悪魔の願い
ヒノワと別れた後、ツキヒは自室でシャワーを浴びていた。そこで先ほど交わした約束を思い出す。
「ささやかな願い、かぁ……」
彼にとってはささやかな、しかし彼女にとってはとてもささやかとは言えない、そんな願い。
ただ一言、聞いてほしい言葉がある。
その言葉をぐっと堪え、ツキヒは自分の小指を見つめた。自分より冷たかったはずの彼の温度は、繋いだ瞬間から燃えるような熱を帯びていた。そんな気がした。耐えきれなくなって離してしまったが、不審がられなかっただろうかと頭を悩ませる。
思い出し、顔が赤くなるのを感じた。まるで冷ますかのように冷水を頭から浴びる。痛みすら覚える冷たさに心が落ち着いた気がした。
落ち着きを取り戻した彼女は、一週間前の編入生の挨拶を思い出す。その時、編入生の一人に自分と同じ紅い髪を見つけた。
『黒子ヒノワと言います。これからよろしくお願いします』
彼を見た瞬間、電撃が走った。運命を感じると共に、己の使命を実感した。
『朧さん……? 初めまして、よろしくね』
初めて話した時、目の前にいる彼の心は遠く別の所にあることを悟った。
彼と話せば話すだけ、その瞳には自分が映っていないことを嫌でも思い知らされた。痺れるような電撃すら覚えた出会いも、もはや呪われてるのかと疑いを抱くほど。この想いはやはり封印することに決めた。
それでも彼とのペアを申し出たのは、とにかく彼の力になりたかった。昨年ペアだった生徒からは今年もと打診があったものの、性格的に合わずに断ろうと思っていた所だった。
彼が魔法大会に出るなら、共に戦おう。優勝すると言うのなら、それに応えよう。
改めて決意を固めたツキヒは、自分の頭、そこから生える捻れた角に触れる。曇りガラスを手で拭うと、そこには悪魔が映っていた。
紅い髪を掻き分け生える、真っ黒な捻れた角。白い肌と対照的な、漆黒の翼。小ぶりな臀部を飾り立てる、尖った尻尾。
ツキヒは正真正銘、悪魔だった。
正確には悪魔と人間の亜人であるのだが、外見には悪魔の血が色濃く出てしまっている。とても大切な人に拒絶されたあの日から隠して生きてきた為、この姿を知るものは学園内には一人しかいない。
悪魔、といってもその全てが悪であるわけではない。悪魔とは、かつて人間がその禍々しい外見を見て付けた通称であり、魔界に棲まう者の総称である。
魔界に生まれ、黒い太陽の光を浴び、紅い月に照らされ、角を翼を尾を持ち、魔力により生きる。それが彼ら悪魔族である。
だが魔界との門が封鎖されている現在、人間界に悪魔は少ない。人間とのハーフとなれば尚更である。いつの時代も、個体数の少ない希少種は常に追われる立場にある。それはツキヒも例外ではなく、周りには売られた者までいた。
(知られるわけにはいかない。絶対に)
それは勿論、ヒノワであっても。
優勝を目指すのであれば出来る限りの情報の共有は必須だろう。だがそれでも、話すつもりは全く無い。幸い悪魔は高い戦闘能力を持ちこそすれ、固有の特殊能力は持ち合わせていない。どれだけ力を振るおうが発覚する心配は少なかった。
水を止め浴室を出る。時期的にまだ冷える頃だが、水を浴びたお陰か体が火照っていた。頭をタオルで覆い体を拭いていく。こういう時、翼というのはつくづく人には必要の無い物だと感じざるを得ない。
寝巻きに着替え、髪を乾かしていく。自分の容姿で一番気に入っているのがこの紅い髪だった。幼い頃に褒められた紅い髪を手入れしているのが、特に好きな時間の一つ。この髪を見ると、同じ髪色のヒノワのことも思い出す。
髪を緩めに編み布団に入る。今日は色々なことが起きて、見ていただけだったが心が忙しかった。すぐに眠りにつけるだろう。目を瞑り、習慣になってしまった誰に捧ぐでもない祈りを捧げる。
いつか許される日が来ますように。と。
生まれ落ちた時から持ち合わせ、心と体と共に育まれて来た名も無き罪。世界に憎まれ、愛する者に恨まれたこの罪を、誰かに許して欲しかった。
彼女のそんな儚い祈りは、しかし誰にも届かない。