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和製ファンタジーにおける”魔法”の設定について  作者: 囘囘靑
第十講:知覚問題

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10.5.仮説③現象学的魔術説

 現象学(をいいように利用した上での)魔術の解釈は、これまでの仮説に比べればそれなりの説得力をもった仮説になるかもしれません。


 現象学ではまず、独我論から出発します。「主観と客観との一致」を標榜しているのにもかかわらず、独我論から出発するのは奇異に見えますが、ここから出発しないと最終的には客観を直観できないため、とりあえず独我論的に眺めてみましょう。


 「この世界には私だけしか存在しない」と考えたところで、ではその「私」が自由自在に世界を操っているかといえば、そんなことはありません。それというのも、どれだけ個人が独我論的立場から出発しても、二つの直観の力には逆らえないためです。その直観とは「知覚直観」と「本質直観」です。


 「知覚直観」とは文字通り何かを知覚する働きのことを指しています。どれだけ外界の情報を拒絶しようとしても、目に見えるもの、耳に聞こえるもの、肌が触れるものについては、一度知覚したらその近くを否定することはできません。もう一つには「本質直観」があります。熱と光を放つものが身近にあったとき、人は「火」という概念を察知するわけです。この能力が本質直観であり、やはりこの直観からも人間は逃れることができません。


 これら現象学のツールを用いて魔術をとらえたとき、例えば火の魔術ならば、生成の段階で魔術師もその対象も「火」を知覚的に/本質的に直観します。このとき、対象物が意識を持っているか否かは問題になりません。意識を持っていた場合は、やはりお互いに同一のものを直観するために、「火」は「火」として働くわけですし、意識を持っていなかった場合でも、その意識を持っていなかった当のものが「対象物」として魔術師に直観されるためです。

【注意】

 ここで利用している「現象学」は、都合の良いところだけを引っぱって利用したかりそめのものにすぎません。あらかじめご了承ください。

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