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生まれ変わったら

 そこは小さな山間の村だった。

 山向こうには軍事工場があり、大きな橋が一つあった。

 男の任務は橋を落とすことだった。橋が無ければ工場に部品を運べはしないし、工場から運び出すこともできない。

 爆弾を落とし、橋を壊す。

 橋が直ればまた、爆弾を落とし橋を壊す。

 たとえ蛮族相手といえど、無暗に殺しはしない。橋を壊せば、それでいい。

 今まで与えられてきた任務の中で一番遣りやすい。一番気が楽な任務だった。

 人を殺すのではない。ただ橋を落とすのだ。


 なにも殺さなくていいのは気が楽だった。だから男はその日も意気揚々と、かけ直されたばかりの橋の上から爆弾を落とした。

 さっさと基地に帰って煙草を吸いたかった。

 楽な任務のはずだった。整備班にあらん限りの罵倒を浴びせたくなるまでは――。


 

 動力部になんらかの問題を抱え、敵国の山中に不時着せざるを得なくなった男は、ただの鉄の塊になった役立たずを蹴りつけると、水と食料が入った背嚢を背負い山の中へと分け入った。

 仲間が気づき、救出に来てくれることを祈るしかない。

 人を殺さずにいたのに、この仕打ちは何なんだと、男は唾を吐いた。

 藪の中に身を隠す。

 戦闘機が墜ちたのだ。気づかれないわけがない。

 殺されず、捕虜となれるかはわからない。橋を壊され続けた恨みは、深いかもしれないのだから。

 死にたくない。

 隠れた藪の向こうから人が来た。居なくなった操縦者てきを探しているのだろう。

 死にたくない。

 土を、落ち葉を踏む足音が近づいてくる。

 死にたくない。

 武器は手にせず、両手を挙げておく。見つかった瞬間、殺されることがないように。それに、数人撃ち殺したところで逃げ場はないのだ。最初から抵抗せず投降しておいたほうがいい。

 

 目を見開き息を飲み、男を見つけたのは、まだ年若い女だった。



 敵兵を見つけてしまった山村に住む女の体は、がたがたと震えた。無理もない、女は敵のことをよく教育されていたから。

 あいつらは信念なく、ただ欲望の為に人を殺して楽しんでる外道だと。女であれば幼子であろうとも犯し、嬲り殺すと――。


「         」


 男がなにごとかを話し、掲げていた両手を頭の後ろに組んだ。

 言葉が分からず女は困惑した。自分とは色の違う髪に瞳に肌の色。そのすべてが恐ろしく感じた。


「         」


「っつ。」


 男がまた言葉を発した。それと同時に村の男たちの声が聞こえてきた。どうやらこの男を探しているようだ。

 女は集めていた山菜の入ったかごを握りしめる。

 村の男たちの声が近づく。

 女はとっさに山菜のかごを放りだし、細い両手を突き出した。


***


 かごの中に水と食料と鏡と剃刀を入れて、女は森の中を歩く。普段から山菜を採るために山に分け入っている女は、誰にも怪しまれることなく藪の中に分け入っていた。

 ほどなくして女がたどり着いたのは小さな洞穴だった。


「……まだ、いるんしょう?」


 声をかけ、しばらくじっと待つ。

 すると髭だらけの男が奥からそっと姿を現した。

 髭の色まで父や兄とは違うのだなと、そんなことがとても不思議に思えた。

 男とはいつも一定の距離をとっている。

 女は精一杯腕を伸ばし、かごを男の足元に置く。


「     」


 相変わらず男の言葉は分からないが、鏡と剃刀を見つけた男は自身の顎を指さして見せたから、女は頷いてみせた。

 ただでさえ見知らぬ容貌をしているのだ。その上髭だらけでは、見ているだけで恐ろしい。

 すっきりと顔が見えたなら、多少は怖くなかろうと、女は身振り手振りで髭を剃れと男に伝えた。

 男が髭を剃るのを女は眺めた。


「…………」


 どうして助けてしまったのだろう。

 女は自分が不思議でならない。

 あの時、どうして助けたのか。

 近づいてきた村の男の声に、たしかに目の前の男は、怯えたのだ。

 人を殺す飛行機に乗り、爆弾を落とす男が、怯えたのだ。ただの声に――。

 怯えた目を見た瞬間、なにも考えずに助けてしまった。ここいらには誰もいないと言ってしまった。そして使い道がなく放置されていた洞穴に男を隠した。


「…………」


 だって、あんなにも、怖がっていた。

 この男は敵なのに。


 今日もやってきたのは仲間ではなく、敵国の女だった。

 水と食べ物を差し入れる女が不思議でならなかった。

 なぜ、軍につきださないのか。なぜ、村の男たちを呼ばないのか。

 女を見る限り、投降しても殺されずに捕虜となれそうだ。死んだ方がましな目に合うかもしれないが、生きていれば希望が持てる。


「      」


 女が何かを言う。意味が分からず首をかしげる。すると女は困ったように眉根をよせて笑みを浮かべる。


「俺をどうする気だ? ああ、軍人が俺を連れていくまで隔離しているのか?」


 本当にそうなら、手足を拘束されているはずで……だからこそ男は今の状況に困惑している。

 死にたくないから、身を隠す。それがいったいいつまでもつのかは分からない。


「      」


 困ったように笑う女の言葉がわかればいいのにと思った。


***


 敵国の男が穴倉に身を潜めて五日が過ぎた。日に日にどうすれば良いのか分からなくなる。

 男の捜索には山向こうの村の人間も動員され、いつ見つかってもおかしくないのだ。

 考えなければ。

 あの男をどうするのか考えなければ。

 男が怯えないように、人を呼んでくることをどうにか伝えて、それから……それからどうなる?

 捕虜となるはずだ。罪人として罰を受けるはずだ。あの男は橋を何度も壊した。たぶん人も殺してる。戦争なのだから、殺しているはずだ。

 考えなければ。どうすれば男が怯えずにいられるかを。



 瑞々しい果物と生で食べられる野菜をもって男の元へと向かう。

 ふと、まるで逢引のようだと思い。そう思ったことにぞっとした。

 あの男は敵だ。大切な橋を奪い、同胞の命も奪った敵だ。


「どこに行くのか、ついて行ってもかまわないか?」


「っ!!」


 びくりと体が強張った。全身から嫌な汗が噴きだす。女は恐れおののきながら、背後へと視線を向けた。


「ぅ……あ、あ。」


 考えなければ、どうすればいいのかを。




 いつもよりも硬い女の声がした。

 だから何となく、この生活が終わることがわかった。

 最初から両手を上げて穴倉から外へ出る。太陽の眩しさに目がくらんだ。

 見えたものは項垂れた女と数人の男。皆それぞれ武器となるものを手にしていた。


「―――っ! ―――っ!」


「――――!!」


 通じない言葉をまくし立てられる。

 男はとにかく抵抗する意思がないことを示すために、地面に膝をついた。

 死にたくはない。


「投降する。助けてくれ。」


 男は懇願した。

 女が必死に何事か、声を張り上げて訴えている。


「        」


「――――――っ!」


 自分を殺すつもりのない女を、言葉は分からずとも信じるしかなかった。

 武器を手にした男たちが、じりじりと近づいてくる。

 自分はどうなるのかと、男は女に視線を合わせた。

 女が息を飲んだと感じた瞬間、女が駆け寄ってきた。




「引き渡すだけで十分ではありませんか!」


「馬鹿を言うな! 悪魔の国の生きもんなぞ生かしておくわけにはいかんだろう。」


「そうだ。だいたい、そいつ一人を捕まえて収容所に連れて行く気か?」


「そ、そうよ。収容所に連れていけば御偉いさんたちがきちんと罰を与えるわ。」


 会話が分からず困惑している男を背に、女は村の男たちに言い返す。


「……見つけるまで五日もかかった言い訳はなんとする。」


「お前らは五日も穴倉で何をしていた。」


「まさかその悪魔とねんごろにでもなったのか。」


「な、なにを言っているの? 言葉すらわからないのよ?」


「悪魔に身を売ったのか。」


 男たちが殺気ずく。

 怯え、後ずさった女の背中が、跪いていた男に当たった。


「見ろ! 身を寄せ合っているぞ!」


「淫売婦めっ!」


 一度、感情に任せて大木槌が振り下ろされると、あとは簡単に、すべての言葉が暴力へと変換された。




 どうしてこんなことになったのか。

 血にまみれながら自分に覆いかぶさり、振り下ろされる大木槌から守ろうとしている男を至近距離で見やる。

 怯えを、諦めを、恐怖をない交ぜに泣いている敵国の男。

 急激に痛みが引いてきた。息を吸っているのか吐いているのかも曖昧になる。


「       」


 もしも、生まれ変われたら、今度は言葉がわかればいいのにと、女は最後にそう思った。




 腕の中に囲い込んだ女が死んだ。もう、ぴくりとも動かない。

 目が見えなくなる。自分ももうすぐ死ぬのだろう。

 困り顔で笑う女だった。

 一度くらい、普通の笑顔が見れれば良かっのにと、希望が頭をよぎる。

 目の前が暗くなる。


「       」


 もしも、生まれ変われたら、今度は言葉がわかればいいのにと、男は最後にそう思った。






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