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(ぜっっっったいにおいしいに決まってる! なんなんですかこの反則的なビジュアルは! パンケーキ三段! それに……いちごがいっぱいだぁ……)
エルゼの瞳には目の前のパンケーキが、どんな高価な宝石よりも輝いて見えた。ここしばらくは拘置所生活が続いたのだ。こんな贅沢は久しぶり。
「こういうの好きなんだ。誘ってよかった」
「え、ええ。好きですよ」
珈音の声に正気を戻したエルゼはこほんと咳払いし、二人はパンケーキを頬張る。
(おいし~)
取り繕おうにもやっぱり笑みがこぼれてしまうエルゼ。
「うまいうまい」
珈音も満足げにもぐもぐパンケーキを食べる。科学の街の住人とはいえ、それはどこにでもいる女子高生の姿そのものだ。
「よくコーヒーが飲めますよね。私、すっごく苦手で。香りは嫌いじゃないんですけど、口に入れたら拒否反応が出ちゃうんですよ」
「うん、大好き。でもね、なーんか神代の女はコーヒーがすっごく苦手って共通点があるみたい。私は例外だけど。だからそういう意味でエルゼも立派な神代の女の子だよね」
「へぇ、そうなんですね」
生クリームの甘ったるさといちごの酸味を味わって咀嚼し、それをダージリンの上品で爽やかな味わいで流す。なんて幸せな時間だ。
珈音はエルゼにニコリとほほ笑み、
「おいしいね」
「はい、おいしいです」
しばらく二人は談笑、特にエルゼが街のことを珈音に聞きながらパンケーキを食べる。
食べ終えると、今度は複合ビルのショッピングモールに足を運ぶ。そこでは珈音の服もそうだが、まともな服を持ち合わせていなかったエルゼの私服やパジャマも購入した。
「エルゼもかわいいパジャマ着るんだ~。……スパイなのに」
最後は小声の珈音。ピンク色の、数個のいちごの粒がプリントされたパジャマを選んだエルゼに、声のトーンとは裏腹に奇怪な目を向けた。
「い、いいじゃないですか。それに今は高校生です」
なんてやり取りもあって、総括してすごく心地よくて楽しい午後の時間だった。珈音が護衛の対象であることをすっかり忘れてしまうこともあったくらいに。
ショッピングモールから出ると、午後五時を回ったところだが、やはり星々が輝く夜の街だ。二十四時間夜であることに違和感は拭えない。
「はぁ~楽しかった」
珈音も満足げだった。ちなみに購入した商品はすべて明日中には配達してもらえる。
「はい、楽しかったです。ひとまず何事もなくてよかったですね。それでは帰りましょうか。寮まで送りますよ」
「うん」
二人は森のように立ち並ぶビル街の下を歩いてゆく。何気ない帰り道でもエルゼにとっては未知の光景ばかりで、科学の海に溺れてしまいそうな気分にもなる。
「ん、珈音?」
エルゼがふと気にかけたら、なぜか珈音はピタリと足を止め、細い路地のほうを見ていたのだ。大通りは人通りが多く賑々しい。反面、ビルの合間の狭い路地は青黒く暗みがかかっており、薄ら寒さを感じた。
「あれは!」
エルゼも異変に気づく。人が倒れているのだ。スーツ姿の男だろうか、背中を見せて地面に倒れていた。体調不良か、はたまた怪我か、もしくは襲撃か。
「たいへん!」
珈音がすぐさま駆け寄る。エルゼもスマートフォンを片手に駆け寄ろうとした。
その時。
「キャッ!」
「珈音!!」
倒れていたはずの男が限界まで縮めたバネのように跳ね起き、丸太のように不自然に太い腕で珈音を捕らえたのだ。
(通常ではありえない筋肉の動きに、体幹の細さのわりにあの腕の太さ……。さしずめ薬物の投与の結果。いわゆるドーピング。つまり――……)
エルゼはそれを得意とする科学者の名を言った。
「レイの差し金ですか?」
筋肉質の腕とは裏腹に、頬の肉が少ない男はエルゼを見据えて、
「ご名答。エルゼ様を助けるようにと、レイ様から。脱出のルートは確保しています。騒ぐと面倒なのでこの女も連れて行きましょう」
「んんーっ! んーっ!!」
男に口を塞がれる珈音は、何とか叫ぼうとしているが、大通りの人々にはまるで聞こえないだろう。
「…………」
エルゼはふっと安らぎの笑みを浮かべる。
「さすがはレイですね、助けがほしい時にベストのタイミングで。やはり《楔》においてナンバーワンのスパイです」
「……ッ」
珈音がギョッと目を丸くするので、エルゼは目を狭めてニタリと薄く笑い、
「スパイに何を期待していたんですか。すべて演技ですよ、――この時が来るのを見計らって。今日は付き合わせてくれてありがとうございます。とっても楽しかったですよ」
珈音は恐怖よりも悲しげに、男の腕の中でがっくり脱力する。
「《楔》の皆様はエルゼ様のお帰りを望んでいます」
エルゼは丸腰で男に近づいてゆき、
「街に捕まってしまいましたが、幻滅されていませんか? 序列の降格もあるのではと覚悟していますが」
「いえ、無事でいてくれたらそれで構わない、とレイ様は案じておりました。他の皆様も同じです」
「それは安心しました」
男に並び、エルゼは。
その貧相な顔面に左の拳を振り抜いた。
「ガッ!!」
腰を捻ったフルスイング。衝撃は顎に伝わり、拙いタップダンスのようによろける男。その隙にエルゼは珈音を右腕で救い、
「下がっていてください、すぐに片づけます! 《治安維持対策本部》に通報願います!」
「うん!」
鼻血を乱暴に袖で拭った男は信じがたいものを見る目で、
「エルゼ様! なぜ!」
「私はもう《楔》のエルゼ・フォーゲルではありません。《治安維持対策本部》の神代エルゼです」
「チクショウ、寝返ったのか!?」
「まさか私のコードネームを知らないなんてことはありえませんよね? ――――《反旗》のエルゼです」
かつてとある組織に潜入し、完璧な演技と長けたコミュニケーションで工作を図り、敵対組織に刃向かうため《楔》に寝返らせた実績を元にフォーゲル氏直々に付けられたコードネーム。
今はもう、スパイではない。
本人ですら実感のないような秘めた正義を胸に、エルゼは男に指を差し向け、
「あなたを逮捕します」
「だったら手荒になっても仕方ないよなァ!」
男は懐に手を入れると、取り出したのはキラリと刃が輝くナイフ。右手で握り、大きく一歩を踏み出してエルゼに刃先を光らせた。
「接近戦で勝負を挑むなんて、クスリで頭がやられましたか?」
エルゼは動じず、左足を後方に引いて男のナイフを容易く避ける。銀の残像が空を切った。
今度はエルゼの番だ。
彼女はポケットから取り出した小型のスタンガンを利き手の左手で持ち、男の首に当てる。
「――ッ!!」
成人男性でも気絶する威力と公安の職員に聞いていたが、
「まだ……くたばらねぇなぁ!」
それでも男に意識があった。
だが、
「一瞬でも隙ができれば、勝ちです」
「ぐぁッ!」
男の背中を足蹴りしてうつ伏せに倒れさせ、手錠を男の右手に、左手にかける。
「逃げ出しても無駄ですよ。大通りにはロボットが徘徊しています。両手が塞がれてしまえば何もできません。それに間もなく……っと、来ましたね」
「くっ……」
甲高いサイレンの音を聞いて男が項垂れた。
「エルゼ!」
駆け寄ってきた珈音がエルゼに抱きつく。
「怖かったですか? もう大丈夫です。よしよし」
自分よりも小柄の女の子を抱き寄せ、優しく灰色の髪を撫でた。
不思議な気分だった。
(かつて彼らの立場にいたはずなのに)
ふと頭によぎるのは、珈音とパンケーキを食べたり、一緒にショッピングしたりしたシーン。
(なぜでしょうか、異常だったあの日々を日常だと錯覚していたのは。ずいぶんと罪を重ねていたのですね)
珈音の頭をさすった手のひらを見て、遠くを見るように目を細めるエルゼ。
(守れた、血にまみれていたこの手で)
そしたらカツン、と足音が近づいて、
「さっそくの仕事だったようだな。見事な活躍だ」
《治安維持対策本部》の局長である神代総司だ。局長という役職者がわざわざ現場に赴くのは普通ないだろうが、娘の安否確認に加え、エルゼの初仕事をねぎらいに来たのだろう。他の隊員たちが男の身柄を拘束する。
「どういたしまして。珈音、どこか痛いところや怪我はありませんか?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
「それはなによりです」
エルゼは柔和にほほ笑むと、そうして改まって総司を見て、
「局長、決心できました」
「ん?」
「《楔》の残り六名を捕らえて、――どんな形でも私は罪を償います」
「どんな形でも、か。嘘じゃないだろうな」
総司の顔にはほころびのようなものが見えた。
「もちろんです、嘘じゃありませんよ。この街での悪事だけではなくて、スパイの活動すべての罪をです」
「そうか、約束だ。君の活躍、期待しているよ」
◇
珈音は総司とパトロールカーで帰ることになり、エルゼだけが帰宅した。
「おい」
総司は命令した。――逮捕した男に。
「レイ・フォーゲルに電話を繋げろ」




