1 前代未聞の劣等生
暑い日が続いている。
フランス、ロワール地方の夏だ。陽射しが強く、雨がほとんど降らないため、空気がかなり乾燥する。
今年の夏休みはたまらないな。
クリストファー・リー・カイゼルベルグは魔術の本を読みながらそう思った。ここはパリとは違って多少は快適なはずなのに、今年の夏は格別に暑い。暑いのはとにかく苦手だ。熱気がまとわりつき、頭がぼーっとしてきて何も考えられなくなる。それが嫌だ。
側に置いてある指揮棒に手を伸ばした。この指揮棒は、リー一族の現当主マダム・リーから贈られたものだ。リー一族として産まれた者は、それぞれの宿りと言われる誕生年月日時間の特性により、魔術を引き出すアイテムを誕生時に贈られる。たいていがペンダントやピアス、ブレスレットといった身に着けるアクセサリーが多い中、クリストファーが贈られたのはこの白い指揮棒だった。
空気を冷やすための魔法陣を頭で思い描き、その魔法陣をなぞるように指揮棒を動かす。ツタや玉桂、ルーン文字を組み合わせたこの魔法陣は複雑なものの、頭の中で鮮明に思い浮かぶ。素早い動きに空気が唸り声を上げた。しかし指揮棒の先は何も起きない。魔法陣が描けないどころか、光さえ出ない。
クリストファーはもう一度頭に浮かべた魔法陣を強く思い描き、それが指先から指揮棒に伝わるよう必死に念じた。親戚の同い年の子はみな、すでに魔術を使える。リー一族の血を引く者は誰でも3歳になれば魔術を使えるようになり、5歳にもなれば、初歩的な魔術、例えば空気を冷やす魔術などは簡単にできるようになる。なのに10歳になっても、ひとつも魔術を使えない。こんなリー一族なんて聞いた事がない。
やはり指揮棒の先には、魔法陣が出てこない。指揮棒の先がにじんで見えただけで、魔力が指先に集まる感覚すらない。
「どうして俺は魔術が使えないんだろう」
声に出して言うと、口の中に言葉が苦みのように広がった。
魔術を使えないというのが、リー一族現当主マダム・リーの直系にして唯一の孫である自分というのが情けなくてたまらない。
ため息をつき、指揮棒を傍らに置いた。ふいにその姿が、化粧台の鏡に映った。透き通るような明るい金色の髪に、大きくて青い瞳は晴れた日の空を思わせる。
通った鼻に、綺麗な形の唇、そして際立った透明感のある白い肌。学校のクラスメートから、“人形みたい”と言われるこの顔だけは、リー一族らしさが強く出ている。
リー一族は、金色の髪に青い瞳と抜けるような白い肌、そして美しい顔立ちを特徴としてもつ。そのため昔からリー一族出身の俳優も多い。しかし、クリストファーにとってみれば、この華やかな見た目はむしろ苦痛でしかない。学校では“名家の坊ちゃんは俺達とは違う”とあからさまに仲間外れにされている。
まあ仲間外れにされるくらいならマシかもしれない。入学当初など、女子に騒がれ、男子からは“女子の前で気取りやがって”とボコボコにされた。10歳になった今、体が多少なりとも大きくなったから、暴行されることはなくなったものの、まるで空気のように扱われている。
その時、銅鑼が1つ鳴った。
お茶を知らせる時間だ。ため息がもれた。むわりとした暑さを感じ、苦しくなって魔術の本に手を伸ばす。
なにも暑いのがまったくダメという訳ではない。現に魔術の本を読んでいる時は集中してしまい、暑くても寒くても気にならない。苦手なのはむしろ夏休みだ。
マダム・リーは魔術に関しては厳格な人であるが、華やかなことが好きな人だ。そのため、毎年夏になると、リー一族の血縁者全員をこのカイゼルベルグ城に招き夏を過ごさせる。使用人を除いて、マダム・リーと2人だけの、このだだっ広い城が一気ににぎやかになるが、そのせいで、より一層孤独感に襲われる。“顔こそリー一族だが、我々と違って魔術が使えない”とこれみよがしに言う親戚もいれば、“無能が伝染するといけない”とわざとらしく逃げるようにする親戚もいる。
それもマダム・リーの見ていない時に限ってだ。
マダム・リーに言えばいいのかもしれないが、自分が一層みじめになる気がして告げ口する気にはなれない。それだけでも苦痛なのに、夏休みの間、マダム・リーは午後のお茶会とパーティーを催す。それも毎日。出席は絶対だが、クリストファーだけは魔術の勉強優先のため、除外されている。出ても出なくてもいい。つまり任意だ。これはクリストファーにとって、もっともありがたい処遇といえる。
学校でも、城でも居場所はない。いや、居場所はあるにはある。
ここカイゼルベルグ城のバカでかい自室の部屋。自嘲的な笑みがこぼれた。両親を亡くしたクリストファーはマダム・リーに引き取られ、城の中でも日当たりの良い一番大きな部屋を与えられている。元々は父親の部屋で、父親が結婚した後は両親が休暇に使う部屋だった。クリストファーが使うことになると全てが新調された。大きなキングサイズのベッド、ローズウッド製のバカでかい机、化粧台に、100着以上かかるウオークインクローゼット。この特別な扱いは、自分がマダム・リーの孫だからだ。
特別扱いは、城での扱いにとどまらない。魔術が全く使えない超劣等生でありながら、魔術をマダム・リー直々に仕込まれている。
リー一族に産まれた者であれば、いや魔術を学ぶものであれば、マダム・リー手ずから、リー一族が連綿と集めてきた魔術の神髄といえる正統魔術の教えを受けるなど、垂涎の極みといえる。いつか自分にも使えるようになる。そう言い聞かせ続け、必死で学んだ。元々物覚えは良かった。おかげで全ての魔術の呪文も魔法陣も全て覚えられた。
しかし頭で分かるのと、実際にできるのとでは全然違う。
ちょうどダンサーが踊るのを見て、簡単に思えても、実際にやってみたら全く身体が動かず、踊れないのと似ている。とにかくどんなに覚えても、魔術が使えない。本当にどうしてここまでできないのか悲しくなる。まぐれでも一回くらいできてもいいのに、マダム・リーの才能の欠片すらない。
親戚たちは
「マダム・リーはダメな子ほどかわいいんだ」
「クリスみたいに才能のない奴に教えても無駄なのに」
と陰口をたたく。
しかしマダム・リーはそれを知ってか知らずか、それともいずれ魔術が使えるようになると信じてくれているのか、魔術の講義を止めようとはしない。
午後5時半にさしかかろうとしていた。
辺りは静かだった。恐らくみんな1階のサロンに移動したのだろう。このカイゼルベルグ城の中で自室にこもっているのはクリストファーくらいのものなのだ。静けさの中に身を置くと徐々に気持ちが落ち着いてくる。そろそろと腰をかけ、ページをめくったちょうどその時、図書室で異音がした。
飛び上がるほど驚いた。気のせい?
また音がした。気のせいじゃない!!




