27・元婚約者の現在・よん。
キアラは応える気もなく聞こえなかったフリをしてマルトルから遠去かろうとしたのだが、それより早くマルトルが距離を詰めてキアラの前に立った。仕方ない、とキアラは溜め息を吐き出したい気持ちさえ抑えてマルトルに頭を下げた。
「お久しぶりですね。マルトル様。相談とのことですが私には仕事のことなど分かりませんから、別の方にお伺いしてください」
幼馴染とは言いたくないし婚約者だったことはキアラとしては忘れたい。声をかけられて前に立たれてしまった以上、無視も出来ないから仕事上の知り合い、というスタンスを取ることにした。だから相談されても分からないよ、というスタンス。
併し、それをまるっと無視してマルトルは更に話し出す。
「なんだよ、冷たいなぁ。幼馴染じゃないか。それに仕事の相談なんてキアラにするわけないだろう」
……遠回しに知り合い程度扱いにしているのだから話しかけるなよ、という意味合いの言葉を伝えたというのに、全く気づいていないマルトルに微笑みを浮かべつつ「声かけて来るなよ、バカ。遠回しに拒否していることに気づけよ」なんて内心で暴言を吐く。
「最近、幼馴染としての交流があまり無かったものですから冷たいと言われましても。互いの近況を知らないので相談を受けても答えられる自信が無いですね」
何年も手紙も無ければ会うことも無かったのに、幼馴染の情を持ち出して相談とか言うな、とこれまた遠回しで言っているのに
「そんな冷たいこと言わないで相談に乗ってくれ」
なんて言われる。
なんで私が、という気持ちだがこれは話を聞かないと延々と無意味な会話を交わし続けることになりそうだ、と判断して無言になった。押し問答を諦めたわけだが、だからと言ってキアラがマルトルの話を聞く気はない。
黙ればきっと勝手に話を聞くとでも解釈して話し出すだろうな、と思っただけ。
案の定、マルトルはキアラが話を聞いてくれる、と解釈して話出した。
「キアラ、聞いてくれ。勝手に婚約破棄をした、と両親から怒られた。本人同士が納得したのに何故怒られるのかさっぱりわからない。その上、彼女を連れて行って結婚したい、と言ったら誠意が無いと言うんだ。どう思う? そりゃあ婚約者が居るのを忘れて恋人を作ったことは悪いが、抑々俺たちには恋だの愛だのは無かったじゃないか。親同士が勝手に結んだ婚約。だったら好きな相手と結婚する方がお互いに良いだろうに。恋人にも婚約者が居る男と結婚しようと考えるなんて不誠実だ、とか言うんだ。酷くないか? 彼女は知らなかったんだぞ!」
知らなかったことを責められるのは可哀想かもしれないが、キアラからすればどうでもいいこと。
話し続けるマルトルはキアラが無言であることを何も考えていないのだろうか。
さておき。
更にマルトルは続ける。
「それで、だ。キアラから両親に話をして欲しい。幼馴染なんだ、協力してくれよ。彼女が両親から嫌われているが俺たちの婚約は互いが納得して破棄になったわけだし、責められることも無かったということを」
それはマルトルが両親を説得すれば良いだけでキアラがやる事じゃない。大体幼馴染だが、当の婚約者だったキアラに二人の仲と自分の両親との間を取り持つように頼んでくる辺り、本当にマルトルはキアラに対して悪いことをしたという意識も何もないのだろう。
……悪気がない。
よく言うやつだ。
だが悪気がないからと言って最後の最後にキアラの容姿を貶してきたり婚約者だった相手に恋人との仲を取り持つように頼んで来たりして良いわけがない。
キアラは元婚約者で幼馴染だったとはいえ、ここ何年も交流していなかったからか、マルトルがこんなにも無神経な相手だっただろうか、と嘆息する。
あまりにも腹立たしいが無言を貫くことでキアラの立ち位置を知らせておく。
幼馴染として親しく付き合いなんてしていない、という立ち位置。
周囲の騒がしい女性たちがいつの間にか黙っていることにキアラは気づいたがマルトルは気づいているだろうか。静かになる、ということはキアラに一方的に話し続けるマルトルに注目している、ということなのに。
きっとマルトルは気づいていないだろう。
この国は寿命が長いから婚約や結婚に対してのんびりした考えを持つ人たちが多い。恋や愛を経験して恋人が出来たとしても結婚するまで十年どころか五十年くらい時間がかかることもある。
当然それまでに別れてしまう事だってあるし、政略的な婚約で結ばれた相手でも婚約解消ということも無いわけじゃない。
だからなのか。
不貞に関しては驚くほど反対する者も多い。
今回の場合、婚約者の存在を忘れて恋人を作ったマルトルが悪いとアルヴァトロを囲みつつも話が聞こえた女性たちは思ったし、それも忘れるほど婚約者と交流していないマルトルの不誠実さも露呈して更にマルトルが悪い、と判断した。
それをキアラは表情に軽蔑さを表す女性たちを見て悟ったというのに、マルトルは気づいていない。
それなのにキアラに自分の味方になれ、とか言うマルトルを益々女性たちは軽蔑する。
彼女たちは多分キアラがマルトルの婚約者だと知らないだろうが……というか知っていたらマルトルの無神経さに非難の嵐だろうが……それでも幼馴染だからと言ってこんな理不尽な要求をされているキアラに同情的な視線を向けてきている。
マルトルが「俺たち」と発言していたから「キアラとマルトル」が婚約者だったと知った人たちもこの場に居るだろうか、なんて他人事のようにキアラは思いながら「キアラとマルトル」が婚約者という意味ではなく話の流れで「マルトルと別の女性」が婚約者だったことをキアラが知っていて、それで幼馴染としてキアラに助けを求めている……ような言い方になっていることに気づいた。
マルトルは自分の「幼馴染」で「婚約者」だったキアラに頼んでいるが、キアラが聞き流しながら第三者視点で聞いていると、「幼馴染」であるキアラに「婚約者だった(別の)女性」のことを忘れて恋人を作り、勝手に婚約破棄して恋人と結婚したいと親に話したら怒られた……というような内容にも聞こえる。
マルトルは全くそんな意味で話していないことは分かっているけれど、聞きようによってはキアラはマルトルの「幼馴染」として頼られている状況、なのだと理解する。結果的にだが、良い働きをマルトルはしているのだが、別にキアラは感謝するつもりもない。幼馴染ということすら知られたくなかったのだから。
さておき。
ーーマルトル、あなた墓穴を掘るって言葉を知っているかしら? 知らないでしょうね。だからこんな話を堂々と人前でしているのだろうから。
さて、ここまで自分で自分の評価を落としまくったマルトルの話をどうやって終わらせるか、キアラが考えるより先に。
「マルトル、確か俥夫の任務が終わったら報告することが決まりだよな。それは終わったのか」
……上手くアルヴァトロが話を切ってマルトルに声をかけた。
どうやら人力車を動かす俥夫というのは騎士の任務の一つらしい、とキアラはどうでもいい知識を覚えて。マルトルは「あ」と慌てて去って行く。去りながらキアラに「また今度なー」と笑顔だ。
……とことん無神経なのでキアラはマルトルを切り捨てても心に傷も負わないだろうな、と思いながら最後まで無言を貫いた。
また今度、が無いことを願いながら。
お読みいただきまして、ありがとうございました。




