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クリストファー・リー・カイゼルベルグと書庫の秘密  作者: 青山 高峰
第一章

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2/15

2 バラの図書室



広(ひろ)げた本をそのまま放(ほう)り投(な)げて、指揮棒(しきぼう)を引っ掴(つか)む。掴(つか)む時、手のひらを切(き)ったが、構(かま)わずに自室(じしつ)のドアを飛(と)び出した。背後(はいご)でドアが大きな音を立てて閉まる頃(ころ)には、もう廊下(ろうか)を半分(はんぶん)ほど走(はし)っていた。


この時間(じかん)に、図書室(としょしつ)から異音(いおん)なんて明らかにおかしい。なんだか胸騒(むなさわ)ぎがする。廊下(ろうか)の電気(でんき)を入れながら、図書室(としょしつ)のある東棟(ひがしとう)に続(つづ)く扉(とびら)を目指(めざ)して走った。扉(とびら)近くまでくると、図書室(としょしつ)の奥(おく)にある書庫(しょこ)の扉(とびら)を揺(ゆ)らす音が聞(き)こえ、それが徐々(じょじょ)に大きな音に変わった。大きく息(いき)を吸(す)いこみ、一度(いちど)自(みずか)らを落(お)ち着(つ)かせ、扉(とびら)を開(ひら)いた。


そこは円形(えんけい)の図書室(としょしつ)で、天井(てんじょう)が高く、中央(ちゅうおう)に半円形(はんえんけい)の書棚(しょだな)が二つ、そして左右(さゆう)の壁(かべ)に沿(そ)うように書棚(しょだな)が(ほぼ天井(てんじょう)まで)ある。上から見るとちょうどバラの花が開(ひら)きかけた形(かたち)に見えることから、バラの図書室(としょしつ)と異名(いみょう)を持(も)っている。本は全てリー一族(いちぞく)が古代(こだい)より集(あつ)めてきた魔術(まじゅつ)や歴史(れきし)に関(かん)するもので、膨大(ばくだい)な蔵書数(ぞうしょすう)を誇(ほこ)っている。天井(てんじょう)まで伸(の)びる書棚(しょだな)には梯子(はしご)がかけられており、うず高く収(おさ)められている本にアクセスできるようになっている。


今、小さな人影(ひとかげ)が階段(かいだん)の一番上(いちばんうえ)、入り口から一番(いちばん)遠(とお)い書棚(しょだな)に手を伸(の)ばすのに忙(いそが)しかった。あの最上段(さいじょうだん)の書棚(しょだな)には、50センチはある大型本(おおがたぼん)、特(とく)に大人向(おとなむ)きの難(むずか)しい魔術(まじゅつ)の本が配(はい)されており、いたずらに子どもたちが手にできないようになっている(大型本(おおがたぼん)を配置(はいち)している理由(りゆう)は他にもある)。


ドレス姿(すがた)の少女(しょうじょ)は強引(ごういん)に本を引き出そうとして忙(いそが)しかった。両足(りょうあし)で梯子(はしご)にふんばり、両手(りょうて)で本の背(せ)に手をかけ、細身(ほそみ)の自分(じぶん)の体(からだ)を使って、本を引(ひ)っこ抜(ぬ)こうとしている。長い金色(きんいろ)の髪(かみ)が揺(ゆ)れ、本が引き出された瞬間(しゅんかん)、バランスを崩(くず)し、足を踏(ふ)み外(はず)した。


「きゃあああ」


少女(しょうじょ)が悲鳴(ひめい)をあげた。ボリュームのあるスカートが梯子(はしご)にひっかかったのも束(つか)の間(ま)、繊細(せんさい)な生地(きじ)がビリビリっと音を立て始(はじ)めた。


「いっ、いやー」


クリストファーは本棚(ほんだな)の下に駆(か)け込(こ)んだ。生地(きじ)の繊細(せんさい)さと地球(ちきゅう)の重力(じゅうりょく)に逆(さか)らえず落ちてきた少女(しょうじょ)をガッチリと腕(うで)の中に受(う)け止め、落下(らっか)してきた大型本(おおがたぼん)を巧(たく)みに避(よ)けた。


「間(ま)に合(あ)った」

 ほっとして言うと、少女(しょうじょ)が恐々(こわごわ)目を開いた。


「ああ、よかった。ありがとうクリス! あの上から落ちた時にはもう……」


 そこまで言って、少女は口ごもった。手を取られて、床(ゆか)に立たせてもらった手を見つめている。その手が血(ち)で汚(よご)れたからだ。


「問題(もんだい)ないさ、マリー」

 疲労(ひろう)を感(かん)じながら言った。


「こんなのたいした傷(きず)じゃないから」


 マリーの眼(め)の奥(おく)に罪悪感(ざいあくかん)の色が見え隠(かく)れしている。


「だ、代償(だいしょう)の魔術(まじゅつ)、まさか瞬間(しゅんかん)移動(いどう)の魔術(まじゅつ)を使ったわけじゃないわよね」

 マリーはつっかえながら言った。


代償(だいしょう)の魔術(まじゅつ)とは、自分(じぶん)の肉体(にくたい)の一部(いちぶ)を差(さ)し出すことで目的(もくてき)を叶(かな)える魔術(まじゅつ)で、とびきりの即効性(そっこうせい)がある。瞬間移動(しゅんかんいどう)の魔術(まじゅつ)はこの代償(だいしょう)の魔術(まじゅつ)に分類(ぶんるい)される。空間(くうかん)を歪(ゆが)めて移動(いどう)する魔術(まじゅつ)で、差(さ)し出す代償(だいしょう)は移動(いどう)する距離(きょり)によるものの、ほとんどが血液数的(けつえきすうてき)で済(す)む。|しかし他(ほか)の代償(だいしょう)の魔術(まじゅつ)の中には、もっと大きな代償(だいしょう)を必要(ひつよう)とするものもある。


「マダム・リーに怒(おこ)られない?」

 マリーの言う通(とお)り、マダム・リーはこの“代償(だいしょう)の魔術(まじゅつ)”を使うことを禁(きん)じている。そもそも黒魔術(くろまじゅつ)に属(ぞく)するからだ。


「まさか」

 おどけて言った。


「そんなの使えるわけないだろ」


「そうかな……わたしにはクリスが突然(とつぜん)現(あらわ)れたように感(かん)じたわ」


 胸(むね)の中にどうしようもない空(むな)しさが広(ひろ)がった。禁(きん)じられた黒魔術(くろまじゅつ)どころか魔術自体(まじゅつじたい)が使えないっていうのに!


「それより」

 ぴしゃりと言った。


「マリーこそ、お茶の時間にこっそり抜(ぬ)け出して、図書室(としょしつ)をあさるなんて、どういうつもりだよ」


「怒(おこ)らないでよ、クリス。わたしはただ復活(ふっかつ)の魔術(まじゅつ)を探(さが)していたの」


「復活(ふっかつ)の魔術(まじゅつ)! なんだってそんなもの……」


 復活(ふっかつ)の魔術(まじゅつ)ってのは病人(びょうにん)を元気(げんき)にさせる魔術(まじゅつ)。ってのは建前(たてまえ)。実際(じっさい)は死者(ししゃ)をも生き返(かえ)らせることができるものだ。代償(だいしょう)の魔術(まじゅつ)に分類(ぶんるい)される上、最大級(さいだいきゅう)の禁忌(きんき)。クリストファー自身(じしん)、そういう魔術(まじゅつ)があるというのは本で読(よ)んで知(し)ってはいるけど、やり方は知(し)らない。そもそもそんな大(だい)それた魔術(まじゅつ)、この図書室(としょしつ)にマダム・リーが置(お)くはずがない。奥(おく)にある秘密(ひみつ)の書庫(しょこ)ならともかく……。


「だってロルの具合(ぐあい)が悪(わる)いから」

 マリーの声(こえ)で現実(げんじつ)に引き戻(もど)された。ロルというのは、マリーの愛犬(あいけん)トイプードルのことだ。


「でも復活(ふっかつ)の魔術(まじゅつ)なんて、そんなものないよ」


「嘘(うそ)」

 マリーが即座(そくざ)に反論(はんろん)した。

「わたし達一族(いちぞく)には、禁断(きんだん)の魔術(まじゅつ)があるって聞いたことあるもの」


「ふーん、ならマダム・リーに直接(ちょくせつ)聞いたら」


「クリスったら、なんでそんな意地悪(いじわる)なこと言うの? わたしには、ううんクリス以外(いがい)の他(ほか)の誰(だれ)にも、マダム・リーは魔術(まじゅつ)を教(おし)えないし、魔術(まじゅつ)の話すらしないって知っているじゃない。だから、わたしはこうして図書室(としょしつ)に――」


「盗(ぬす)みに入った?」


「違(ちが)うわ。ちょっと本を借(か)りようと思っただけよ。ちゃんと返(かえ)すつもりだったし。悪(わる)い事(こと)なんてし、してないもん」

 マリーが小さな胸(むね)を張(は)った。桃色(ももいろ)の唇(くちびる)も、挑(いど)むようなアクアマリンみたいな澄(す)んだ青い瞳(ひとみ)も可愛(かわい)い。ピンク色のワンピースもなかなか似合(にあ)って……。


「そういうのはマリー、スカートを履(は)いてから言えよ。水玉(みずたま)のパンツを見せられながらだと説得力(せっとくりょく)ない」

 マリーはビックリして視線(しせん)を落とした。そこで初(はじ)めて自分がパンツ姿(すがた)なことに気づいたらしく、真(ま)っ赤(か)になってしゃがみこんだ。


「どうして早く教(おし)えてくれないのよ」


「ん? 良い眺(なが)めだったから」


「バカ!」

 視線(しせん)を梯子(はしご)に移(うつ)すと、スカート部分(ぶぶん)が梯子(はしご)にひっかかり、藤(ふじ)の花のように垂(た)れ下がっている。


「あーあ、せっかくスカートをとってきてやろうと思ったのに」


「もうっ、クリスの意地悪(いじわる)!」


 梯子(はしご)に手をかけた時、背後(はいご)で魔力(まりょく)の光が集(あつ)まるのを感(かん)じた。


梯子(はしご)に引っかかっていたスカートが羽根(はね)を広げた鳥(とり)のように飛(と)びあがり、いきなり急降下(きゅうこうか)してきた。びっくりして避(よ)ける。振(ふ)り返(かえ)ると、立ち上がったマリーの上半身(じょうはんしん)、前身(まえみ)ごろと後(うし)ろ身(み)ごろにスカートがビタッとくっついた。まるで磁石(じしゃく)に砂鉄(さてつ)がくっつくように、ぴったりと縫(ぬ)い合わさっている。魔術(まじゅつ)としても、縫製(ほうせい)としても完璧(かんぺき)だ。


「すごいな」

 思わず感嘆(かんたん)の声をもらした。


 するとマリーも自分でしたことに自分で驚(おどろ)いたように目を丸(まる)くしている。

「どうしてできたのかしら、こんな難(むずか)しい魔術(まじゅつ)」


 魔術(まじゅつ)の感触(かんしょく)を確(たし)かめるようにマリーが自分のピアスに触(ふ)れた。マリーの瞳(ひとみ)と同じ色のアクアマリンのピアスは、マリーの魔術(まじゅつ)を引き出すアイテムだが、普段(ふだん)の透明(とうめい)な水色(みずいろ)と違(ちが)い、今はまるでサファイアのように深(ふか)い青色になっている。マリーの魔術(まじゅつ)が最大限(さいだいげん)まで引き出された証拠(あかし)だ。魔力(まりょく)0の俺とは大違(おおちが)い。


「さすがは優等生(ゆうとうせい)のマリーだな」


「そんなことないわ」

 マリーが恥(は)ずかしそうに肩(かた)をすくめる。


「クリスだってこれくらいの魔術(まじゅつ)使えるようになるわよ」


 何の魔術(まじゅつ)も使えない|俺にとって嫌味(いやみ)でしかない言葉(ことば)だけど、マリーのピンクのバラの蕾(つぼみ)みたいな唇(くちびる)から出てくるとそうは聞こえない。透(す)き通(とお)るようなアクアマリンの目はまっすぐで、“いつかクリスも魔術(まじゅつ)を使える”と本気(ほんき)で思ってくれている。本当(ほんとう)に素直(すなお)で屈託(くったく)がない優等生(ゆうとうせい)で……俺のことなんて一生(いっしょう)分からないだろう。情(なさ)けなくて笑(わら)えてきた。


「クリス? 何で笑(わら)うの?」


「いや。もし俺が魔術(まじゅつ)を使えるようになったら、もっと丈(たけ)を短(みじか)くしてやるよ」

 スカートの裾(すそ)を思いっきりつまみ上げてやった。すると、またマリーのパンツが露(あら)わになった。


「何するのよ!」

 マリーが真(ま)っ赤(か)になって俺の手を叩(たた)こうとしたその時(とき)、図書室(としょしつ)の扉(とびら)が開(ひら)いた。深紅(しんく)のドレスを着(き)た背(せ)の高い金髪(きんぱつ)の女性が入ってきた。


マダム・リーだ。


 その眼(め)には何の感情(かんじょう)も浮(う)かんでいないようにも、あらゆる感情(かんじょう)が浮(う)かんでいるようにも見える。


「おばあさま、ご機嫌麗(きげんうるわ)しく……」

 膝(ひざ)を折(お)って礼(れい)をしようとすると、手で制止(せいし)された。


「挨拶(あいさつ)はいい。それよりクリスとマリーはそこで何をしている?」


 穏(おだ)やかな声だが、隣(となり)に立つマリーが縮(ちぢ)みあがるのを感(かん)じた。


禁忌(きんき)である復活(ふっかつ)の魔術(まじゅつ)を探(さが)していた、などと、マリーが言えるはずもない。ため息(いき)を一つついてから、口を開いた。


「本を読んでいたんです」


 マダム・リーの視線(しせん)は既(すで)に床(ゆか)に落ちている大型本(おおがたぼん)に移(うつ)っている。

「それで、マリーは?」


「わたしは……えっと……」

 マリーの震(ふる)えは既(すで)に声にまで及(およ)んでいる。その震(ふる)えがうつらないよう、ゆっくりと口を開く。


「マリーはお茶の時間だからと呼(よ)びに来(き)てくれたんです」


「そうか」

 マダム・リーが油断(ゆだん)ならない眼(め)でマリーを見つめている。


「マリー、クリスは魔術(まじゅつ)の勉強(べんきょう)を優先(ゆうせん)させるため、お茶会への参加(さんか)は自由(じゆう)になっている。夏をここで過(す)ごすのは初(はじ)めてではないだろうに、忘(わす)れたのか? まさか許可(きょか)もなく、ここの図書室(としょしつ)を漁(あさ)っていたわけではないだろうね」


 マダム・リーはさすがに鋭(するど)い。底(そこ)のしれない湖(みずうみ)のような青い目に見据(みす)えられ、マリーがうつむいた。小刻(こきざ)みに震(ふる)えながら口を開く。


「まさか……そんな……はずありません。ただここで……」


「ここで?」


「俺に迫(せま)っていただけです。マリーは俺とどうしてもお茶会に出たいからって」


 マリーが真(ま)っ赤(か)になって顔を上げた。その眼(め)が“なんてこと言うの!”と抗議(こうぎ)している。しかし、突然(とつぜん)マダム・リーが声を上げて笑(わら)った。


「ならばクリス、今日はお茶会に参加(さんか)するしかないな。まだ始まったばかりだ。2人ともおいで」

 マダム・リーが深紅(しんく)のドレスを翻(ひるがえ)し、図書室(としょしつ)から出て行った。

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