Ⅱ 蠢動 ー11
結局、ナルの傷が癒えるまで、一週間ほどかかった。治るまで移動は難しいと陽に言われると、ナルは気が焦り、一刻も早く都に行きたがったが、陽は頑として許さなかった。
「そんなことをしたら傷が開いて、余計に治るのが遅くなるぞ。そんなんじゃ、助け出すどころか、お荷物になるだけだ」
ターシャもこればかりはナルの味方をしなかったので、ナルは悔しそうな顔をしながらも、どうすることできなかった。
ナルと陽は、初対面にも関わらず、すこぶる仲が悪かった。しかも陽は手話も指文字もできないので、ナルと意思疎通が直接できず、そのことが余計に二人を苛立たせているように見えた。
間に挟まれているターシャはたまったものではない。
おかげで陽に対する不信やわだかまりを、忘れそうになったほどだ。
思い出したのは、やはり二人の言い争いだった。
『どうせあんたたちが考えているのは、針森の安定だけだろう』
興奮して、雑な手話でそう言ったきり、ナルは部屋を出て行ってしまった。
「なんだって?」
訳そうともせずに呆然としているターシャを、陽は怪訝な顔で覗きこんできた。
いつもの言い争いだった。早くユースティスを助けに行かないと手遅れになるというナルに、まだ無理だと受け入れない陽。
しびれを切らせたナルが放った一言だった。
……頭にあるのは針森の安定だけ。
確かにそうなのかもしれない、とターシャは思ってしまった。
あのどこか他人事である感じ。ターシャを助けてくれていると思いながらも、村では例年通り「はなまつり」が行われ、本当にこの村でこんなことをしていていいのかと不安になっていた日々。
針森は外のことなど、どうでもいいのかもしれない。
外の世界が、針森に何かしない限りは。
待っている陽に、ターシャはこう尋ねた。
「ねぇ、陽。あなたはわたしの婚約者が、ラウル・サボンに囚われているって、最初から知っていたの?」
陽は虚をつかれたようにターシャを見つめると、「ああ、そうか」と独り言のように呟いた。そして、納得した顔でターシャに言った。
「それで杏は、針森から勝手に出て行ったのか」
ターシャはカチンときて、声を荒げた。
「杏じゃないわ、ターシャよ」
もっと言うべきことがあったが、ターシャが噛みついたのは、まずそれだった。
ここは針森じゃない。偉そうな陽に腹が立った。
「それに一つもわたしの質問に答えていないわ」
ターシャの剣幕に、陽は少し怯んだようだった。
「まぁ、座って」と近くの椅子を指さし、「説明するから」とターシャを宥めた。
ターシャは言われた通り、椅子に座ったが、まだ気持ちは高ぶっていて、陽を睨みつけていた。
「顔が怖いよ、ターシャ」
「……」
ため息をつきながら、陽もその横に座ると、ターシャの方に向き直った。
「言い訳みたいだけど、俺は知らなかった。というか、ラウルとかいう奴のところに捕まっている男が、ターシャの婚約者だとは思わなかった」
確かに婚約者がいるということは告げていても、名前までは明かさなかった。もっとも、陽も興味を示さなかった。
「……蘭はいつから知っていたの」
母が自らを犠牲にし、自分も必死の思いでたどり着いた蘭。すがる思いで、命を懸けたのだ。
「たぶん……」
陽は言いよどんだ。
しかしターシャはそれを許さないとばかりに、じっと待った。
「……キースが知らせを持ってきたときは、もう知っていたと思う」
ターシャは心の糸が切れそうになるのを、ぐっと抑えた。半分は、分かっていたことだ。
蘭は助けてくれない。
「……ナルがさっき言っていたのはね」
ターシャは投げ出すように言った。
「あんたたちが考えているのは針森の安定だけだろう、って」
陽の顔から、すっと表情が消えた。
「そうだよ」
陽は静かに言った。
「俺たち針森の民は、針森が守れれば、周りの国がどんな陰謀で、誰が権力者になろうと関係ない。戦争をおっぱじめようが、暴君が民を虐げようが、針森さえ巻き込まれなければ、何の問題もない」
冷たい声だった。ターシャは凍り付いたように動けず、聞きたくないのに陽の言葉を聞いていた。
陽がどんな顔をしているか見るのが怖くて、テーブルに置かれた陽の手ばかり見つめていた。
陽の手は憤りに拳を握るわけでもなく、ただそこにあっただけだったが、その手はなんのぬくもりもなく、冷たいものである気がした。
陽の声もまた、激することなく、静かに続いた。
「だけど、それをあんたらが詰るのは、お門違いだ」
ターシャは顔を上げることすらできなかった。
勝手に押しかけてきて、自分を助けろと騒ぎ、進展がみられないと村の日常にまで八つ当たりする。裏切られたと騒ぎ立てる。
最低だ。
命を懸けたがどうした。こっちが勝手に懸けたのだ。
針森の村には、針森の村の信義があるというのに。
「でも」
心なしか、陽の声の温度が少し上がった気がした。
「俺たちは国の為には何もしないけど、人を助けることはするよ」
ターシャは顔を上げた。
眉を寄せて首を傾げている、陽の顔があった。
「ナルはそのへん、分かってると思ったけどな」
「え、どうして?」
思わず聞き返したターシャに、陽はより一層眉を寄せて言った。
「だってあいつ、元は針森の人間だろ」




