第88話 現る-Ⅱ
俺の中で火が爆ぜる。
その火は勢いを増し、ただ暴れる事はなく、制御された緋。服の下だが、肘から下、膝から下が紅緋色の竜鱗に覆われる。両側頭部から、同色から紫にグラデーションする竜角が。背中からは服を突き破って翼が生える。
髪は長いまま紅緋色に代わり、瞳も黄金色に変わって──。発現したるは緋炎の灼竜。現状の最高戦力形態であり、最速の形態。
今は、誰の目にも入っていない。大丈夫だ。バレた後の事なんて、今は考えるな。
応えるんだ。アラベルは、救けを求めていただろう。あとは一歩を、踏み出すだけ。
緋炎亢速機動、全開──
◆◆◆
時間は戻り、アヴラージュが決意しきる、少し前。アラベルは、どうしようもない焦燥感と危機感、恐怖に満ち溢れていた。
(……っ、どうしよう……姉ちゃんも、間に合わなくない?)
アラベル自身、その暴威の最も近くにいるのだ。わかっている。
オリヴィエは上空にいた。幾ら魔術で飛行できるとはいえ、速度が足りないだろう。
かといって、イヴ含む部隊員達ではこの攻撃に対処しようがない。
加えて、A&Pも大気霊子の吸収による充電速度よりも、霊子電力の使用速度の方が早い。今はどうにか生き延びれるが、じきにA&Pが使えなくなれば、そこでもう、終わりだろう。
(……いやぁ、はは……詰んだなぁ……。マズっちゃったよなぁ……。アヴラージュに言われた通り、戦線離脱してれば──)
そこまで考えて、アラベルはその雑念を振り払う。考えたところで、全てはタラレバでしかない。それに。
(逃げる事が正しいなんて、そんなの有り得んし! ……アタシ、みんなを守れて死ねるかな……)
半ば、諦めのような思考に切り替わってしまった。
アラベル自身も、もう助からないと思っている。どんな奇跡が起きても、この状況は覆せない、と。
普通に考えれば当たり前だ。相殺できない攻撃が勢いと量を増して、自分に向かっている。この状況で、対処できる人間はいない。
その先に待っているのは、絶対の〝死〟だけだ。
(……けど、アタシは最後まで足掻くよ。せめて、みんなが逃げる時間を──)
視界の端に、オリヴィエが映る。魔術で飛行し、向かってきているオリヴィエが。
(──だめだよ、姉ちゃん……アタシは助からないんだから……せめて他のみんなを、さぁ……)
優しすぎるよ──と、少し涙ぐむアラベル。
「キャハハハッ! そんじゃあお前から死ねよ!!」
現実は非情で、そこにクリュオテによる手が加わった。
「ちょっ、ヤバ──ッ」
流石に、もう無理だ。
どうしてか、アラベルの権能も上手く作用してくれない。このまま、じわじわとA&Pの限界が迫っていくばかり。
そこに更なる攻撃も加わるのだ。死ぬまでの最後の時間が、更に狭まる。
(……どうしよう……なんで、なんで急に……アタシを……。こ、これじゃ……みんなが逃げる時間さえ……)
内心で激しく絶望するアラベル。
それに、また別の感情も伝来していた。
(……嫌……)
それは、一度振り払ったはずの感情。
(このまま……このまま、死にたくないよ……)
それは、生への執着。生きたいという、遍く生命全てが持つ根源の衝動。
(……死にたくない……死にたくない、死にたくない……)
そして、アラベルは言った。
「──っ、救けて!!!」
──そう、言ったのだ。
アラベルの叫びとほぼ同時か。A&Pと鉤爪の、エネルギー同士の衝突により弾けた力の欠片が、運悪くA&Pの片方を掠める。
本当に運が悪かった。たった、たったそれだけで、A&Pの片方が機能を失い、均衡が崩れた。もう片方も、崩れたバランスにより弾き飛ばされる。
「あ……」
これが、本当の詰み。
(い、嫌……誰か……姉ちゃん……イヴちゃん……アラン、アランでもいいから……だれか……誰か……!!!)
「──アヴラージュ……」
そのまま、エネルギーはアラベルに衝突して、その命を吹き消す。──かに、思えた。
恐怖により目を強く瞑るアラベル。しかし、一向に、痛みも衝撃も来ない。
「……?」
瞼を少しだけ上げる。光はない。薄暗かった。
「ぇ……?」
目の前にいたのは、見知らぬ少女。
──見知らぬわけではなかった。しかし、確証が持てない。何しろ、見た目は全く違う。
紅緋色の長髪。白かったそれとは比べられない程に鮮烈で、『違う』色。
黄金色の瞳。紅かったそれよりもキラキラと輝いていて、希望に満ちて、頼もしい光。
その面影は、つい先ほど、小さく呼んだ存在。
「──待たせたな。ちゃんと聞こえたぞ、アラベル」
◆◆◆
いやはや、自分らしくない無茶をした。
え、何をしたのかって? 仕方ないな、説明してやろう。
まず、俺は緋炎の灼竜に変身。そのまま、マフラーのような排気管──仮称〝排熱制御管〟を両手首と両足首から出して、即座に『緋炎亢速機動』を発動。
そこまでは良いだろう。問題はそのあとだ。今でも、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ後悔している。
竜人態になったのもいい。そのあと、俺はアラベルの下まで一直線に高速移動。鉤爪のエネルギーがアラベルにぶつかるその前に、展開した竜翼を含む背面全体を、実に二十層の対衝撃結界で包む。クリュオテも手こずっていたので、止められると思ったのだ。
……もうわかっただろう? 俺はそのまま、俺自身とアラベルを翼で包んだんだ。
結果、二十層の内なんと十八層が破られた。本当にギリギリだったように思う。
《本当、無茶したねぇ》
だろ? 個人的にちょっと後悔してる。
「え、はァ? 誰だ、お前……?」
おっと、攻撃の手はやんだようだ。もう、翼で防御しなくてもいいかな?
そう判断したので、翼を除けて立ち上がる。
「……アヴ、ラージュ……?」
……ま、そりゃ混乱するか。
「話はあとにするぞ、アラベル」
「え……?」
「後は任せろ」
そう言って、アラベルに向かってウインクを一つ。
もう踏み出してしまったのだ。今更、戻る事なんて出来ない。
シュトルツや……ルディア、お前には悪いが、最後まで付き合ってもらう事にした。俺はとことん、救けを求める人は無視できない性格らしくてな。
《わかってるよ》
そりゃよかった。
ウインクをした直後だろうか。オリヴィエさんが、アラベルの隣に降り立って、座り込んだアラベルの背中を支える。
「……アヴラージュさん……?」
こっちもこっちで不安そうだ。クリュオテって言うより、俺に対してかな。
「……隠しててごめんなさい。この騒動が終わったら、きっちり説明しますから」
それで一旦は納得してくれたのか、アラベルを連れて戦線離脱して行った。
戻ってくるような素振りが無いって事で、意外と信用されてるのかな? ……都合良すぎか。
「な、何なんだよお前! 誰なんだ!?」
そっか、姿違うんだもんな。
──なら、名乗ってやらなければなるまい。
「俺の名はアヴラージュ。きっちり、自分の世界に帰ってもらうぞ」
「……はあ? その口ぶりだとテメェ、アタシを止められる気? ムリでしょ」
「やってみなきゃわからないだろ!」
俺的にもちょっと不安だし、出来るとは言い切らないでおこうっと……。
──かくして、俺とクリュオテの真の戦いが始まろうとしていた。




