第二十五話 トルタス・トルテム書店(上)
結局右腕が治るまでに一週間半かかった。
オルガが右腕のギブスを外してリトの手を取り、目を閉じて潜った。そして一つ頷くと
「はい。無事に治りましたね。今日で病室暮しは卒業ですよ」
にっこり笑った。リトはほーっと息をついた。
「良かった……。オルガの腕は信じてるけど、粉砕されてるって聞いた時、もう治らないんじゃないかと思いました」
リトが苦笑すると
「まぁ私の手にかかればこんなものです。」
オルガは得意そうに笑って薬を咥える。
「ですがもう二週間ぐらいはまだ安静にしておいて下さい。くっ付いたとはいえまだ少し脆いですから。
日常生活には支障はありませんが修行や戦闘行為は避けてください。
今日はそうですね……ヨルとデートでもしてきたらどうですか?」
リトは吹き出した。
「隠し事も無くなったし、いいんじゃないですかね。
修行も出来ないし、この一週間たまに会ってたようですが、あなたまたずっと本を読んでたじゃないですか」
オルガがスパーと煙を吐き出す。
「街の中ならそこそこ安全は保証されます。
あのド変態もアカツキの顔をしてるので門を突破するのは難しいはず。お小遣いあげるのでヨルになにかプレゼントでも買って差し上げなさい」
と、リトの手を取って銀貨を三枚落とす。リトは慌てた。
「そ、そんな貰えないですよ!それになにかプレゼントするなら自分で買いますって……!」
焦るリトを見つめてオルガはニンマリと笑った。
「それではあなたの本の足しにでもして下さい。間違っても彼女に難解な本を贈るなんてことはしないように気を付けて」
ニヤニヤと笑うオルガの視線から逃れるようにリトは病室を出た。
右手を握ったり、開いたり。指を順番に倒したりして具合を確かめる。
うん。まだ本調子じゃないけどすぐに握力も戻るだろう。
「という訳でデートしませんか」
と、リトは孤児院の入口を叩いた。
衛兵ももうリトに慣れたもので、今ではほぼ素通りだ。ヨルはすぐに出てきてリトの言葉に少し照れた。
「デ、デートだなんて……。いつもの過ごし方で充分ですけど……」
ヨルとリトはいつも街の外れの小さな丘の木の下で他愛のない話をして過ごす。最近はちょっと夜の巣の話や教会についての話もするようになった。
「うん。今日はちょっと街の方で買い物したいんだ」
リトが言うとヨルは「ちょっと待っててください」と一旦中に引っ込んで、フードを被って出てきた。リトはヨルの綺麗な髪を見れなくなったのでちょっと残念に思った。
手を繋ぎ、ヨルの歩みに合わせて、ゆっくりと歩く。
ヨルは歩くのが遅い。走るのも遅いし、握力も弱いし、五感も鈍くて、身体が弱い。身体能力がそこらの子供より低い。魔力が極度に低いからだ。
魔力は誰の身体にも満ちていて、身体能力や治癒力などはその量に比例する。
ヨルの髪色はほぼ黒に近いほど暗い。日に当たると青みを帯び、黒ではないことが分かる程度だ。リトはこの色が好きだった。
だがそのせいか、余計な諍いごとに巻き込まれることもあったそうだ。
だから人前に出る時はフードを被る。そのことを教えてくれた時、ヨルは茶髪とメガネで顔を隠すリトと、お揃いですね、と笑っていた。
王都のそこかしこの通りには所々ガラスのショーケースが並んでおり、そこがなんの店なのかを主張している。手が引かれた。
振り返ると、派手な店の間の隠れているような路地に看板を出している小さな本屋をヨルが見つけていた。
「少し、見ていかれますか?」
リトはその言葉に甘えることにした。こういう見つかりにくい本屋には、普通の書店で取り扱っていないような本や、魔導書が売ってあることが多いのだ。
店の中に入ると紙の匂いがした。リトの好きな匂いだ。
店は入り口から考えられる広さよりかなり広かった。床の至る所に本の山ができており散らかった印象だ。カウンターに人の姿はなく、店の中にも見当たらない。
「すいませーん」
と声を掛けて待つも返事はない。
訝しみながらカウンターに近寄るとトレーに紙が入っていた。
————立ち読み、お好きにどうぞ。代金はトレーの上に。
と書いてある。
リトはヨルと顔を見合わせた。
「リト、ルナのために本を探しているのでしょう?私も適当に色んな本を読んでみたいのでもしよろしければ一時間ほどこの店の中で自由行動にしませんか?」
とにっこりして言う。
リトが頷くとヨルは本棚に視線を戻し、薄い本を手に取る。今日の献立、と書いてあった。
リトは本の山を崩さないように店の奥へ進んでいった。本の山はリトの背丈を優に超える物もあった。
ふと、ちょうど目線の高さの本が目に入った。重厚で表紙が細かな細工で装飾してある本だ。
魔導書かな?
リトは興味を持って山を崩さないように引き抜いた。パラパラと流し読みする。その本の内容にリトの顔は驚いたように、怪訝そうに、不安そうにと表情を変え、しだいに険しくなった。
この店の店主……いや、店員はいないのだろうか。
リトがパタンと本を閉じると
「ここにおるよ」
と後ろから声がかかった。リトは驚いて飛び退り、本の山に突っ込んでしまった。
ドサドサ、ドシャァッとすごい音がして、リトが本の山に埋まる。ヨルが通路を駆けてきた。
「リト!大丈夫ですか?すごい音がしましたけど……?」
キョロキョロと見回す。リトはゆっくりと本の中から体を起こした。
本棚の影から小さな靴が現れる。ヨルが息を呑んだ。リトが見上げると、そこには長いローブと、三角帽子が中身も無しに浮いていた。
リトがガバリと立ち上がる。
「ああ、これこれ。そう乱雑に立ち上がるでない。本が痛むじゃろう」
と三角帽子から声がする。リトとヨルは混乱していた。帽子がヒョコヒョコと揺れ、ローブが本の上に屈んで拾い始める。宙に本が浮いてるみたいに積み上がっていく。
「す、すいませんでした。あなたは……?」
リトがやっとのことで声を出すと
「おお、ワシはこの店の店主トルタスじゃ。トルタス・トルテム書店へようこそ!」
と帽子が答える。
魔法で浮いているのかな?
リトがそっと帽子の下に向かって指を出すと
「これ!そこ!指を突き刺すでない!そこは耳じゃ!」
とトルタスがキーキーと怒る。リトの指には確かに人の肌の感触があった。
「ご、ごめんなさい」
と指を引っ込めた。トルタスは本を拾い終えると立ち上がった。
小さい。
トルタスの三角帽子の先はリトの顎をくすぐる高さくらいしかなかった。
「よいよい、分かればよいのじゃ。
それで?ワシになにか御用かな?お前さんワシの事を探したじゃろう?
だからワシは出てきたのじゃ」
トルタスが本の山を床に下ろしながらリトに問う。トルタスの言葉にリトはハッとした。
「この本のことです」
トルタスはどこからともなくメガネを取り出すと顔があるであろう位置に掛けて近寄った。
「ああ、魔法による睡眠質の改善の本じゃな」
それがどうした、と軽く言う。
「なんの気無しに入った本屋でたまたま目に入った本が僕の求めていた物だった……。偶然ですか?」
ヨルがびっくりしたようにリトの持つ本を見る。赤い表紙の本は精緻な装飾に縁取られている。
「ああ、それならここは必要な時に、必要な本がそれを求める者の目に入る。そんな店だからじゃよ。」
トルタスはあっさりと認めた。リトとヨルは驚愕した。
「拡張収納術の応用じゃ。お主らが使うポーチやバッグは色んな物を一緒くたに放り込んでも、取り出す時にそれを酷く探すことはないじゃろ?」
リトが頷く。トルタスは続けた。
「それと一緒じゃよ。大賢者マーリンの開発した拡張収納術をワシなりにアレンジしてこの空間全体に掛けたのじゃ。じゃからこの店は見た目よりずっと広いし、欲しい本が出てくる。
ワシが世界各国で集めた自慢の書籍達を欲しい者に届ける。それがワシの喜びじゃよ」
それが本当なら凄い話だ。
リトの頭の中で祖父がトルタスと激しく握手していた。




