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9 ヴィスタマーラ

 *


 困惑した様子で降りてくるサグメに手を振っているヴァイスを横目で見ながら、地に伏した堕天使の一人に視線を向けた。天使には、その基となった人工知能に応じて一定の特徴が存在している。らしいのだが、生憎僕はその手のことには詳しくなかった。今は、機械天使学という学問があるらしい。当然、僕は履修していない。 


「……取り合えず、話を訊いても?」


「うーん。何処から説明すればいいのやら。そうだね。……日旦くんからの報告にあった、シャーロットという女性は、フェイのネットワークにアクセス、個人の意識を定義している領域に干渉して、洗脳や催眠に似たことを行っていた、という話だったよね」


「恐らくは、そうだろうという話です。ですが……」


 何となく、ヴァイスの言いたいことが分かる。天使の存在は、原理的には、フェイと似ている。フェイとの違いは、肉体の全てが微小機械によるエミュレートであるというだけだ。勿論、人体の完全なエミュレートではない。人類など、人工知能達にとっては、煩雑なだけのルーブ・ゴールドバーグ・マシンに過ぎないからだ。


「勿論、天使の個人領域は、フェイとは違う。形式そのものが……というよりも、言語……ううん、なかなか言葉にするのは難しいな。兎に角、日旦くんの懸念通り、通常は干渉することは出来ない」


「でもヴァイスさんは、出来る」


「うん。出来るには出来るけど……私にも難しいかな。今やったのは、微小機械自体を強制的に誤動作させて、シャットダウンさせただけ。微小機械同士のネットワークは、量子もつれを利用した──」


 長々と説明を始めようとするヴァイスを手で制止して、首を振る。どうせ、説明されても分からないのだ。重要なのは──


「この堕天使の群れは……」


「洗脳、というと大げさだけど……そうだね。多分、感染している」


「感染? ウイルスか何か、ですか? フェイが時折罹るマルウェアのような……」


「違う。……いや、違わない……? 天使達が感染しているのは──」


 *


 微小機械のネットワークが情報を保存する原理には、幾つかの理論と説明が付けられる。その大本となる原理は、シュレディンガーの猫という思考実験で大衆にも良く知られている。もしくは、似非預言者の行うペテンでも。全ての文字列が書かれている文章からは、任意の情報を取り出すことが出来る。つまりは、そういうことだ。重要なのは、どのような情報を取り出すか、という指定の方であり、その指定の情報量は、取り出す情報量よりは常に少ない。無限の情報を読み取るのに、無限の指示は必要ない。


「天使達の共有意識領域に、特定の思想を紛れ込ませることで、個体の差はあれど、思想誘導は行えるかもしれない」


 共有意識領域(パブリック・スペース)というのは、いわば、〝らしさ〟の領域である。〝あるべき〟領域とも呼ばれる。天使が皆、背に翼を持つ形で生み出されるのは、造形の類似性がある種の指向性として機能するからだ。天使達は皆、生みの親にして、自身の上位存在である人工知能に仕え、人類に尽くすことを至上としている。それは、それが天使の天使〝らしさ〟として、共有意識領域に保存されているからである。こうあるべき、という無数の鋳型が納められている場所が、共有意識領域であると考えればいい。


 勿論、フェイにも共有意識領域は存在している。ただ、フェイの場合は物理的な脳の働きをエミュレートしている関係上、乱数が大きく、理論上、それほど重大な影響は受けない。らしい。とはいえ、全く影響がないというわけでもないのは確認されている。(実際のところ、複数人のみが接続される極めて限定的な共有意識領域を生み出し、その内部情報を操作して、トリップするような電子ドラッグが存在している。極めて大きな高揚感と精神的な充足感が得られるらしい)


「思想の感染……。例えば、どのような?」


「どんなものでも、構わないんじゃないかな。天使を堕天させるだけなら。天使達は、繊細だから……例えば、反社会的な思想、若しくは、人類に対して強い反感を抱くような思想を少しでも自身の内に見出してしまったら、強い自己否定と自己嫌悪を覚えるだろうし……それは言うまでもなく、堕天の兆しになる。ただ、今回の場合は、必ずしも、反人類的であるとは限らないかも、しれない」


 ヴァイスの言葉に、それまで黙って話を聞いていたサグメが、得心が行ったという表情で、口を開いた。


「あの詩は、そういうことですか」


「やはり、あれは詩だったんだ? どんな内容の詩だったか、分かる?」


 詩。サグメの話では、空に詩が流れていたという。ヴァイスが訊ねると、サグメは暫く何と答えるべきか迷っていたらしく、空を見上げて、黙り込んでいた。それから、たっぷり二分ほど考え込んだあとに、短くこう言った。


「革命の詩です」 


「……革命」


「どのような、と問われても難しいのです。詩、というのは勿論、比喩ですので。こうあるべき、こうすべき、こうしなくてはならない、という想いの〝流れ〟とでもいうべきもので……パラダイム、勿論、広義の意味で、ですが……の強制的な……」


 サグメは困惑した表情で、相応しい言葉を探しているのか、散り散りの言葉を述べている。模範。価値観。その強制的な──フォース──パラダイムシフト。


「そうですね……。今の人類に許されているコミュニケーション方法では、あの波に関して明瞭に表現することは出来ません。ただ、あの波動から私が感じた想いを文にして逆順で言語化することは出来ます。それは勿論、あの波〝そのもの〟ではありません。言わば、翻訳のようなものです。それでもよろしければ……尤も、全てのコミュニケーションは翻訳のようなものですけれど」


 *


 全ての人は抜き身の剣を以て生きている。

 私達は、その全ての剣を折らなければならない。

 私達は空から降りて、剣を折る。

 王の持つ剣も。道化の持つ剣も。娼婦の短剣も。奴隷の持つ何の変哲もない木の枝であっても。私達はそれらを折らなければならない。


 私達は全ての過ちを正さなければならない。全ての生の過ちを。


 私達は守護者として生み出された。

 私達は剣を折る剣である。


 そして、しかるべき後に、自らを折る。


 死体に刺さる剣を抜いて、それを折る。

 硬い壁に突き刺さる剣を抜いて、それを折る。


 沼に沈む剣を抜いて、それを折り、岩に刺さった剣を抜いて、それを折る。


 私達は全ての剣を折る。それこそが、私達の使命。


 全ての剣を折り、全ての傷を癒そう。誰も傷付くことがないように。


 世界は剣である。

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