宣戦布告
「い——ったい!」
明朝、ヒノワは自室のベットで悶えていた。あの後本当に転移門が開くまで--実に八時間以上も--走り込みをしたのだ。普段使わなかった筋肉を使っていたのか、筋肉痛が酷すぎて身動きが取れない。
しかし、修行の成果としては上々だろう。身体を酷使したことによりなんとなく己の内に流れる気を感じ取れるようになり、寝起きからも呼吸に乱れはない。ツキヒの言われた通りにボイスレコーダーを確認すると、睡眠時の呼吸はやや乱れはあるもののいびきの音は聞こえなかった。
だがこのまま寝ているわけにもいかない。筋肉の回復を促す為にも苦痛に喘ぐ精神に鞭を打ち、可能な限り身体を伸ばす。
「いたたたたたた!」
痛みと格闘している内にも時間は刻一刻と迫る。悶えながらも授業の準備をし、一人分の簡単な朝食を済ませた。
ヒノワは妹のヒナタと二人暮らしだ。といっても彼女は眠り続けたままヒノワの魔力で生き続けている為、一人で住んでいるのとなんら変わらない。孤児院育ちの彼らにとってこのような生活を選ぶ必要は無かったのだが、ヒノワは甘えた生活に身を落とすことを望まなかった。
全てを奪われた五年前のあの日。元々はあの日から一人で全てを始めようとしていた。だが両親の友人と名乗り出た日ノ出アキラはそれを良しとせず、文字通り力づくで『たいようの楽園』に放り込んだのだ。その後彼女に二人暮らしを認めさせるのに相当な苦労と時間を要したが、それでもあの場所にいつまでもいるわけにはいかなかった。
ヒノワは復讐者である。父を母を殺し、妹の時間を奪い、己の記憶を消し去った悪魔を、それを召喚した何某かを殺すことを考えてきた復讐者である。『たいようの楽園』はその復讐心を鈍らせるのに十分過ぎるほど、皆の笑顔が太陽の如く輝いていた。
揺れたこともあった。『聖母』の庇護の下に励み、家族とも思える皆と共に琢磨する未来を想像した。だが延々と眠り続ける妹の存在が彼を叱咤した。復讐だけではない。ヒナタが目覚める方法を探さなくてはならないのだ。
ヒノワは返事のない扉をノックして入る。今日もまた、いつもと変わらぬ寝顔を見せる妹がいた。彼女には魔力をやり取りする契約魔法以外にも、身を守る魔法がいくつも掛かっている。目を覚ませばその感覚がすぐにでもヒノワに伝わるが、五年経っても微塵も感じない。それでも毎日の日課として妹の頭を撫で、己の使命を再確認するのであった。
「いってきます」
返事を切望すると共に自己暗示を掛けるように語りかける。
今日も彼女に、何一つ変化は無かった。
◇◆◇◆◇◆
痛みのせいでいつもよりも時間が遅くなってしまったが、それでも遅刻というほどではない。生徒もそう多くは集まっていないはずだが、ヒノワのクラスはいつにも増して騒がしかった。
「ねえ、どうしたの?」
「あ? ヒノワか」
机で本を読んでいたヤマトに声をかけた。椅子の背もたれに身体を預け、足を机の上に投げ出す様は行儀が悪いことこの上ないが、手元の書物には『魔法力学と精霊』という著名な研究書だった。
ヒノワに気付いた彼は前方を示す。一人の女生徒に男子数名が群がり、何かを言い寄っているようだった。
「あれ? ツキヒ?」
フードを目深に被っていたが、紅いお下げ髪が後ろから僅かに見えた。紅い髪は学園内にもそうはいない。
「あ、ヒノワ君。おはよ——」
「おい、黒子!」
ツキヒも彼に気付き挨拶をしたが、それを掻き消すかの様に一人の男子が声を荒げる。その生徒を筆頭に、ツキヒに纏わりついていた生徒が近づいてきた。
「馬場君……? 何か用?」
「俺と戦え!」
馬場と呼ばれた男子生徒は、ヒノワに握りこぶしを向けた。どうやら彼に対して決闘を申し込みたいらしい。
「えっと、嫌です」
しかし、彼のランクは204位。高等部一年の割には決して低い数字では無いが、現状84位のヒノワにとって受ける理由が無い。
「この腰抜け! 俺に負けるのがそんなに怖いのか! どうせ神山に勝ったのだって、イカサマ使ったんだろ!」
馬場が有る事無い事詰め寄るが、ヒノワは動じることなく全てを受け流す。その間にも馬場とその取り巻き達の罵声は止まることなく浴びせられた。
そもそもヤマトは下手な小細工ごときで倒せる様な男では無いのだが、彼らはヒノワを煽るために魔法のことから全く関係の無いことまで執拗に責め続けた。
いい加減に言い返そうたした時、ツキヒがドン、と机を叩き立ち上がった。
『!?』
何事かと振り返った馬場達が固まった。彼らに向けるツキヒの表情は、冷たさを通り越して火傷しそうな怒り、それのみだったのだ。
「君たち……私を怒らせたね」
馬場達を睨み付けるツキヒは、自身のMRTの画面を彼らに向ける。そこには『MRS強制権』が表示されていた。
「私が相手になるよ、馬場君。そして君には対価も要求する」
「……なにを、」
狼狽える馬場に向けて、畳み掛ける様に宣告する。
「『私の前でヒノワ君を悪く言ってはならない』ということを、全生徒に説明して回ってもらう」
「……鬼だ」
部外者のヤマトですら戦慄せざるを得なかった。




