気付くもの
読んでくれている人がいる事を嬉しく思います、ええ本当に。
別に珍しい話でもないさ、と吐き捨てる様に言ったのは魔王。
数百年前まではよく多発しておったからのぅ、と溜め息混じりに呟いたのは蒼氷。
誰よりも長くこの世界に存在している魔王と、その王に次いで長寿を誇っている蒼氷の言葉は口調こそ軽かったが、そこに込められたどうしようもない嫌悪感とある種の諦観は彼らに比べれば遥かに若輩者でしかない朱炎の胸を軋ませた。
彼女がこの世界に生まれ落ちた時代は、人や精霊の間で人身売買に関する取り決めは既に定められていて、それを犯す者は侮蔑の目で見られ、敬遠されるのが当然であった。
「……この手の輩はいつになってもいなくならない、という事へのいい見本だな」
「これが人の国で行われていたのであれば、他国の反応もまた違った物になったかもしれませぬが……」
魔族、混族。
忌み嫌われる存在であった彼らに対する他者からの視線は大分増しになったとはいえ、根絶した訳ではないと子供の姿をした賢者達は哀しげに視線を伏せる。
「魔族だから、自分達とは神々に違って祝福されて生まれてきた訳でもないから。……そういう理由で一体どれほど残酷な事が行われてきたのかなんて思い出したくもないな」
強い語調とは裏腹に、掌の靴を見つめながら静かに呟いたのは魔王その人。
魔族の守護者として長い時を過ごしてきたからこそ言える悲哀を帯びた言葉に、朱炎と蒼氷は口を噤んだ。
「――――まあ、過ぎ去った過去を思い起こした所で過去が変わる訳でもない。過去は過去だ、変えられないし、変わらない」
爛々と琥珀の瞳が輝いて、見る見る内に獰猛な輝きを帯びて行く。
丹誠込められて作られた人形めいた面差しに浮かぶのは、好戦的な獣にも似た魔性の微笑み。
「――オレが不在だと侮って、オレの大事な子供達を攫った奴らにはそれ相応の報いを受けてもらおうじゃないか」
一先ず情報収集と行こうか、と小さな体が踵を返した。
* * * *
「藍玉はさ、一体どう思っているの?」
「……何の事だ」
一応王弟という地位を与えられた透夜への授業を終え、本来の仕事である魔王補佐としての任に戻ろうと城の廊下を歩いていた藍玉に声をかけてきたのは、彼の同僚でもある緋晶だった。
黒と銀を使用した武人としての衣装をだらしなくならない程度に着崩し、あちこちに宝石が象嵌された金属類を帯びた姿は、きっちりとした服装で身を固めた藍玉とは正しく正反対。
しかしながら、軽薄な外見とは裏腹に紡ぎ出された声は堅く――そして重い。
「俺さぁ、ずっと不思議に思ってる事があるのよ」
「……今は忙しい。戯れ言ならば後にしてもらうぞ」
「怖い怖い、さっさと陛下の所に戻りたいって訳? 羨ましいねぇ」
へらへらと笑う緋晶に、無表情で藍玉は睨み返す。
生真面目すぎる同僚に、緋晶は軽く肩をすくめるとその表情を声音同様に真剣なものへと変えた。
「――――なぁ、どうして陛下は今回の勇者に関してだけあんな手段をとったと思う?」
「――……あの方のいつもの気まぐれだろう、それ以外に何の意味がある」
「本気でそう思ってるのか?」
「…………」
歩みを再会させようとした爪先が、ぴたりと止まる。
長い時に辟易した魔王が時折起こす気まぐれ――基本的に魔族に対して注がれている魔王の情が異世界出身の”勇者”に向けられた、その意味。
単なる気まぐれでは決して済まされない【魔王崩御】と言う火種を世界に投げ掛けた王。
「……城にいる俺達が大して騒がないからこそ、国民達も陛下崩御と言う知らせが各国を巡っても、まあ裏でどう思っているかは別として――何とか涼しい顔をしていられるんだぜ? でもさ」
緋色の瞳に浮かぶ動向がキュルリ、と音を立てて細い縦長に変わる。
火の精霊族の血を受け継ぐ者特有の、爬虫類めいた眼差し。
「それでも城下の者達が一時でも不安に駆られなかった、なんて言える訳が無い。幾ら陛下がほぼ無敵と知っているにせよ、一瞬でも最悪の予想をしなかった奴がいるなんて到底俺は思えないね」
「……何が言いたい」
「別に」
たださ、と魔王の執務室の方向を見やって、緋晶は再度肩を竦めた。
「別に今まで見たいに勇者を再起不能にまで追い込んで国に返してやる事だって不可能じゃなかったと思うぜ、俺は。正直幾ら勇者といえど、たかが数ヶ月程度剣術を習っただけの子供だろ? なのになんで陛下はわざわざこんな手間のかかるお芝居をしてやったんだろうな?」
「……あの方は帰る事の出来ないと泣いた勇者に対して同情したと言っていたな」
「同情ねぇ……本当にそうかね?」
「陛下の為される事に何か異論があるのであれば、直接言ったらどうだ?」
「まさか!」
大袈裟に声を跳ね上げて、ぶんぶんと両手を振り回す仕草は道化を思わせて、藍玉の怜悧な容貌に皺が寄る。
「ただ、あの王様だぜ? 本当にただの同情だけで、そこまでしてやるのかなって思っただけさ」
付き合い切れない、と藍玉は止めていた歩みを再開させる。
その背中に掛けられた声に含まれた意味には、気付かない振りをして。
「――ひょっとしたら陛下には俺達が分かってないだけで、何か俺達自身にさえ隠したまま行おうとしている何かがあるんじゃないかって、思わないか?」
けど一年はやっぱり長かった。
正直キャラが掴み損ねていて、黒猫令嬢の同様に最初から書き直そうかそれとも打ち切りにしようか、と考えています。