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10/13

かけがえのない青春

 春休みが明け桜は満開の時節。高三になり、部活の練習はさらに厳しくなった。

 帰宅し、敦が全身疲労を癒やすべく湯船に浸かっていると、何のつもりか浴室にマゴヒルコが現れた。

「うわっ!びっくりするじゃんか。何でこんな所に」

「偶にはパターンを変えようと思ってな。青春生活は順調なようだな」

「まあね。でも気が気でないよ。今度はクラスメイトじゃなくて、家族に手を出して来るかも知れないしさ」

「魔王軍の毒牙は何処に及ぶか見定めができん。あのツベルクのプライドを裁断したのだ。これからはさらに大掛かりな策略に乗り出すだろう」

 魔王五大軍団。冥界で圧倒的な戦力を誇る強者たちは虎視眈々と地球侵攻を企んでいることだろう。

 どう考えても無茶だ。自分一人で戦えってのか?

 この仲介人だか介添人だかは、実戦にはノータッチときている。

 俺だけでマンドラ軍を迎え撃てるわけがないだろう。

「それで、奴らの次の刺客は?」

「今のところはまだ分からん。重要作戦会議の最中なのだろう。しばらくは英気を養うことだな。若き日の思い出づくりに励むがいい」

 憎まれ口を吐き出したかったが、せっかくの気持ちいい入浴気分が台無しになるので止めた。

「敦よ。お前は破壊獣との戦いの試練を通じて、かなり成長した。先日のツベルク戦は見事だったぞ。仲間との真の友情が芽生えたな」

「まあねえ。けど記憶は消したし、友情はまた振り出しだよ」

 いずれにしても、参謀を撃退したことで、マンドラはいよいよ本格的に救国使の自分をライバル視し始めただろう。

 しかしあくまで高校生にして受験生の敦は、気負わず青春を楽しもうと思うのであった。


 今日は正義、亜季、由美の三人が揃って剣道場に見学に来た。因縁の野神との再戦である。

 試合は二勝二敗で、勝敗は両大将に委ねられた。

 東青は勿論エースの敦だ。野神の大将は剛毅な体の大男だった。

 初っ端から長いリーチと腕力に押されて、劣勢に立たされた。

 練習で鍛えた足さばきで、何とか相手の攻撃をかわしながら反撃のチャンスをねらう。

 スピードと小回りでは敦が勝っているので勝機はある。

 だが運動量の多さは致命的で、いくら稽古量が豊富でもやがてはバテてしまう。

 敦は意表を突くべく、思い切って接近を試みた。

 しかし待ってましたとばかりに、相手の体当たりを食らう。その衝撃の反動で床に倒れ落ちてしまった。

 そしてその際、足に鈍い痛みが駆け抜けた。

 右足の親指だ。

 くそっ。ヤバい。面の中で顔を顰める。

 どうする?こんな大一番で棄権なんかできない。

 痛いが、指に力は入るようだ。やるしかない。

 敦は悟られないようにゆっくりと立ち上がった。

 再開とともに、大男が一気に攻勢に出てきた。

 敦は素早い足の動きを要求され、そのたびに痛みが走る。

 相手の強い打撃とそれをいなすための足運びで、足がもつれそうになる。

 ちくしょう。今回は負けるのか。

 正義、亜季、由美は道場の片隅で熱視線を注いでいるだろう。

 ダサい所を見せたくないが、この足じゃ勝てそうにもない。

 野神に敗れれば、またも東青は弱者のお墨付きを焼印される。

 やはり俺は弱い木偶な高校生に舞い戻るのか。 アクシデントとは言え、運も実力。どうしようもない。

 大男の放つメン、ドウ、コテをどうにか回避して下がり続けた。

 足指の違和感で、次第に足裏から足首までの感覚がおかしくなってきた。

 足指に踏ん張りを加える度に、激しい疼痛が生じる。

 くそったれめ。もう少しだけでいい。頼むぞ親指。もってくれ。

 すり足のバランスもぎこちなくなり、見届ける顧問や部員もその異変に気づいているようだった。

 こうなったら特攻隊よろしく捨て鉢になってやる。

 敦は構えを下段にして、体勢を様変わりさせた。そして体重移動も極端に遅くした。

 相手は此方がスタミナ切れで負けを覚悟したと直感したのか、呼応するように自らも構えを下段にした。

 その刹那だった。敦はカエルのようなステップで大男の竹刀を激しく払った。 

 さらに、そこに穿たれた隙に乗じて、神風のように竹刀を振り下ろした。

 旗が上がり、メンが決まった。

 大男は一瞬の出来事を理解できず、ひたすら茫然とする。

 場外で観衆がどよめき声を発して跳び上がる。

 敦は深々と礼をし、試合場から離れる。

 部員が駆け集まり、喜びを爆発させて防具の上からしこたま敦を叩き据える。

 面を脱ぐと、顧問が髪をクシャクシャに撫でて祝福する。

 そこへ三人もやって来る。

「すげえなー!今日は宮本武蔵だったぞ!」正義が褒めちぎって背中を抱く。

「おめでとう、水上君!野神さんに連勝なんてスゴイわ!」亜季が潤んだ瞳で芯から嬉しそうに笑う。

 由美も珍しく微笑を浮かべている。

 緊張がなくなり、指の痛みがいよいよ痛烈になる。

 見ると、親指は青紫に腫れ上がっていた。

 敦の視線を追った由美がいち早く気づく。

「あんた、早く保健室行った方がいいんじゃない」

「あ、ああ。ちょっと痛いかな」敦は猫を被って空笑いする。

 患部にそっと触ると、腫れ具合の酷さが解った。

「何だよその足!変色してるぞ!」正義が驚いて凝然と見遣る。

「わぁー!大変だわ。すぐに手当しなきゃ!」亜季が涙声で狼狽する。


 診断結果は内出血を伴う軽い捻挫だった。しばらくの間、運動は厳禁でゆっくり養生しなさいと

の保健指導が通達された。

「よかったなあ。歩けて」正義が敦に肩を貸しながら楽しげに下校する。

 練習試合ながら、また野神に勝ってしまった。 ゆえに何より恐ろしいのは、奴らの報復だ。二度までも弱者東青に負けた野神のプライドは地に墜ちたのだ。 

 名高い不良としての男が立たない奴らは必ず敦たちをドツキに来るだろう。

 しかしそれは分かりきった事。敦は入念に予防線を張っていた。

 東青最強の破壊王、相模豪太だ。

「よく我慢したな水上。それでこそ東青の星ってもんだ」巨漢は金剛像のような風体で腕組をする。

 すると、そこへ予見通り奴らが来た。

「相模さん!やっぱり来ましたよ。お願いします」正義が怯えた狐のように虎の威に縋る。

 敗残した野神剣道部の面々は、用心棒相模がいるのを一瞥して舌打ちをする。

「またおめえか?用があんのは、水上だ。どけよ」不良が苦々しく吐き捨てる。

「東青の生徒に喧嘩売る奴は俺がボコボコにしてやるぜ」相模が泰然と両拳を合わせて威嚇する。

 すると、不良の一人が刃物を取り出して見せた。

「こ、殺す気か!危ないよ相模さん!」正義が怯えて後ずさる。

「凶器だろうがなんだろうが勝手に使いな。へし折ってやるからよ」

 怒声を吐いて不良が斬り掛かる。

 しかし相模は棍棒のような腕を振り、悠々と相手の顔面を殴打した。

 不良はあっさりダウンし、道端を横転する。

 次に二人が同時に殴りかかるが、相模は両脇に相手を挟むと、片腕で一人ずつを抱え上げ、思い切り地面に投げ飛ばした。

 残る十人余りの手勢が一挙に相模に向かい走る。

 だがそれをも、殴る蹴る投げる締めるといった八面六臂の芸当で一掃した。

 負け惜しみの言葉さえも言えないほど息を絶えさせながら、野神の一団はノロノロと逃げ去った。

「す、凄すぎだ。何も、言えない」正義が魂を抜かれたように呟く。

「やったぜ、ありがとう。相模君」敦がふらつきながら讃嘆する。

「いいってことよ。また何時でも呼びな」

 もっとも謝礼代は、前回と同じく一週間分の昼飯代を奢ることだったが。

 また、この喧嘩は相模の正当防衛になるので、多分学校からのお咎めはないだろう。

「なあ水上。俺とお前どちらが強えか、立ち会ってみねえか?お前は竹刀で、俺は素手でいい」

「そんな!剣道が柔道に敵うわけないよ」敦はしどろもどろに拒否する。

「異種格闘技戦か。面白いじゃん」正義が無責任に焚きつける。

「水上、いいから挑戦を受けろ。さもないと、もう野神が来ても身辺警護はしないぞ」

 それは困る。怪我はしたくない。推薦入試のためには大会で一定の成績が欲しい。そのためにも練習を休むことはできないし。

「じゃあ一回だけなら」

「よし、決まりだ。そう来なけりゃ東青の快男児じゃないぜ」巨漢は体中の空気を噴き出させるように高笑いする。

「お前、プライベートは何してるんだ?」

 敦は唐突な詰問に口籠った。そう言えば、相模と私的な会話をしたことは殆どない。

 よもや地球救国の任務を遂行中だなどとは言えない。

「そ、そうだな。コミック読むぐらいかな」

「俺は彼女いるぞ。オカンには内緒だがよ。つまり趣味は彼女と遊ぶこと。それと世話になりっぱなしの母親の身体を揉んでやることだ」

「そりゃまたガタイに似合わず繊細だな」

「バカヤロー。俺はこう見えて純情なんだよ」そう答えて相模は敦の肩を豪快に抱き寄せる。

 痛いな、この大人子供野郎め。

「恋人とは順調なんだが、オカンには迷惑ばかりかけて頭が上がらねえんだ。成績も悪くて進学は部活一本に頼らなきゃならねえから、碌な大学にも行けやしない。練習でバイトも少ししかできねえから、両親は実家のラーメン屋の少ない給料で大学の姉二人と俺を養ってるんだ。情けないがな」

 意外に苦労人なのか。派手な外面とは異なる貧しい境遇に少しばかり同情した。

 こんな悪漢でも悩みや弱みがあるのだから人間らしい。

「じゃあ一度ラーメン食べに行くよ。ちょっとは売上に貢献できるでしょ」

「そいつはありがたいぜ。よろしくな」

 面倒くさい社交付き合いたが、不良から守ってくれたせめてもの謝恩だから仕方ない。

 やれやれ。これでまた自腹を切って昼食代を小遣いから捻出しなければならなくなった。

 しかし、相模の本質を知ることができて面白かった。


 一陣の疾風が午後の穏やかな物憂い街並みを駆け抜けて、水上家の屋根に吹き込んだ。

 その風塵から一羽の見慣れないカササギ鳥が顔を出し、静まり返った街を俯角しながら耳をそばだてる。

「ねえ敦君。あなたホントに大学行きたいの?いとこの善晴君は高卒でレストラン経営者になったし。ほら、中学まで同じだった高橋君も大学行かずに起業するって、お母さんが言ってたわよ」母親がシチューを煮込みながら問い質す。

「僕は大学に行くよ。就職するかは決めてないけど、いきなり社長になる勇気も行動力も、からきしないから」

 そう、と母親はつれなく諦観の面立ちで目を伏せる。

 敦はスプーンを弄びながら溜め息をつく。

 はあ。果たして大学になんか行けるんだろうか。地球の滅亡カウントダウンが近づいているというのに。

 救国使の自分が世界を救えなければ、大学どころかこの世は終わってしまうのだ。

 あーあ、気怠いぜ。生涯、恋人もできないまま俺の人生は幕引きになるのか。

 これまで色んな魔物と対峙して来たけど、魔王が本気になった今、これからはガチで超危ない奴らと対面しなくちゃならない。

 もう青春がどうのこうのと言っている状況じゃない。

 敦はせっかく美味しいはずのシチューも、漫然と平らげて部屋に向かった。

 マゴヒルコがベッドで瞑想をしていた。

「また出番なのか?」

 黄泉の小人は胡座のまま、そっと片目を開く。

「魔王軍の本体が狼煙を上げた。いよいよ地球侵略戦争が勃発だな」

「戦争って!軍団が来るのか!」

「そうだ。もうお前一人では手に負えん。天津国からも援軍が駆け付けるだろう」

 援軍が。大戦争が起きる。世界はついに無茶苦茶になるのか。

「いいか。分かっていようが、天津国軍の総大将はお前だ。しかと全軍指揮を頼むぞ」

「えっ!何で俺が総大将なんだよ!」

「この密命はあくまで天津神直系の救国使であるお前が遂行するしかないのだ。他の誰も代わりは務まらぬ」

 そんな。あの恐怖の五大軍団を、俺が倒せって言うのかよ。

 敦が何をどう反論拒否しても、マゴヒルコは端然と瞑想をしたまま受け入れなかった。

 屋根のカササギ鳥は、水上邸の音声を丸暗記すると、また風となってどこかへ飛び去った。


 魔王軍の地球侵攻はいつか。敦はそれだけを考えて、身の入らない高校生活を過ごした。

 しかし、その終局はなかなかやって来なかった。

 やがて季節は移り変わり夏休みになると、剣道部の夏合宿が始まった。

 主要大会に向け、男女部員総出で行われる強化合宿だ。

「水上君。主将なんだからもっと威張りなよ」三年女子部員の柳由真が竹刀を手入れしながら叱咤する。

「無理だよ。俺、柳さんみたいに男気ないから」

「それ侮辱?誰が男なのよ。私は女々しさが取り柄の美少女剣士じゃない」

 切り返された敦は、素直に平謝りしてご機嫌をとる。

 由真は正直美形ではないが、その凛然とした面立ちには人柄の円満さが表れている。

 他の部員からの好感度も高く、敦にとってもこの由真が最も親しい雑談相手だった。

「でも私たち強くなったよね。試合でも簡単には負けなくなったし」

 もっとも、まだ地方大会で上位まで進出するレベルではなく、弱小の冠は剥がしきれていない。

 だが勝ちに対する意欲は以前とは比較にならないぐらい強くなった。勝てば大喜びするし、負ければ悔し涙を流す者も出てきた。

 何に目覚めたのかは知らないが、優しい顧問が鬼と化した日から東青剣道部は変貌した。

 この男は年齢四五歳の英語教諭、嘉門義利。練習以外ではとにかく優しく、進路相談などにも乗ってくれる。

 ただ個人主義者で、仲の良い教員はおらず校内では孤立している。

 したがって教員としての役職は下っ端で、出世街道からも大きく外れているようだ。

「そうだね。皆変わったよな。本物の剣士になったみたいに」

 敦は無論大学でも剣道をやりたいと思っていて、勉強ではなく剣道での推薦入試を目指している。

 しかし今の実績で有名大学に合格するのは難しいだろう。だからこそ、残る大会で優秀な成績を上げたいと藻掻いているのだ。

 だが現実、そんな悩みは幸せの証だった。

 来たるべき未来は闇なのだ。

 いつ来襲するやも知れぬ魔王軍の影に怯えながら、汲々と毎日を送るばかり。 

 来るなら早く来い。そんでもって、さっさと世界を壊すなら壊せ。支配するならしてしまえ。

 前もってネガティブシミュレーションをすることで、実際に起きる絶望を和らげる。

 そんな風に心のバリアを築いて不安を受け流し、かき消す努力をするしかなかった。

 ともあれ、今は青春最高潮のイベント、夏合宿だ。

 楽しむしかない。これで地球は終わってしまうかも知れないのだから。

 稽古は朝の走り込みから開始。

 道着姿で合宿所の周りを只管にランニングする。そこそこ速いペースなので、最後は全員バテてトボトボ歩きになってしまう。

 午前中は素振りや基礎訓練が目白押し。午後は実戦形式の猛特訓。

 稽古がハネる夕方には全身ボロボロだ。

 それでも若い高校生は頑丈で、翌朝にはケロりと起きて道場に元気よく集まる。

 そして一番楽しいのは夜のお喋りだ。練習が済んで入浴した後、大部屋に部員全員が揃って好きな話題を出し合う。

 ませた肉系女子が気弱な男子の身体に触ったり口説いたりして盛り上がる。

 恥ずかしがり屋の敦は女子とは距離を起き、適当な男子とトランプに興じるぐらい。

 敦は笑い崩れる仲間たちを眺めながら、二度とは帰れない青春の思い出をしっかり焼き付け、今を楽しもうと切に思うのだった。

 合宿も総仕上げに近づいた日。突然顧問の嘉門が部員を引き連れて、すぐ側の海岸に出た。

 今日は一日稽古無しだった。

「楽しいはずの夏休みなのに、よく頑張ってくれたな」嘉門が浜辺に居並んだ部員たちに笑顔を見せた。

「先生。全然楽しいです」由真が愛想よく笑い返す。

「今日はゆっくり遊んでいいから。ただ、君たちに言っておきたいことがあって」

 言われて、一同は幾分真剣な眼差しになる。

「こんな事、本当は言うべきじゃないかも知れないんだが。実は、子供が引きこもりなんだ」

 部員たちの目が驚きに変わる。

「うちの高校でも不登校は当たり前にいるが、先生の息子は学校だけじゃなく全く外に出られない。社会に対して、いや、世界に対して引きこもっているんだ」

 溌剌な鬼コーチの息子が。そんな悩みを抱えていたとは思いもしなかった。

 敦は発するべき言葉を懸命に探った。

 非力ながら、主将として言葉をかけなければいけないと感じたのだ。

「悩みとかは、聞いてあげてるんですか?」まともな質問ができず、ぎこちなく漠然と訊いてしまった。

「問い質しても、何も言わない。多分、原因は学校ではなく、私にあるんだ」

「厳しく叱ったとか?」

「いや。私が人間として弱いからだ」

 一同は意外な文句に動揺を見せる。

「私は今まで、気が弱く何でも投げ出す、諦め性の父親だった。学校では穏やかな人間を演じていたが、そのストレスから妻に暴言を吐いたりしていた。弱さと傲慢さ。まさに最低の人間だ」嘉門は溜め息をして、快晴の青空を仰ぎ見る。

「どうやったら、息子の心のドアが開くか。ネットや書籍を丹念に読み漁った。内緒で精神科医や臨床心理士にも相談してみた。そして、一つの結論を得たんだ」

 視座を部員たちに戻し、背筋をぐっと伸ばして続けた。

「親が一生懸命になること。全てを見せること。それしかないんだ。立派な、完璧な模範になる必要はない。とにかく懸命さや直向きさを見せることで、子供は何かを感じるはずだと。それで私は自分を変えることにした。強く、正しくなろうと決心したんだ。それから、息子は徐々に話すようになった。今では買い物や映画館にも行くし、来月からフリースクールに通うことが内定している。私が変わり、あの子も変わりつつある。ようやく家庭に幸せが戻って来た」そこまで言うと、破顔して正座になった。

「急に豹変して、皆には迷惑をかけたこと。改めて謝る。すまない」嘉門は土下座で砂に額をつけた。

 先生!止めて下さい!次々に部員が叫んだ。

 女子は涙を浮かべている。

「練習では冷たい事ばかり言って申し訳ない。君たちにも強くなって欲しいと思って」

 堪らず立ち上がった女子たちは、嘉門を囲んで咽び泣く。

 どんな人間にも裏表がある。秘め事がある。

 敦は嘉門の人間味に感動した。

 ある時から鬼に変化したのは、嘉門の隠されていた残虐性が暴露されただけで、奴は元々猫被りの傲慢な男だったんだと解釈していた。

 しかし違った。嘉門は退路を封じて、勇気を出して自分を変えていたのだ。

 見習わなくちゃな。俺も、変わんなくちゃ。

 うんと変わって、未来に待つ闇を何としても打ち払わなくてはならない。  

 見事バージョンアップした鬼顧問の成功ぶりを見せつけられた敦は、自分も必ず変化してやると決めた。

 こうして神が与えた試練に立ち向かう気迫を、滾々と湧き立たせるのだった。



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