、小手、突き。何でもいい。どうにかして、この巨人の虚を突きたい。
敦は適切な間隔を保ちつつ、時折叫びながら相模に打ち掛かる。
相模は敦の対戦者を舐めた挑発的な戦い方に、苛々を募らせる。
一気にまた敦の竹刀を掻っ攫うべく、刀身を手で叩かんとする。
そして相模が竹刀を鷲掴みにしかけた刹那。
敦は素早く後方に飛び退きながら、面を打ち込んだ。
変な角度で着床してしまい、危うくバランスを崩しかけたが、何とか残心をとった。
一本が宣言された。
「よっしゃあ!」敦は拳を握り締めて喜び跳ねる。
まさかの失策に、相模は目の色を変えた。
「よくもやりやがったな。これからが本当の虎の巻よ。命は無いものと思え」
まさか本気で言っているわけはないが、その鬼顔は真剣そのものだ。
試合再開。
相模の立ち姿を見て、敦は身体が固まった。隙がない。
思い切りギアを上げやがったな。こいつは、骨の一本や二本、折られるかも知れない。
それでもこの戦法を継続するしか勝つ手段はない。
「いやぁ〜!おらぁ〜!ぎゃぁ〜!」敦は気迫を振りまいて、仕切り線の中を休まず駆け回る。
相模は微動だにせず、敦の不規則な移動をじっと観察する。
隙がないとは言え、相模は熱血漢だ。理性ではなく情で戦うのが信条のはず。
感情的であるのが、奴の唯一の弱点。
それなら、感情に訴えかけるのが一番いい。
奴のプライドを捏ね回して、感情を掻き立ててやるまでだ。
敦は相模の面前に近づき、わざと竹刀を素振りして反応を見る。
敵のクイックに不用意に釣られず、懐に誘い込み、一挙に一本背負いで粉砕する。
それが相模の青写真だろう。
「どうした?山のように動かざるってか?武田信玄は君には似合わないけどね」
相模の目がギラつく。
「水上!お前そんなに死にたいか!」
一瞬、巨体が微動した。
敦はそれを見逃さず、突きを発動した。
剣先は若干喉の下に逸れたが、相模が狼狽を表して喉元を押さえる。
腕が上がり脇が空いた。
そこに痛烈な竹刀の一撃が胴に決まった。
しまったとばかりに苦虫を潰す相模。
一本を宣告する審判の旗が上がった。
敦は竹刀を天に突き上げて歓喜に吠える。
勝敗はフルセットに持ち込まれた。
「お前がここまで剣道を極めていたとは思わなかった。おどろいたぞ。だが勝つのは俺だ」
「勝てるなんて思ってないさ。まぐれだよ。試合は楽しく面白くやるのが一番だから」
四本の対戦で、互いが長所短所を見抜き合っていた。これまでの手合わせと違い、最終戦は好奇心に溢れ、溌剌とした戦いになった。
すり足の摩擦のせいで、敦の足裏には擦り傷が生じ、激戦の畳には薄く血が滲みついていた。
両雄、思う存分駆け引きを巡らせ合い、ぎりぎりの鍔迫り合いが続いた。
そして幕切れは僅かな息遣いのラグによってもたらされた。
敦の面を避け竹刀を掴んだ相模が、体勢をよろめかせて咄嗟に敦の道着を握ったのと、こちらも前につんのめった敦が反射的に相模の腹を蹴ったのが、全くの同時だった。
結果は両者反則負け。
何ともあっけない決着だった。
「水上!お前が勿体ぶるから掴んじまったじゃねえか。試合が台無しだぞ、どうしてくれんだ!」
「そっちだってちっともブレないから、蹴っちゃったよ。異種格闘技戦なんて、端から無理だったんだ」
二人は畳に座り込んで、愚痴を言い合う。
しかし、やがてその胸に笑いが込み上げて来た。
「またやろうな、青白剣士!息抜きには丁度いいぜ!ワッハッハ!」相模が満足げに爆笑する。
「もう絶対やらない。キツ過ぎるよ。剣道家と柔道家じゃ、タフさが全然ちがうから圧倒的に不利だもん」敦も本音を吐き捨てて笑う。
ちなみに観戦者はゼロ。正義、亜季、由美も呼ばなかった。
これは武道家同士の男と男の対決だった。
場所は審判をしてくれた先輩の道場だ。
試合後、敦は相模の親が営むラーメン屋に連れて行かれた。
相模の教説や人生話は油っこく高圧的だったが、タダ飯を食べさせてもらう以上文句も言えず、相槌を打ちながら聞き流すしかなかった。
丁重に感謝の礼を述べてラーメン屋を出た頃には、とうに日が沈んでいた。




