第九十九話 置き手紙
とある、二通の置き手紙のお話です。
広い邸の中をツカツカと歩く。歩き方に注意するヤツはもういない。
隣を歩く、定規を当てたみたいにピンと伸びた背中も。執務室の普通にノックする。もう、ドタバタする必要もないから。
「入りなさい」
ヴィルヘム様の応答と共にドアが開けられた。
開けたのは明るい金髪のメイド長ニュイラだった。まだ年若くしてよく気の付き、ヴィルヘム様の秘密を知る、信頼されている者の一人。
アイツの後釜はニュイラに決まったらしい。
「もう体を起こされて大丈夫なんですか」
中央の机にはヴィルヘム様がオルガとナイトに挟まれて座っていた。
「大量の解毒剤とオルガくんの治療のおかげでこの通り。ぴんぴんしてるよ。酷い目に遭ったけどね」
たった数時間の治療でオルガは猛毒を仕込まれていたヴィルヘム様を治してしまったらしい。相変わらず凄まじい腕だ。
そこでニュイラは静かに部屋を出ていった。少し不審に思って見ていたがヴィルヘム様に名を呼ばれ、振り返る。
「一人で決着を付けさせてしまった。カーニバルの侵入に気づけなかったのは私の失態だ。
辛い思いさせたね。すまなかった」
ヴィルヘム様の執務机の上にはたった一つ残されたアイツのメガネが光っていた。
「ヴィルヘム様が謝られることは何も。あなたはこの街、北方の領主様なんですから。前戦に出てもらっちゃ困りますよ」
二ヘラと笑って見せる。
ヴィルヘム様はナイトに支えられて立ち上がった。机を回り込み、一通の手紙を差し出す。
「カラシキくんの机の中から出てきた。
私か、君にしか認識できない結界に守られていた、君に宛てた手紙だよ」
驚きと共に受け取る。
ナイトとオルガが部屋を出て行った。
————拝啓、ヤツラギ様
こうしてあなたに宛てた手紙を書くのは初めてかもしれません。
あなたがこの手紙を手にしているという事は、私はおそらくもうこの世にいないでしょう。
居たら取り上げているでしょうから。
先日から不穏な気配が結界に引っ掛かるようになりました。
何者かが侵入している。ヴィルヘム様の執務室と、寝室に、ヴィルヘム様と私、そしてあなた以外が通り抜けられない結界を張りました。
夜の巣の方々は例外です。
もし何かあった時。オルガさんに治療してもらう必要が出るかもしれませんから。
彼女の腕はどんな医者よりも信頼できます。
そう……三十年程経ちますか。ヴィルヘム様が毒矢に倒れた時お救いして下さったのもあの方の薬ですから。あなたも見ていた通り。
結界の強度も上げておきました。もし私が居なくなったとしても持続できることでしょう。
しかし久しぶりに少々疲れてしまいました。
先々代から続けていた結界を全て一から張り直しましたので。こうして愚痴を吐けるのもあなたくらいのものです。
共にヴィルヘム様の腹心の部下であるあなたに。
……疲れいるからですかね。
こうしてふと、筆を取ってみたくなったのは。
せっかくの機会です。この際少し昔話に耽ってみましょうか。
思えば幼い頃からあなたは向き不向きはあれど何かに打ち込み遺憾無く力を発揮する子でした。
窓を全て割った時にはどうしてくれようかと思ったものですが。魔力の扱いに長け、モップで騎士見習い達に打ち勝つようなあなたに従者は向いていない。
そう思う事がしばしばありました。
汚れたテーブルクロスをコップ一つ落とさず抜き取る腕は認めておりましたが、皿の扱いには少々問題が多いとも。
食器は丁寧に扱わねば欠けてしまうものです。貴方が磨いた食器は全て欠けるか曲がるかしていました。
一つ一つ丁寧に磨いていくのが執事の心得。魔力を込めて纏めて布巾を挟んで引き抜く等、言語道断。
改めてつくづく従者に向いていないと思いました。
丁度あなたが騎士団への入団を志望していたのでヴィルヘム様へ進言致しました。既に騎士見習いを超える腕を持つという事も。
これで邸が荒れる事も減るというものと思いました。
しかしあなたは私が想像していた以上の力を秘めていた模様。史上最年少でヴィルヘム様の懐刀である黎明の騎士団長として邸に舞い戻って来てしまいました。
土の着いた靴でドタバタと廊下を走り回るのは止めて下さいと何度言った事か。以前より邸が荒れる羽目になりました。掃除をするメイドが可哀想でした。
そのメイドに粉をかけようとするのも大迷惑でした。
もう少し節操というものを身につけていただきたいものです。
やっと従者から騎士団長にまで上り詰めたというのに、どこで身につけて来たのやら。あなたの浪費癖にも大変苦労させられました。
ノーゼンブルグの、果ては北方領の経営を遣り繰りするのも私なのです。節制というものを身に付けて貰わねば。
資金は有限です。それをあなたという子は…………
◇◇◇
昔話と言ったクセに半分以上小言だらけの手紙にヤツラギは呆れ果てた。
続きを読もうとしたが目の前が歪んで見えない。
目でもおかしくなったのだろうかと眉を寄せていると肩に手が置かれ、横からハンカチが差し出された。振り向くとそれはヴィルヘムでヤツラギは自分が泣いている事にやっと気づいた。
ハッと頬に手を当てる。
そんなヤツラギの涙を潤んだ目で見つめながらヴィルヘムは拭ってやった。
「続きは読めそうかい?」
ヤツラギは頷き、再び手紙に目を落とした。
————
…………昔話はここまでにしておいて、ここだけの話。
私はあなたに絶大な信頼を寄せています。
あなたにならヴィルヘム様を預けられる。
努力と研鑽を欠かさず、強力な地位と力を身につけたあなたになら。
独り身でずっとこの邸に仕え続けて来た私も、もう年です。あなたの言った通り、そろそろ定年退職を考えてもよいかもしれません。
ヴィルヘム様は退職後も邸に住まうことをお許しくださるでしょう。
しかし私としてはそれは心苦しいので。浪費家のあなたに代わり、家計簿を付けて差し上げるのでお邪魔させて頂こうかと考えております。
今後私に代わりヴィルヘム様をお守りする立場となるあなたには節制した生活と健康を保っていただかなくてはなりませんから。
ヴィルヘム様はあなたが帰って来るまで必ずやお守り致します。
命に換えても。
この手紙があなたの手に渡ることがあったとしてもそれは事後。ヴィルヘム様がご無事であることは信じております。勘の良いあなたならきっと間に合うことでしょうから。
……先ずそんなことはあり得ませんが。あなたが帰って来たら私はこの手紙を燃やしますので。
これはあくまでもしもの時の物です。
ガサツで、自堕落で、浪費家のあなたに全てを任せられる訳がないでしょう。
ノーゼンブルグが滅びます。
節制、経営、自制、節度、規律。
これらをあなたに叩き込むまで私も引退などしていられません。
と、まあ読まれる前提のない手紙なので好き勝手に書いていますが。子供のいない私にとってあなたは我が子のようなもの。
老後はきっちり面倒を見ていただきましょうかね。
これにて筆を置きます。少々眠たくなって参りました。
最後に。
努力を惜しまず素晴らしい開花を見せたあなたを騎士団へ推薦した事は私にとって、少しばかりの自慢です。
愛する我が子ヤツラギへ。父カラシキより————
読み終えたヤツラギの肩が震える。
「ナニが「帰って来るまで必ずお守り致します」だ。あと一歩遅かったら間に合って無かったんだぞ」
勘のいいヤツラギなら間に合うと信じていたと書かれてた。
「ナニ、クタクタになった挙句眠りこけてんだよ。そのせいで殺されてんじゃねえか。結界強化しても意味ねえだろ」
ヴィルヘムに一番近い自分が狙われない筈がない事は分かっていただろうに。
「偉っそうに小言ばっかり並べやがって」
読まれない筈の手紙にこんな事を書くカラシキではない。老いた自分ではヴィルヘムを守り切れないと分かっていたのだ。
だから自分を囮に一番の危険を取り抑えようとした。
「ナニ勝手に人ん家に棲み着こうとしてんだよ」
もしも生き延びたらの話として。その可能性が限り無く低いことが分かっていたからこうして全てを綴ったのだ。
そしてその直後、殺された。
手紙を濡らさぬようヤツラギは天井を振り仰いだ。
「ナニが「老後はキッチリ面倒見ろ」だ。親孝行ぐらいさせろってんだよこの大ウソツキのクソ親父め……」
ヤツラギの目からは止めどなく涙が溢れ、嗚咽が止まらなかった。その背に、共に長い時間を過ごしたヴィルヘムも涙を流しながらそっと手を添えたのだった。
◇◇◇
同時刻ハーメルにて。
アカツキがリトにある物を差し出していた。
「今回の緊急の件に決着が付いたら、渡そうと思っていた。王都の……教会関連の施設を調査した」
曰く、レーゼンのおかげで魔力反転結界の相殺術式が生み出せたらしい。
「孤児院を併設していた教会の女神像の膝裏にコレが隠されていた」
それはリトがヨルに預けていた形見の小さな懐中時計。リトは震える手でそれを受け取った。エルがそっと肩に触れる。
「中に紙が挟まれていた。内容は、まだ読んでいない……」
アカツキは動かせないリトの手に手を添えて懐中時計を開けるのを手伝ってくれた。
祖父母と母が写った写真が蓋の裏に嵌められている時計の中から折り畳まれた紙が転がり落ちる。
「おそらく、お前に宛てたヨルからの置き手紙だろう」
アカツキはそれを拾い上げ、リトの手に握らせた。
————リトへ。
今、急ぎ筆を取っています。リトが帰還した後、分かった事を出来る限り書き残します。
今、王都では夜の巣の大捜索がされています。みなさんが無事に帰還されている事を祈ることしかできません。
私達に呪いを掛けたのはおそらく院長でしょう。以前リトがこの呪いについて教えてくれてたので私は知っていましたが、院長はこの呪いを「夜の巣の襲撃から守るものだ」と説明しました。
「教会施設の中にいたら安全だから」「小さい子も言った通りに動ける様に」「そのまま結界に触れたら危ないから」
耳触りのいい言葉へ置き換えて私を含めた全員にそう言ったのです。
試してみましたが、どうやら外に自分の意志で出ることは不可能な様です。他者が連れ出すことは可能なようですが、そうすると死んでしまうのでしょう。
ただ、「教会関連施設」の範囲には馬車も含まれるようです。施設から施設へ、教会へ。「教会が用意した馬車」に乗ってなら大丈夫との事でした。御者は誰でも関係ないようです。
出られないと言うのは敷地から出ようとしたら動けなくなるというだけです。内に引き返せばまた動けるようになります。小さい子が誤って外へ出ることもありません。
なのでこちらは大丈夫です。心配しないでください。
私達、孤児院のみんなは「ウィクスは夜の巣の拠点で危険だから」と言う理由でまとめてサンクメリヘ移送されるようです。ただ、少し気になるのが、普通の馬車で隣街へ移動するには一週間はかかる筈です。魔馬車でも丸三日はかかります。以前盗賊に襲われた際に使っていたのは教会の魔馬車です。
王都ウィクスタリアからサンクメリに行く迄には数え切れないほどの街と国を通り過ぎなければなりません。なのにたった二週間程度で着くと院長が言っていました。
夜の巣の様に何か、別の隠された移動手段があるのかも知れません。
私達はみんな、それ程魔力が高くありません。私など、最底辺です。
なので魔力を奪われることはないでしょう。
実験にそれ程耐えられる体でもありません。
だから実験体として扱われることもないでしょう。
なので命を落とす事はない筈です。
ただの人質として扱うつもりでしょう。
人質を殺しては意味がありません。
なので殺される事はありません。
……だから心配しないでください。
孤児院のみんなは私が守ります。
タソガレの情報でリトに一番有効な人質は私だと判明している筈です。私が死んでは意味がない事を敵はよく分かっている筈です。
みんなに危険が及んだら私が脅して止めます。
私自身も死ぬつもりは全くありません。
だから大丈夫です。
サンクメリで待ちます。何年でも何十年でも。
だから急がないでください。
リト達はしっかり準備をして下さい。何年でも何十年でも、私は待てます。
また足手纏いになってしまってごめんなさい。私の事は心配しないでください。
以前の約束を覚えていますか。
起こりうる最悪を想定して行動する事。起こってしまった事には落ち着いて最善を尽くす事。
今はまだ最悪ではありません。でも事は起こってしまいました。
最悪が何か。考えてください。
最善が何か。私も考えます。
最善が取れないなら。次善を考えましょう。
焦らないで、落ち着いてください。
これから起こりうることを、よく考えて下さい。
そして準備が整ってから、行動して下さい。
信じています。
リトのことを。
信じています。
夜の巣の皆さんのことを。
信じています。
いつかきっと教会を倒せることを。
何年でも、何十年でも待ちます。待てます。
例え、おばあちゃんになっていたとしても、それは最悪ではないでしょう?
だから今は追って来ないでください。
タソガレも待ち受けています。
アカツキさんの言うことをよく聞いてください。一人で立ち向かってはいけません。
リトが来てしまえば敵の思う壺です。
教会はリトを捕まえようとしています。
ただ魔力が欲しいだけなら痛めつけて捕まえる方が手っ取り早い筈。だけど教会はリトを出来るだけ傷つけずに捕まえるように、タソガレに言っていました。
そこには何かの意味がある筈です。
……もうすぐ出発の時間です。
今からリトの懐中時計にこれを挟んで、聖堂にお祈りをしに行きます。
みなさんの無事と旅の無事のお祈りをします。
そして懐中時計をこっそり女神様のお膝元に隠します。
お守りにって渡してくれたのに置いて行ってごめんなさい。でもこれが見つかったら取り上げられてしまうかも知れないから置いていきます。
大切なリトの懐中時計、きっと誰かが見つけてくれると信じています。
私は私でできる事を考えて行動します。
先ずはこの手紙が無事にリトに届きますように、とお祈りします。
リト、大好きです。この広い、広い、世界であなたに会えたことは、私の宝物です。
あなたと過ごした日々の思い出は、私の何よりもの宝物です。
リト……愛しています。今までありがとう。
教皇を、教会を倒して世界が平和になったらまた会いましょう。
さようなら————
◇◇◇
「————ヨル!ゥッ!」
思わず叫び、傷の痛みに苦悶してソファから転がり落ちる。その衝撃でまた痛みが疾り息が止まりそうになった。
「リトくん!」
「リト!」
エルやメル、ディーノが慌てて駆け寄り、魔法使い組が杖を手に、抱き起そうとしたが俯き嗚咽するリトに何もできなくなった。
傷より何より胸が、心が張り裂けるように痛かった。
名前も綴られず、別れで締められた手紙にリトは涙が止まらなかった。ただただひたすらに自分は大丈夫だと繰り返し、ただひたすらに……リトを想って書かれた手紙は悲しすぎた。
ヨルは自分がリトの恋人だと情報が漏れた今、ただでは済まないと分かっていてこれを書いたのだろう。
だが違う、そうじゃない。それだけじゃ済まない。ヨルは自分が何者で、どうやって生きていて、何をされて来たのかを知らない。
……これから何をやらされるのかも。
情報を得る前に離れ離れになった事が悔やまれる。魔王と同じ力を持つヨルを、教会が使わない訳が無いのだ。教会は自我を封じ、操る術を持つのだ。
あれほど優しいヨルを使って教会が何をするのか。
容易に想像が付く。
そこにヨルの意志は存在せず、操られているのだとしても。人々はいずれヨルを恐れ、憎む様になる。
そしてそれはヨルを壊す恰好の手立てとなる。
「くぅっ!うぅっ……ぅ!う、うぇっ、うっぅ……」
そんなヨルの最後の手紙がこんな、こんなにリトや他人への想いに満ち溢れたもので、誰よりも世界の平和を願い、そして別れを告げるものだなんて、悲しすぎる。
リトは人目も憚らず嗚咽を漏らして泣いた。落ちた衝撃で手放されていた手紙をアカツキが拾い上げる。
「読んでもいいか」
「うっぅ!うぅ、ぅ……」
リトは暫く答えられなかったがこくりと微かに頷いた。
こうなってしまった今、情報の共有はした方がいい。
床に転がったままのリトをエルが傷に障らぬ様に抱き上げ、優しくソファに下ろした。顔が見えない様、少し下向きにして。
傷の痛みも気にせず肩を震わせ続けるリトをメルが瞳を潤ませ、ディーノが、魔法使い達が、痛ましそうな目で見つめていた。
お読みくださりありがとうございます。
第五章の序盤、過去編で。ヴィルヘムに暗殺者に潜って見ろと言われた少年騎士を覚えている方はいらっしゃるでしょうか。
あの魔力感知の得意な少年騎士こそ、ヤツラギでした。当時十何歳程度。騎士仲間に可愛がられつつしっかり力を付け、認められていた頃の彼です。
まだ真面目でした。不良になったのは団長になってからです。
カラシキは色んな人に注視している人でした。
ですが父親がおらず、母親も早くに亡くしたヤツラギは一際。本当に我が子のように思ってよく見ていました。
従者見習いになって不貞腐れていたヤツラギに呆れつつ、「暴れるくらいなら騎士見習いと打ち合っていろ」ときっかけを作ったのもカラシキです。
二人の関係はお互い口にしていませんでしたがお互いに父子と思っていた。そんな関係でした。
物語にはほぼ出てきませんでしたが二人はしょっちゅう口喧嘩してわちゃわちゃしてました。
口うるさい父親と不良息子。そんな感じでヴィルヘムも見ていました。
この二人の結末はどうあっても悲しいことになってしまいました。こんなことになるならもっと登場させてやればよかったなと思ったりもします。
ヨルからリトへ宛てた置き手紙も悲しいものでした。旅立つ直前ヨルが何を想って書いたのか少しでも皆様に伝わると幸せます。
ですがご心配無用。雪明かりはハッピーエンドが好きです。
第五章もいよいよ次話で終幕。ヨルの手紙のと・あ・る・事・でまたしても様々なヒントが繋がります。
泣いた後には笑ってもらう。それがモットー。雪明かり。
丁度めでたく百話の大台に乗って締めとなります。
第五章最終話 『三つの鍵』 この後すぐ!ᐕ)ノ




