Ⅲ 激流 ー4
四大氏族会議は滅多に開かれないが、その希少な何回かを思い返しても、始まりはいつも一緒だ。
瘴気の中の我慢大会。
当たり障りのない会話、顔に張り付いた笑顔、心にもないお世辞。どんなに表面上は明るく和やかに振舞っても、空気だけはごまかしようもなく重たい。
そんな中で、口をパクパクさせながら、耐え続ける。負けた者は毒を食らって、死んでしまう。
若い頃は吐きそうなほど嫌悪していた、氏族同士の茶番劇を、最近は面白いとすら思っている自分に、炎は心底がっかりする。
こんなくだらないことを興味深いと思ってしまうなんて。
思えば、あの王位継承をかけての、生きるか死ぬかの頃が、一番楽しかった気がする。
しくじれば、周りを巻き込んでの死しかないという絶望を背負いながら、それでも生きる目的だけにがむしゃらになれた……
不意に思い出に浸りそうになって、炎は危ういところで自分を取り戻す。こんなことを思い出したのは、隣にいる櫂に昔のような覇気を感じているからかもしれない。
こいつも長年の鬱屈が溜まっている。
「さて、皆に集まってもらったのは他でもない」
ほとんど形骸化してしまっている全、名前だけの允、実利にはしり商人と化している遜、そして最大氏族、崑。
歴然とした差があるにもかかわらず、氏族長たちは同じ立場であるかのように座っている。その顔をゆっくり見回して、炎は口を開いた。
「カエルムが出回っているようだな」
4人の族長の表情は変わらなかった。
「ほう」
少し間があって、崑の氏族長が相槌を打った。
「そうなのですか」
崑の氏族長は壮年のがっしりした男だった。黒々とした太い眉の下から覗く、ぎょろりとした目は翁に似ていた。だが、彼が翁の息子なのか孫なのか、はたまた直系ではないのかは分からない。ある日突然、翁が氏族長にと指名したのが彼だったのだ。
そしてそれだけの力量があった。
声は重々しく余裕があり、炎王の視線を受けてなお、泰然としている。
「害あって、陛下が禁止されたものですな」
崑の隣に座る、允の氏族長の頬が微かに引きつった。
「隣国に問題が起こったのですよ。我が国では長年、問題などなかった。健康被害も嗜好品の域を出ません。煙草のようなものです」
この男は短慮すぎる。
炎は允の氏族長の顔を見た。
色白で線が細く、神経質そうな目に浮かぶ苛立ちを隠そうともしない。
允一族は薬草の生産、薬の精製に長け、それを独占販売することで、四大氏族の地位を手に入れた一族である。その薬の中に、カエルムもあった。
製造過程の違いで痛み止めにも麻薬にもなり得るカランもそうだが、本来麻薬も薬の一種である。
カエルムは何の規制もかかることなく、ガザ帝国で広まり、允はそれによって莫大な富を得た。常習性があり、多用すると体を蝕み廃人になってしまうことから、帝国内でも禁止しようとする声がでたが、四大氏族の允を前にその声はいつも、いつのまにか消されていった。
そして隣国である太陽神国に密輸したところ、太陽神国の王を死に至らしめ、その中継地ドムを壊滅させたのである。
炎王が即位したのはその事件よりも後だったが、王は真っ先にカエルムの生産、流通の一切を禁止した。
あれはたまたまドムという小さな町に集中してしまったゆえの出来事だと、允は反論したが、王は頑として認めず、そこに崑も王に肩入れした為、カエルムの生産流通に頼り切っていた允は、財源のほとんどを奪われることとなった。
そこから允の勢力は、急速に衰えていった。
「俺の判断が間違いだったと言いたいようだな」
炎が静かに言うと、允の氏族長は前のめりになりかけた体をスッと戻した。
「いえ、とんでもございません」
それから、どうしても言わずにはおられなかったのか、「済んだことです」と呟いた。
允の浅はかさに炎は心底呆れたが、ここで允を叩いても仕方がない。
炎は崑の氏族長を盗み見した。自分が発端なのに、まるで自分とは関係がないことのように、知らぬふりをしている。ああ言えば、允の氏族長は何か一つでも文句を言うと踏んでいたのだろう。そう言われれば、炎が一言咎めなければ済まないということも、分かっていたはずだ。
勝負にならないな。
炎は内心ため息をつく。
それでも今は、允に消えられるわけにはいかない。
カエルムが出回っている。
それは正確な表現ではない。
ガザでは、「広がっている」という事例は今のところは見られず、その存在が見られたのは、公国である。
どこでということではない。流通する薬の中に、カエルムに似たものが混ざっているというのだ。
公国の商人たちは、それと知ってか知らずか、他の薬と同じように扱っていた。
ということは、高値は付けられていなかったということだ。他の薬と同じような価格で卸され、流通させる。そこに何の意味があるのか。
その時期がどうやら、あの大公の事件の少し前からだというのだ。
もちろん、崑が知らないわけはない。
この情報を寄こしてきたのは、崑の隠密頭なのだから。
「遜はどうだ?何か聞いているか」
炎は允の当主から目線を外し、それまで一言も発していない、遜の当主に目を向けた。
遜の当主は崑の翁ほどではないが老齢だ。眠たそうな目が、瞼の皴に埋もれている。
「いいえ。初耳です」
細いが妙に通る声で、遜の当主は答えた。
遜は金融業を広く手掛けている。ガザ全土はもちろん、公国にもつながりはある。
金を扱う商売は、他の氏族から下賤だと見下されるが、結局はその商売で今の地位を守ってきた。
崑の氏族の連中でも、遜に金を借りている者は多い。
「ご説明を賜ってもよろしいでしょうか、陛下」
読み取れない顔で、遜の当主が促す。
全く知らなかったなどとは、ありえないと思うのだが、炎ですら先日知ったのだ。崑ならまだしも、遜の情報収集力は全とあまり変わらない。
しかし何の表情の変化もない。
力の抜けた佇まいで、小さな目がしょぼしょぼと瞬きしている。
この爺が見た目通りの爺ではないと分かっていても、油断してしまう。
「製造も流通も禁止したはずのカエルムが、公国で売買されているのを見たという報告が、 複数上がっているのだ」
カエルムの製造は允が独占していた。機密扱いで、他には漏れていないはずだ。たとえ、禁止されたものでも、允がその技術の独占をおいそれと手放すとは思えない。
「……公国ですか」
遜の当主は興味が失せたように呟いた。
「うちではないぞ」
允の当主が唸るように言うのを、炎はあっさり無視した。
「遜は公国とも取引があるだろう?」
「ええ、まぁ」
遜の当主は曖昧に頷いた。
「ですが、申し訳ありません。わたしの勉強不足でしたな。まさかかの薬が現存しているなどとは、思いもよらなかったのが正直なところです。確かにうちは公国にもお客様がおりますが、あくまで個人に対する取引ですし、そのような噂は聞いておりません」
遜の当主が言葉を切ると、崑の当主は自分の顎を撫で、允の当主は椅子に座りなおした。
再び、遜の当主が、口を開く。
「何も、公国と繋がりがあるのは、遜だけではないでしょう」
ゆったりとした口調なのに、部屋の中にピリッと緊張が走った。
「というと?」
炎は面白そうに聞き返した。
それまでぼんやりと彷徨っていた遜の当主の目が、はっきりと炎の目を見た。
あ、来るな。
炎はその目を見返した。
「崑も允も、もちろん陛下も、公国とつながりを持っているでしょう。隣国の、それも公国として自治を認めてはいるが、結局は我が国の属国なのだから当然です」
「なるほど」
炎の隣で、櫂が乾いた声で応じた。
それまで一言も発しなかった国軍大将が口を開いたので、三人の氏族長は櫂に目を向けた。国軍大将が話に入ってくると思っていなかったのだろう。
だが、さすがだ。允の当主ですら、動揺はみせない。
「つまりは、それぞれの氏族が公国を手中に治め、われわれを牽制しようとしているわけだ」
櫂の言葉に、崑の当主は吹き出すように息を吐いた。
「牽制とは、随分乱暴な言葉を使われますな、閣下」
「そうか?」
櫂はとぼけたように言った。
身分的には氏族長より国軍大将の方が上だが、巨大な崑の勢力は、その力を押し上げている。
崑の当主は鷹揚に、櫂の挑発を受け止めた。
「われわれが隣国と関わるのは、両国の和平の為です。公国を開けた国とし、交流を望まれたのは、陛下御自身でしょう」
確かに戦のあと、占領国にしても問題なかった公国を、友好国として遇するように諸氏族に通達したのは、炎だ。
炎は黙って頷いた。
「それに」と崑の当主は続ける。
「公国と通じているのは、陛下のご一族も同様ですよ」
全は王の血族であり、炎ももちろん全の血筋である。
だが、炎たち王家と、現在の全一族には、大きな隔たりがあった。
先の王が崩御した折、苛烈な後継者争いが起こった。先王が後継者の指名をしていなかったのだ。皇太子は一応いたのだが、この巨大な帝国を統べるには矮小な人物で、後ろ盾も弱かった。
皇太子はあっさりと騒動の内に殺され、空の玉座を巡って、全一族内で血を血で洗う争いが起こった。
当時、先々代の王の私生児として、王族の血筋ではあるものの、ほとんど問題視もされていなかった炎は、公国との戦争の為、国を離れていた。
そこから王城の玉座に坐ることになったのは、炎の母も王族の私生児であったことが明らかにされ、さらには炎が敵を倒しながら首都に迫る際、地方の有力者たちを味方につけていったからである。
王城にたどり着いた頃には、その味方は膨大な数に膨れ上がっていたという。
王になった炎は、まず、自分の敵を粛清した。それはつまり、全一族の主な家系のほとんどである。王城の要職のほとんどを身内が占めているという、腐敗した政治を根幹から正す意図もあった。それは概ね、成功した。
だが、全という氏族の名前は残ったものの、その中身はほとんどいないという、形骸化した一族に落ちてしまった。
生き残った傍系の全は、中央の目に触れないように、ひっそりと暮らしている。
彼らが公国と交流することは、禁止されたことではない以上、咎める術はない。
王家以外の全は、地方で小さな町や村の役人をしている者が多い。戦後、そこに飛ばされたわけではなく、そのくらいの者たちしか、生き残っていないのだ。
もともと野心なく、つつましやかに暮らしていた者たちなので、中央に向かって大それたことをするとは思えなかった。
「あの者たちには、何かを企てる力はない」
炎は冷たく断じた。
後の禍根の種を残さない為に、粛清したわけではない。あの戦では、全の一族に炎の味方はいなかった。皆が皆、炎を抹殺しようと襲い掛かってきた。残ったのは、それにすら参加できなかった末端の者だ。
「しかし、忘れられた全一族の中で、誰かを担ぎ出そうとしているのかもしれませんぞ。もし、そうで……」
崑の当主が更にそう言うのを、炎は鼻で笑って遮った。
「そんなのを探し出して担ぎ出すより、玉座を簡単に狙える方法があるだろう」
ビリッと室内に、再び電流が走った。
確かに細々と暮らす全の中で、確率の低い後継者を探すより、手っ取り早い方法がある。
何も、全の者が王族でなければならない法があるわけではない。
氏族の誰かがクーデターを起こせばいい。
「……」
崑の当主は黙って、遮られた続きを言おうとはしなかった。
「陛下」
代わりに、遜の当主が口を開く。
「そのようなこと、軽々しく口にしてはなりません。我々は陛下の僕です。陛下が君臨なさっておられるからこそ、この国は豊かなのです」
「先に言い出したのは、崑だぞ」
不機嫌な顔で炎が言うと、崑の当主は頭を下げた。
「わたしの浅慮でした。申し訳ございません」
茶番だと呆れつつ、それにのっかっている自分が面白いと思ってしまう。
崑も遜も、炎が王だから国が豊かだとは少しも思っていないだろう。
だが自分たちが王族になるより、このバランスの方が自分たちにも利があると思っている。だからあの戦いの折、全の混乱に乗じるのではなく、炎の味方をした。
そして炎自身も、四大氏族のバランスが崩壊すれば、国自体が危うくなると分かっている。だから、王族を凌駕する崑や遜の存在を甘んじて受け入れているのだ。
「允はどうだ?」
炎はあれからずっと黙っている允の当主に水を向けた。
何か考え事をしていたのか、允の当主は驚いて炎の方を向いた。
「お前の所は薬草を主に扱っているだろう。何か聞いていないのか」
允の当主は何故か一瞬ポカンとし、慌てて首を激しく横に振った。
「いえっ。なにも、何も聞いておりません」
口ごもった允の当主の後に、一瞬だけ他の三人の間で妙な沈黙がおりた。
「そうか、分かった」と炎が頷く。
「では、皆、カエルムの行方に注視してくれ。あれは必ず厄災になる。先日の、アウローラ公国の襲撃事件にも絡んでいるかもしれない」
三人の当主たちは首を垂れ、「御意」と低い声で言った。
崑の当主が顔を上げ、炎に向き直る。
「そういえば、大公の引き渡しはどうなりましたか」
大公の身柄を引き渡すと公国側から申し入れがあったのだが、それ以来音沙汰なしだ。
「まだ何も。今、探らせている」
炎が答えると、崑は困ったようにため息をついた。それは公国に対してなのか、まだ結果を引き出せていない炎に対してなのか分かりかねるものだった。
「うちの手の者を貸しましょうか?」
崑の当主がそう言うのを、炎は笑って拒んだ。
「大丈夫だ。手練れを行かせている」
「承知しました」と崑の当主は再び頭を下げた。




