意見
「……あの、深澤先生」
歩み寄ってTシャツの袖を引けば、しろいボードを手にしたまま流星がふり返る。
「もうすぐ後半だ。邪魔すんな」
「おねがいします。鷹林くんを、交代させないであげてください。おねがいします」
流星の眉が寄っても、礼音はひるまずに頭を下げた。
「──それは、ニケの意見か」
礼音は天井をあおいだ。
黒翼が見えるのはそれよりはるか上方で、何のことばも降ってはこない。
「…………そうです、と言えば、聞いてくれますか」
三拍おいて、流星がばかばかしそうにため息をつく。
「おまえはアホか。おねがいしてる時点で、ニケじゃないってバレバレだろうが」
「で、でも。私だって、いちおう教師です。生徒のことで、先生に意見する権利ぐらいはあるんじゃないでしょうか」
もうひとつ、ため息をついてから、流星は腕時計に視線を落とした。
「三十秒だけ聞いてやる。交代させるなっていう根拠は?」
「……分かりません」
「なめてんのか、てめえ」
「わ、私には分かりませんが、鷹林くんにはきっと分かっています。彼は、プロになった先のことまで考えているんです。だから、今足が痛くてもがまんして試合に出て点を取ることは、プロになる彼には必要なことなんだとおもいます。ここで交代するわけにいかないというのなら、失うものが何なのか、彼にはきっと分かっているんです」
「──膝のケガは致命傷になるんだ。おまえ、こいつの将来に責任が負えるのか」
袖を持つ手が、ふるえる。
背中に、多くの視線も感じた。
それでも、礼音は毅然と顔をあげて、首を振る。
「負えません。……でも、ここで交代させて鷹林くんに何かを失わせてしまったとしたら、あなたが責任を感じずにすんでも、彼がその結果を背負うことに変わりはないんですよ」
「だから、こいつの好きにさせろ、か──」
礼音の手をはがして、流星は腕を組んだ。
テーピングの手を止め、おもいがけなかったのだろう援護射撃にあぜんとしている慶太に、視線を流す。
「プロ入り後のことまで考えるのは結構だが、靱帯がぶち切れたら、内定も泡と消えるぞ。当然、覚悟の上だろうな」
顔色を変えたのは礼音だけで、慶太は目でうなずきを返した。
「いちばんやっかいなヤロウは、退場にしてやったんだ。一点のビハインドぐらいすぐにはね返してやる」
「言っとくが、役に立たなきゃ替えるぞ」
事実上のゴーサインに、礼音はほう、と息をつく。
どくどくと脈打つ胸を自覚しながら慶太を見れば、ちいさな微笑みが投げられた。
「あ、あの、鷹林くん……本当は、走れないくらい痛いんじゃ」
「そうおもうのに、替えるなって言ってくれたの?」
近より、小声でささやいた礼音に、ビッ、とテープをちぎりながら、慶太がわらう。
「俺、先生は、来てくれないとおもった」
「そ、う、なんだけど……ニケに呼ばれて」
「──サルだけじゃ頼りないって?」
おもわず、礼音は背後をうかがった。
「いえ、え……っと。たぶん、君に──雨で芝が濡れているぶんすべるから気をつけて、と伝えたかったんだとおもいます」
「……雨で、すべる、か。まったくだね」
「すみません。私がもっと早く来ていたら」
手当てが終わったのか、立ち上がろうとする慶太に、礼音はあわてて手をさしのべた。
「たしかにね、先生が早く来てくれてたら、目の前の相手だけに集中できてたかも」
ぎゅっ、とつかまれた手の熱さにおどろいていたら、慶太の体が立ち上がりざま、とん、と胸に倒れかかる。
「えっ、た、立てないぐらい、痛い?」
こたえの代わりに、ふっ、と耳元でわらう気配がした。
「いや、大丈夫。……ね、先生。もしかしてそのへんに監督の幽霊なんかもいて、試合に集中できないなんておまえもまだまだだな、なんてわらってたりするの?」
まっすぐ立った慶太に、礼音は首を振る。
彼の胸に、そっと両手を当てた。
「鶴岡監督の幽霊は、どこにも見えません。でも、ここには、いらっしゃる気がします」
「──先生にひとつ、伝言を頼んでいい?」
首をかしげつつうなずいた礼音に、慶太が内緒ばなしをするように顔を寄せる。
耳にした意外なことばに、礼音は目を丸くしながら、もうひとつうなずいてみせた。




