↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宵の姫君  作者: さら更紗
Ⅳ 狂気
PR
64/102

Ⅳ 狂気 ー4


「最初は煙草の一種だと思ったんだよ」

 ポツポツと灯りの点く家が目に映る。

 油は貴重だ。この村では、よほどのことでもない限り、灯りを灯すくらいなら、眠ってしまう。

 だが今夜は、無事帰ってきた夫や父親、息子の為に、少ない油を減らしてでも、その無事を喜びたいのだろう。楽し気な声も時折流れてきた。

 譲は後ろを歩く瑠を振り返ることなく、前を向いたまま、しゃべりだした。

 瑠は慌てて、譲の横に並んだ。

 風は強く、押し殺した譲の声は、とても後ろまでは聞こえなかった。

「あいつだけじゃない。最近は景気も悪くて、あまりいい仕事がなくてな。出稼ぎ(俺たち)に残されているのは、きついやつが多かった」

 ボソボソとしゃべる譲の声は、横で聞いても聞き取りにくかった。

 俯いて歩く暗い顔は、闇に溶けて見えなかった。瑠には、隣を歩く黒い塊が、普段快活にしゃべる、譲おじさんだとは思えなかった。

「過労や事故で死んじまう奴もいた。身体もギリギリだったが、心が限界だった。何かでごまかさないと、次の日仕事に行けなかった」

 男たちは、外での仕事の話を、あまり村ではしない。女たちも敢えて聞かない。だが、それが楽ではない仕事だとは、女たちも分かっている。

「ある時、他の村から来た奴が、疲れた時はこれが効くぞ、と煙草をくれた。次の日、それを吸ったやつは、清々しい顔で仕事場に来ていたよ。疲れが取れて、力がみなぎると言っていた」

 話を聞いていて、瑠は「まさか」と思った。

「だけど、そのうちまた暗い顔になり、荒い息を吐いている。次の日は仕事場に姿を現さない。慌ててそいつの寝床を覗くと、布団をかぶってブルブル震えながら、煙草をくれと懇願するんだ」

 譲は暗い声で話を続ける。

「俺たちも、そいつが仕事をしないと、村で待つ家族が飢えてしまうのを知っているから、煙草を手に入れてやる。煙草だって言われていたから、危険だとは思わなかった」

「……」

 本当に?

 瑠は黙って、譲が続きを言うのを待った。

 だって、村から出たことがない瑠でさえ、思った。その症状は昔聞いたアレに似ている。

 もう、当の昔に禁止され、姿を消したはずのアレ。

 譲は止めていた息を吐くように、大きな息を吐いた。

「…違うな。疑っていた。だけど、気が付かない振りをしていた」

「…それで、どうなったの?」

どうして止めてくれなかったのかと、責めたい気持ちを堪(こら)えて、瑠は話の続きを促した。

「弱っていた奴」の中に巌がいるのだろう。瑠が最初に責めるべきは、弱って楽になるものに負けてしまった巌だ。

「教えてくれた奴も、売っていた奴も、いつのまにか姿を消した。煙草が切れても手に入らなくなると、暴れる奴が出てきた。よその村から来た奴は、煙草欲しさに怪しい仕事を請け負って、そのまま姿を消したって話を耳にして…村に戻ろうと思った」

 譲は唇を噛んで、「すまない」と押し殺した声で言った。

「いいえ」

 瑠は首を横に振った。譲の判断は最善だった。いつもより戻ってくるのが早いと思ったのは、気のせいではなかった。頭としての譲の判断に、瑠は感謝した。

 譲の判断が遅かったら、巌は今頃行方不明になっていたかもしれないのだ。

「話してくれてありがとう。ここでいいわ」

 自分の家が見えてきたので、瑠はそう言って譲と別れようとした。

 時間はかかるかもしれないが、村でゆっくり静養すれば、巌はそのうち元に戻るだろう。

 暮らしは厳しいが、まだ子どもはいないし、ふたりなら何とかやっていける。この機会に子作りに専念してもいい。

「巌の顔を見ていくよ」

 そういう譲をやんわり断ろうとしたとき、自分の家の扉が勢いよく開くのが目に入った。

 中から何かが飛び出してきた。

 何かではない。巌だ。

 だが、その様相は動物じみていた。頭を激しく振って、キョロキョロと周りを窺っている。

「巌!」

 瑠は走り出した。譲も気が付き、瑠の後に続く。

 巌も気が付いたのか、こちらに向かって来た。

 いや、飛びかかってきた。

「巌!」

 悲鳴のように叫んだ瑠に、巌は体当たりのように飛びついた。巌の骨ばった身体が当たり、瑠は呻いた。

「瑠!どこに行っていたの!目が覚めたら、いないから、捨てられたかと思った」

 痛そうに顔を歪める瑠に構わず、巌は瑠を押し倒すように抱き絞めてくる。

 よろけた瑠を、譲が支えてくれた。

「巌、落ち着け」

 譲がやんわりと巌を瑠から離そうとすると、巌ははじめて譲に気が付いたように、譲に目を向けた。

「譲さん、なんであんたがここにいるんだ。瑠を連れ出したのはあんたか!」

 瑠は信じられない気持ちで、巌の顔を見た。

 瑠の夫は、人に気を使いすぎる男だ。間違っても、こんなふうに、根拠なく人に噛みつくなんてことはしたことがなかった。

 そもそも、人を怒鳴りつける姿など、みたことがない。

 それは譲も同じはずだが、譲は驚いていないようだった。

「……俺のことはまだ分かるのか」

 そう呟くと、瑠と巌を抱えるように、二人の家に歩き出した。

「今日はゆっくり休め」

「じゃあ、煙草くれよ」

 媚びるような巌の物言いに、瑠はまた驚く。

 譲が黙って歩いていると、今度はめそめそと泣き始めた。

「不安なんだよー。一本でいいからくれよー。そしたら明日から頑張るからさぁ。これで最後にするから」

「あれは、もうない。町を出る時に、そう言っただろう」

 譲がそう窘めると、巌はまだ涙を流したまま、怒りを露わに大声で怒鳴った。

「じゃあ、もう、町へ戻ろう!」

「巌、もうやめて」

 見かねて、瑠が止めようとすると、巌は瑠を突き飛ばした。

「うるせぇ!殺すぞ」

 瑠は尻餅をつき、座り込んでしまったが、お尻の痛みより、心に受けた衝撃で、立ち上がることすらできなかった。

 あれは誰だ?巌の顔を被った、何か違うものじゃないだろうか。目は吊り上がり、歯をむき出しにして怒鳴っている。

 瑠はそれ以上、恐ろしくて巌に声がかけられなかった。ただ座り込んだまま、ブルブルと震えていた。

「よせ、巌」

 喚く巌の腕を押さえつけて、譲は低い声で叱った。

「…瑠が怖がってる」

 途端に、巌の顔が歪んで、元の情けない顔に戻った。そのままうなだれ、脱力してしまった。

 譲に捉まれたまま、引きずられるように家に戻された。家に入ると、巌は毛布にすっぽり潜り込んでしまった。

 瑠はその間ずっと、為す術もなく、目の前の光景を見ていることしかできなかった。

 あんなに、事実を暴き、なんとかしようと意気込んでいたのが嘘のように、ただ身を縮こまらせて、呆然としていた。

 譲は瑠に、家の外に出るように目配せした。

「村(ここ)には煙草がないから、そのうち正気に戻るだろう」

「煙草?」

 瑠は我に返って、眉を顰(ひそ)めた。

「違うわよね。あれは煙草じゃない」

 譲はため息をついて、あきらめたように頷いた。

「そうだ。あれは恐らくカエルムだ」

 カエルム…現国王が全面禁止した、悪魔の薬。

「なんでそんなものが…」

「隣から入って来るらしい」

「隣?」

「公国からだよ」

「は?」

 怒りに目が眩(くら)む。つい最近、公国の大公とやらが、出迎えたガザの兵たちを騙し討ちしたと聞いた。今度はカエルムを煙草と偽って、ガザで売る。帝国を混乱させたいのか知らないが、こういう時、一番に被害が出るのはうちみたいな貧しい村だ。

 正気を失いかけている巌に、一瞬でも怯えてしり込みしてしまった自分。たとえ回復しても、その傷は一生残るだろう。

「瑠、俺の家に行って、革のベルトと鎖を貰ってこい。雀(じゃく)に言ったら、すぐに分かる」

 雀は譲の妻である。もちろん雀も瑠が幼いころから可愛がってくれた。太く温かい手で、わしゃわしゃと瑠の頭を撫でてくれる。それが瑠の雀に対する印象だった。

「皮ベルトと鎖?」

 瑠が繰り返すと、譲は頷いた。

「禁断症状で暴れたり、逃げ出そうとしたりするからな。縛っておかないといけない」

「そんな……」

「……これから、つらいぞ」

 独り言のように呟いた譲を見ないようにして、瑠は譲の家に急いだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。