3 お茶会
その日のお茶会は最悪だった。
いやその日に限らずお茶会というのは最悪だ。
親戚連中に囲まれる。それだけでも最低だが、お茶会にもドレスコードがある。
家族(といっても一族郎党だが)でお茶をすするだけなのに、仰々しいったらないが、それも全てはマダム・リーが決めたことだ。誰一人逆らう者はいない。唯一、逆らうつもりもなく逆らってしまっているクリストファー以外は。
今日のクリストファーの出で立ちは、Tシャツに洗いざらしのブルージンズにスニーカー。
タキシードかディレクターズスーツ着用が基本とされる準礼装のドレスコードからは程遠い。給仕係でさえスーツを着用している。
マリーと共にサロンに入ると、みんながひそひそとやり始めた。
「マダム・リーの秘蔵っ子は特別らしい」
「クリスはマダム・リーの孫だから、何をしても許されるし、魔術ができなくても許されるんだろ。まったく名家のポンコツのくせに」
「あんな出来損ないのクリスが直系の孫だなんて、世の中不公平だ」
「いくらなんでも我々をバカにするのも甚だしい」
バカにしたような視線を向けながら、これ見よがしに言う大人たちの声が聞こえる。
娯楽がないらしく、みんなクリストファーが傷つくのを見て楽しんでいる。そして案の定、今日も悲しくなり、腹のあたりが締め付けられた。しかしなるべく顔に出さないよう、息を吸い、自分を落ち着けるようにゆっくりと吐く。悪口に反応して、みんなを喜ばせたくはない。
暗い顔したり、しょげかえったりしたら最後、その反応が面白くて、もっとひどい事を言われるのを経験上知っている。そういうことをするのが大人だっていうのが信じられないが、とにかく平静を装うのが一番だ。どんなに心の奥が痛かったとしても!!
しかし一緒にいるマリーの方は気になるらしく、いつもの花が開くような明るい笑顔は影をひそめ、まるで歯医者に行く前のような顔をしている。
「気にすんなよ」
サンドイッチにかじりつきながらわざと明るく言った。
スモークサーモンのペーストときゅうりの歯ごたえの取り合わせが旨い。さすがはマダム・リーのお茶会の品だ。どこかの星つきシェフに作らせた代物に違いない。マリーに勧めると、首を横に振った。さっきから何も口にしていない。
ただ口にするのは、
「わたしのせいで、ごめんなさい」
とささやくように言う言葉だけだ。
「もういい加減、気にすんなって」
「でもクリスだって本当はお茶会に出る時はみんなと同じような恰好するでしょ? なのにまるで使用人みたいな……」
マリーがうつむいた。
「そんなこと言ったら使用人に失礼だろ。彼等は俺よりまともさ。なあマリー、聞いてくれ。問題は恰好だけじゃない。恰好にばかりとらわれると真実が見えなくなる」
マリーがはっとしたように顔を上げた。真剣に見つめてくるアクアマリンのような青い瞳が可愛らしい。この瞳になら吸い込まれても構わない! 思わずマリーの肩に手をかけた。絹製のドレスの感触がなめらかで心地いい。
「そもそも物事を正確に見極めるためには身も心も裸になるべきなんだから」
マリーの顔が真っ赤になった。瞬間、マリーの肩に乗せた手が誰かに掴み上げられた。
「クリス!」
振り返ると、オリビエが立っている。眼鏡の下の顔が今、怒りのためか真っ赤になっている。
「やあ、オリビエ」
そう微笑んで、オリビエが一人ではないことに気づいた。
後ろにグザビエが青ざめながら立っている。この二人、いとこ同士なのにまるで兄弟みたいにいつも一緒だ。
「妹を口説くなよ、出来損ない」
オリビエがいきりたっている。
出来損ないとは、あんまりだが、なるべく表情を変えないように注意する。
「俺はただ、ハインリッヒ・ハイネの話をしてただけですけど」
「ならなんでマリーは風呂上りみたいに真っ赤な顔してんだ」
「おっ、お兄ちゃん。わたし……赤くなってない」
マリーが抗議した。そのくせ耳まで真っ赤で、目は潤みきっている。
「とにかく2人は少し離れろ」
オリビエが、マリーと俺の間に椅子を押し込んできた。
それに合わせるように、グザビエが俺の隣の椅子に腰をかける。
「マリー、このポンコツと2人だけっていうのは10歳のお前にはまだ早い」
オリビエがささやくように言うのを聞き逃さなかった。
「オリビエ、ここでは俺とマリーの2人だけ、というわけではないですよ」
サロンを見渡す。ベルサイユ宮殿と見まがうばかりの豪奢で広いサロンには、テーブルがいくつも置かれ、ざっと30人近くの男女が着飾り、お茶を片手に談笑している。
「それからもう一つ言えば、俺も10歳ですけど」
オリビエが声をあげて笑った。グザビエが青ざめながら
「みんな仲よくしようよ」
と言いながらオリビエの顔をうかがっている。
オリビエはグザビエを完全に無視し、俺に向かって大きく頷いた。
「そうだった、そうだった。クリスはまだ10歳だったな。つい13歳の俺達と同い年に感じちゃうんだ。そもそも中身がない癖に態度はデカいし、背もデカいから」
グザビエが驚いたように目を見開き、
「確かに大きくなったね、クリス。背丈は去年の夏からどのくらい伸びた?」
「10センチ弱でしょうか?」
オリビエがピューっと口笛を吹いた。
「うどの大木ってのは、クリスお前のことだな」
「お兄ちゃん、クリスにそんなこと言っちゃ可哀そうよ」
マリーが困ったように眉をひそめた。
「事実だろ」
オリビエが大声で笑うと、マリーが怒ったように口を尖らせた。
「お兄ちゃん、失礼よ」
「何だと」
オリビエがマリーの口の両端を乱暴に掴み上げ、
「事実を言うのがいつから失礼になったんだよ、マリー」
まるで犬に言うことを聞かせるかのように、マリーの顔を左右に振った。胸の奥にパッと火花が燃え上がった。気づくと立ち上がってオリビエの手を掴み上げていた。
「何だよ、この手は」
オリビエの驚いた声に血の気が引いて、手を放す。
「すっ、すいません」
「いきなり目上に乱暴するなんていい度胸だな。マダム・リーのお気に入りは」
皮肉たっぷりな言い方だが、不思議と最後の部分に、ほんの少し劣等感のようなものを感じる。まさか自分を卑下している?
もし俺にオリビエの心を読める力があれば分かるのに。
左手の薬指の指輪に視線を落とす。こんな拘束具がなくても、俺は心が読めないだろう。そう思うとため息が出そうになり、慌てて視線を反らす。
リー一族の血を引く者はみな心を読む能力を持っている。とはいえ心を読むことは禁じられている。人間不信に陥るのを防ぐのが目的らしい。そのため当主のマダム・リーを除き、無意識に心を読んでしまわないよう、全員指輪型の拘束具をつけることになっている。指輪型の拘束具をつけていれば、相手の心を読めなくなるからだ。もっとも俺の場合はこんな拘束具は(魔力0だから元々読めないので)不要だけど、決まりは決まり、指輪を外すわけにはいかない。指輪をくるくる回し、第1クォーターに百合紋章、第2クォーターに星、第3クォーターに月、第4クォーターに太陽を組み合わせたリー一族の紋章の刻印が上にくるようにした。そう言えば、この拘束具、最近サイズが合わなくなってきた気がする。
その時、ちょうど給仕がケーキを載せたトレイを運んできた。そのケーキに視線を移したマリーの顔が輝く。可愛らしさに思わずニヤついてしまう。口元が緩まないよう、ケーキのほうを見つめながら、さりげなく口を開く。
「マリーはケーキ何にする?」
「わたしは……」
マリーの視線が、イチゴのタルト、イチジクのタルトとマスカットのケーキ、チョコレートとラズベリーのプロフィトロール、ルバーブのタルトと移り、ブルーベリーのムースの上で止まる。マリーが口を開きかけると、すかさずオリビエが、
「イチゴのタルトだろ。マリーは俺と同じでイチゴが好きだもんな。イチゴのタルトを俺とマリーに」
「かしこまりました」
給仕が皿にイチゴのタルトを盛り付ける。
「わたしは……うん。イチゴのタルト好き」
さっき喧嘩したことを忘れたように、マリーが無邪気に微笑んだ。しかしブルーベリーのムースを横目でちらちら見つめている。あまりにも可哀そうで、つい言わなくてもいいことを言ってしまった。
「オリビエ。マリー自身に選ばせてあげてください」
「何の話だ?」
「ケーキの話ですよ」
オリビエが鼻で笑った。
「クリス、俺は妹のことは何もかもよく知っている。だからマリーの選択も全部手に取るようにわかるんだ。マダム・リーからリー一族の正統派魔術を教わらなくてもな。この点はお前には負けない」
オリビエは勝ち誇ったようにイチゴのタルトにフォークを入れる。フォークが皿に当たり、カチャンと不快な音を立てた。
魔術の問題じゃないだろ。そういうのをシスコンって言うんだ! 思わず心の中で毒づいた。
「クリス様、ケーキは何になさいますか」
「俺は、いりません」
給仕が勧めるケーキを辞すると、グザビエが信じられないって顔をしながら、
「クリス、本当にいらないの?」
と俺の顔を覗き込んできた。身体でも悪いのかって言いたげだ。
「心配しないでください、グザビエ。別に体調が悪いわけじゃないから」
「グザビエの質問の意味はそこじゃない」
オリビエがイチゴのタルトをほおばりながら、ニヤッとした。
「グザビエにとっちゃ、勧められた食べ物を食べないなんて、死体くらいなものだからだ」
オリビエを無視し、グザビエに微笑みかける。
「グザビエ、とにかく俺のことは気にしないで、召し上がってください」
グザビエがほっとしたように頷いた。給仕はチョコレートとラズベリーのプロフィトロールをグザビエに渡すと、次のテーブルへと行ってしまった。
マリーはまだ名残惜しそうに、運ばれていくケーキに視線を送っている。グザビエがこの上なく嬉しそうにケーキにパクつきはじめた。オリビエが口元をナプキンで拭いながら口を開いた。
「そう言えば明日、俺たち家族でピクニックに行くんだけど? クリスも来ないか?」
俺を誘ってくれてるなんて! 喜びより驚きの方が勝る。何か言う前にマリーがパッと微笑んだ。
「うわあ、クリスも一緒がいい。ピクニックは一日かけて行って、夜までいるの。わたしたちの教会の近くでね、お星さまを見るの」
マリーの青色の目が楽しそうに輝いている。あー星よりも、この笑顔を夜まで見ていられたらどんなに……ふいにマダム・リーの魔術の授業が頭をかすめた。
オリビエがわざとらしく額に手を当てた。
「あっ、明日も魔術のお勉強があったんだったな。いやあ、つい日曜だから大丈夫かと思ったけど、魔術がまだ使えないお前には関係なかったな」
「そんなあ、クリスも一緒がいい」
「何言ってんだマリー。マダム・リーの授業をさぼらせるわけにはいかないだろ。悪いな、クリス、今の話、忘れてくれ」
オリビエの口の端には、とても“悪い”とは思っていない晴れやかな笑みが浮かんでいる。
毎日マダム・リーの魔術の授業があるって知っていて、わざと誘ったんだ。心に影が差しそうになったが、マリーを見て、その影を追い払った。無理やり笑ってマリーを見つめる。
「気にしないでください」
オリビエにというより、マリーに言ったが、マリーはあからさまに落胆し、ケーキのスプーンを置いた。
ああ、これだからお茶会は嫌いだ!!




