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1 婚約破棄

「クリスティーネ、お前との婚約を破棄させてもらう。」


ゲラルトはわたくしに顔も向けずに冷たく言い放った。


「そんな…!

お互いの家のための婚約なのですから、突然そう言われても困ります。」


「もう決めたことだ。」とわたくしの懇願にもまるで取り合わない。


「どうか考え直してくださいな。

両親が事故で亡くなり、お義兄様も屋敷を空けている今、わたくしと姉様が頼れるのは貴方だけなのです。」


「だからこそだよ。」


初めてこちらを見たゲラルトは悪どい笑みを浮かべていた。


「次女のお前と結婚したとて、俺はクラウゼ伯爵家の家長になることはできない。

俺はお前ではなく、姉のエリザと結婚する。」


「なにをおっしゃいますか。

お姉様にはもうお義兄様がおられるではありませんか。」


数年前、姉のエリザは結婚し、クラウゼ伯爵家は彼女の夫となった義兄を婿養子として迎え入れた。

真面目な義兄はクラウゼ伯爵家を継ぐ者として両親に認められていた上、姉とも良き夫婦となった。

ゲラルトがつけ入る隙などないはずだ。



「お義兄さまは病気の母に会うためにご実家に帰られているだけで、お姉様を見捨てたりはしませんわ。

帰りが遅いのも、便りがないのも、きっとお母様の看病に忙しいだけで…。」


ゲラルトはくっと低く笑う。


「奴はもう帰ってはこれまい。」


さっと血の気が引くのがわかった。


何故今まで忘れていたのだろう。

義兄が実家に帰るための馬車を用意したのは、この男だ。

それから、事故にあった両親が乗っていた馬車も。


「まさか…あの事故は貴方が仕組んだのですか!

その上、お父様とお母様だけでなく、お義兄様まで!」


「はて、なんのことやら。」


肩をすくめてみせるゲラルトの口はニヤニヤと吊り上がっている。


「すべては我がクラウゼ伯爵家を乗っ取るためなのですね。」


ゲラルトの耳障りな笑い声が響いた。


「俺はハーン男爵、などという下級貴族の身分で満足する男ではない。

使えるものはなんでも使って這い上がってみせる。」


「両親と夫を死に至らしめた下劣な者とお姉様が結婚するとお思いですか。」


わたくしは彼に詰め寄るが、ゲラルトは下品な笑みをやめない。


「俺が殺したという証拠がどこにある。

誰もお前を信じたりなどしない。

皆はお前が何を言おうと、婚約者を奪った姉に嫉妬していると耳を貸さないだろう。」


こんな男に、伯爵家を奪われてなるものか。

こんな男に、姉を渡してなるものか。


かっと身体が熱くなるのを感じる。

衝動のままに、男の太い首を絞めてやろうと掴み掛かった。


「お前には何もできないさ、クリスティーネ。」


ごん、と強い衝撃が頭に走る。

ぱちぱちと目の前ではぜる赤。


ゲラルトの手には蝋台が握られていた。

あれで殴られたのだ、とようやく理解した。


「安心しろクリスティーネ。

両親に会わせてやる。」


もう一度、ごん。


どろりと溶けた熱い蝋が顔を流れてゆく。


あぁ、憎い、恨めしい、怨めしい。


許さない、赦さない、この男だけは…。

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