祖父はなにも語らなかった。
祖父はなにも語らなかった。
語れない辛さがあるという事を、私たちは知らなくてはならない。
私の祖父はいつもどこか不機嫌に顔を顰めていた。あまり笑わない人だった。冷たくされていたわけではないけれども、友達のやさしいおじいちゃんとはまるで違った。
戦争に行く前はこんなふうではなかったと、父と伯母が話していたのを聞いたことがある。
父が生まれる前に終わった戦争のことなど、私には教科書でしか知らない遠い遠い過去の出来事でしかなかった。
戦争について、祖父は何も語らなかったし、そもそもまだ幼かった私は当時のことを聞くだなんて考えたこともなかった。
ああ、違う。祖父は一度だけ、たった一度だけだが戦争のことを語ったことがある。
二つ年下の弟が小学生になったばかりの頃だ。
あの頃、弟を含む男の子たちの中で、戦いごっごが流行っていたのだ。紙飛行機を戦闘機に、紙の船を戦艦に見立て、ガラス球を大砲にして――。
戦いごっこをしていた弟が祖父に聞いた「本物の大砲ってどんなの? かっこいいの?」
今思い返せば、なんてひどい質問だったのだろうと恥ずかしくなるほどだが、当時傍で聞いていた私は弟を諌めることもせず、一緒になって祖父が話してくれるのを待ったのだ。
そして。
「こっちが撃つやろ、届かんのや。向こうが撃つやろ、みんな死ぬんや。」
そう話し、祖父は煙草に火をつけて目を閉じたのだ。
祖父が生きてる間に私たちに話したことは、とても少ない。
それでも思いがけず当時の祖父を知ることが出来たのは、本当にただの偶然だった。
弟と二人で小さな公園で遊んでいた。階段や滑り台がついたタコの形をした遊具に砂場しかない小さな所だった。
私たち姉弟の他には、この公園でよく見かける茶色い小型犬を連れた老人が一人。話しかけるといつもにこにこと飴玉をくれ、犬も抱っこさせてくれるおじいちゃんだった。
その日も茶色い小型犬を撫でさせてもらい、お座りやお手をして遊んでいた。
公園の入り口から私と弟を呼ぶ祖父の声が聞こえて、私は背後を振り返った。
公園まで祖父が迎えに来ることは初めてのことで、私と弟はおじいちゃんと公園で遊べると、とても嬉しくなった。
「おじいちゃん、もうちょっと遊びたい。」そういうと祖父はいつもの不機嫌顔でそばまで寄ってきて―― 表情をなくした。
ほうけた顔の祖父を初めて見た。不思議に思いながら祖父を見上げていると、祖父と犬のおじいちゃんが互いに両腕を伸ばし、強く、強く、その体を抱きしめあったのだ。
私も弟もなにが起こったのか分からずに、ぽかんと間抜けな顔で抱きしめあう祖父たちを見ていた。
そして聞こえてきた言葉は。
「生きとったんか――」
そう何度も呟き、嗚咽ひとつ漏らさずに、祖父たち二人は泣いていた。
同じ部隊で共に戦地に赴き捕虜となり、互いに他の隊員たちは皆、拷問の末に命を落としていると、戦友が生きている事に希望は持っていなかったらしいと、父から聞いた。
戦争が終わってから何十年もたってからの再会は、笑わない祖父に何か変化をもたらしただろうか?
祖父と犬のおじいちゃんは、その後もしょっちゅうあの公園で語らっていた。私が近づくと話を止めてしまうから、内容は全くわからない。
戦地での思い出を語っていたのだろうか? 同じ痛みを知る仲間には、あの戦争を語れていたのだろうか?
私たちには語れない語りたくない戦地でのことを、捕虜になっていた時のことを。性格が変わってしまうほどの体験を。それらを、想う。
語れない辛さがあるという事を、私たちは知らなくてはならない。
そして、語れない思い出など作っては駄目だという事を、私たちは知らなくてはならないのだろう。




