第五十九話「悪夢」
これは夢だ。
悪い、とても悪い夢。
実際に起きた出来事じゃない。
爺ちゃんだけは……もういないけど……。
目覚めれば、母ちゃんも父ちゃんも妹も無事に決まってる。
だから早く覚めてくれ!
もうここにいるのは嫌なんだ!
---
まだ、夢は覚めない。
…………。
…………。
もしかして、
この悪い夢の中に閉じ込められて、2度と出られないのだろうか。
そんな考えが頭の中を通っていくほど、僕はここにいる。
でも、僕はじっとしていた。
出口を探すわけでも、この場から立ち去ることもしない。
ただ座り込んで、股の間から見える血溜まりを、ずっと見つめる。
僕の家族の血と、僕が殺した男の血が混ざりあって、すごくドス黒い。
もはや、タコの墨だ。
だが、妙に綺麗に反射していて、僕の顔が血溜まりに映っていた。
……酷い顔だ。
こういうのを虚ろな目をしてるって言うんだろうか。
まぁ、どうでもいいけど。
そう思った、次の瞬間。
血溜まりに映る僕の顔が勢いよく踏み抜かれた。
パチャンッ! と音を鳴らし、血が飛び散る。
何滴かは僕の頬ついた。
そこで、僕はようやく気がついた。
俯いた視界に、知らない足元が入り込んでいる。
目の前に誰かいるのだ。
さほど興味は無いが、
もし、さっき僕が殺した男が実は生きていて、彼が立ち上がったのだとすれば、次はそいつの剣を受けてもいいな、
なんて思いながら見上げた。
すると、予想外なヤツがいた。
僕だ……。
ほぼ僕がいた。
顔、身体、装備、どこを見ても僕と同じだ。
でも1箇所だけ違う、それは剣と盾の位置が逆だ。
僕は左腕に盾を着けているけど、
目の前にいる僕は、右腕に盾を着けている。
剣も背中にかけているが、左手で抜けるように傾いている。
夢の中だから? こういうこともあるのか。
「気分は、どうだい?」
しかも喋れるのか。
話しかけられたぞ。
「気分か……悪い」
「ふーん、そこの男を殺しちゃったから?」
そう言ってもう1人の僕、
んー紛らわしいな、コイツのことは偽イサミって呼ぶか。
偽イサミは、先程僕が殺した男を指さした。
「いや……そいつを殺したあとの方が気分がよくなった」
こう、スッキリした。
でも結局、家族を殺されたことで湧いた怒りは、全然収まらない。
今もグツグツと、腸が煮えくり返る思いだ。
「そう……可哀想に、助けてあげなかったんだ」
……助ける? コイツを?
たとえ夢でも、僕の家族を殺した男を?
「なんで僕がこんなのを助けるんだ」
「……だって、今までそうしてきたじゃないか」
…………あ。
あぁ、そうだ、そうだった。
今と似たような状況があった。
ドンちゃんだ。
ヒワシに家族を殺された男の人。
彼はヒワシを憎んでいた、それはそうだ、家族を殺されたんだからな。
でも、僕はそんな彼に言ったんだ。
ヒワシを改心させるって、助けたいって。
……はは、ドンちゃんはすごいな、なんで我慢できたんだ。
僕なんて今回、一切躊躇しなかった。
あんなに命を奪わないよう心がけてたのに。
くそ。
ううう、涙が溢れてくる。
謝りたい。
僕は、僕はーー。
「ドンちゃんに、なんて酷いことを言ってしまったんだっ」
ごめん、ごめんドンちゃん。
ごめんなさい。
「……仕方ないよ、理性は必ずしも道徳性を高めるものではない、感情に身を任せた方が良かったんだ、君も、彼も」
「うるさい」
僕の顔で、訳の分からないことを言うな。
「でも大丈夫、これから君はとても感情的になる、夢の続きを魅せよう」
「……は?」
世界が、急に歪んだ。
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身構えるように閉じた瞼を、ゆっくりと開けた。
見えてきたのは森。
僕はそこに立たされていた。
樹木が密集していて、一面の緑が広がっている。
緑は射し込む日の光ですごく鮮やか。
今の状況じゃなかったら、とても居心地が良さそうだ。
「さぁ、そろそろ来るよ?」
偽イサミの声だ。
いつの間にか、僕の隣に立っていた。
いったい何が来るんだ?
何かが起こりそうな気配なんて、無いと思う……ん?
聞こえる。
……地面を蹴る音だ。
誰かが走ってる。
しかもこっちに向かって来ている。
そう思った直後だった。
目の前に誰かが飛び出してきた。
外套を着た男。
かなり身なりが良さそう、もしかしたら貴族かもしれない。
そんな男は必死に走っていた。
何かから逃げるように、怯えた顔つきで走っていた。
すると、
波が打ち寄せて来た。
この森の中で、
ほんとに突拍子もなく、海で見るあの波だ。
とても冷たい。
深さは足首ぐらいだろうか、砂浜で遊ぶにはちょうどいい穏やかさ。
ただ、タコが墨でも吐いたのかってぐらい、暗い。
そんな波が、
僕の足と偽イサミの足、そして走っている外套の男の足を呑み込んだ。
呑み込んで、引いた。
打ち寄せたあと、沖に戻るように、足を攫う。
途端、外套の男は転んだ。
僕と偽イサミはなんともない。
外套の男だけが引きずられていく。
彼は精一杯藻掻いて、木の根にしがみつく。
でも結局根っこは折れて、流された。
そして、流された先。
そこには別の男いた。
そいつは僕と同じで盾と剣を持っていた。
盾は、背中にかけている。
半分ぐらい右肩から上にはみ出していて、左手ですぐに取り出せるようにしてるのかもしれない。
剣は、左肩から垂れ下がっている剣帯で吊るされている。
あれじゃ背中から引き抜けないだろう。
引き抜くには、右手で左の脇下からになるだろうか。
とてもだらしない感じがする。
「来た来た、アレが君だよ」
僕の肩を叩きながら、偽イサミがそう言った。
アレって、今現れたあのだらしない感じの男のこと?
あれが? 僕?
「正確には、無数の未来のうち、君が最も近づいている未来、それが彼」
……は?
夢の中だからっていい加減なこと言うな。
あんなのが僕なわけあるか。
確かに顔が似てるような気がする、盾も剣も僕と同じに見える。
でも、すごい怖い顔してるよ?
さっきからすごい冷たい目で、外套の男を見下ろしてる。
「お願いだ! 見逃してくれ! 頼む!」
なんか、外套の男が命乞いを始め出したぞ。
でも、偽イサミが言う未来の僕、
んーじゃあアイツは『嘘イサミ』ってことにしよう。
嘘イサミはまったく反応しない。
「家族がいるんだ! 子供も2人いる! だからお願いだ!」
「……だから……なに?」
ようやく嘘イサミが喋った。
と思ったら、
彼は右手を左脇下に持っていくと、素早く剣を抜いた。
僕が見えたのはそこまでだ。
気がつくと、外套の男は、首を無くしていた。
あの一瞬で斬ったらしい。
凄まじい速さだ。
まぁ、それはいいとしてだ。
「やっぱりあれは僕じゃない!
僕はあんな『だからなに?』なんて冷たい言葉、言ったことない!」
もちろん、言うわけもない!
おかしい。
「……そう、そう思うのもいい。
でもこれから、君はどうするの?」
「どうって何が?」
「まさかとは思うけど、人を助けようなんて思わないよね?
特に、ヒワシのような外道をさ」
「それは……」
僕は言葉が詰まり、思わず視線を外した。
いつの間にか、場所が変わっている。
森の中から、家の中に。
ここは僕ん家だ、さっきと変わらず、まだ死体がある。
僕の家族の亡骸、そして、僕が殺した男。
血溜まりもそのままで、あの瞬間が脳内で蘇る。
男が家族を手にかけたと思ったあの瞬間、あの怒り。
とても冷静ではいられなかった。
わかる。
わざわざこの場面を僕にまた見せて、偽イサミは何が言いたいのか、僕にはわかる。
いや、ずっとわかっていた、でも考えないようにしてた。
僕の家族を手にかけた男。
素性は知らないが、間違いなく外道だ。
なんで僕は彼を助けようと思わなかったのか。
ヒワシみたいに、彼の手を引っ張って正道に連れて行く。
改心させる。
今までの僕が取る行動。
それが正しいと、信じて、ドンちゃんに言った行動。
それができなかった。
いざ、自分が災難に見舞われた時、
僕は災難を起こした張本人を助けようなんて思わなかった。
周りから見たら、僕は冷たい人間なのだろうか。
いや、あの時、ドンちゃんにヒワシを改心させるって言ったあの時、災難を起こしたヤツを助けたいって言ったあの時!
あの時の僕の方が、冷たい人間なんじゃないのか。
災難に見舞われた者の気持ちを知らない、あの時の僕。
偽イサミは僕に言っている。
僕の行いは間違っていたと、
外道は、助けるべきじゃないと。
…………、
……じゃあ、なんであの時、
ドンちゃんは僕に優しくして、ヒワシを僕に任せたんだろう………。
ドンちゃんは、僕がヒワシを倒したから、ヒワシをどうするか決めるのは僕たちだと言った。
憎くなかったんだろうか、そんなわけない、ドンちゃんは『殺してやりたい』と言っていた。
カビを失ったヒワシを殺す機会はいくらでもあった。
たとえ僕が目の前にいても、剣を抜けば、僕じゃあ止められなかったはずだ。
なのにどうして……分からない。
僕は、血溜まりに手をつけて、床に座った。
ずっと悩んでばかりだ。
僕って、こんな悩むことあったっけ。
母ちゃんに夜ごはん何食べたい? と聞かれれば即答できたのに。
もう、何も考えたくない。




