終幕 ユリア・ジークリンデ ⑭
月日は流れ──翌年の春。
ローヴァイン家の屋敷の玄関扉が開く。
陽の光がまぶしい。空は快晴。春らしい心地のいい風が吹いている。
玄関先の庭には、鎧とマントを着用したテオドルス──彼の鎧とマントは、ユリアのものと色味が対となるよう意匠がされている。鎧の型は、ユリアを映えさせるために、彼女のものと比べると質素なものだ──と、極秘部隊特務チームの仲間たちが待っていた。
多忙だったため、今まで滅多に顔を合わせられなかったダグラスもいる。そして、ルキウスは極秘部隊の制服を着ていた。彼は、今回が極秘部隊となって初めての仕事だ。
今日は、ヒルデブラント王国の古典祭。
ユリアが、『ユリア・ヴァルブルク』となる日がはじまる。
「おまたせ」
ユリアは、戴冠式に用意された鎧と衣服、そしてマントを羽織った姿で玄関から現れた。腰には両親の形見である長剣を帯びている。
深みのある重厚な濃紺色のマントの縁には、金糸と真紅の糸で装飾的な刺繍が施されている。その裏地は深紅色で、そこにも金糸と濃紺の糸が差し色としてささやかに縁取りされている。マントを羽織ると、首元に濃い金色の飾り紐が彩りを与える。
銀白色の鎧とは、肩当て、胸当て、腰当て、膝あて、脛当て、鉄靴、肘の近くまでを覆う五本の指が動かしやすい籠手だ。
それらには、どれも華やかな文様があり、厳つさのなかに美しい雰囲気をまとっている。まるで芸術品のような見た目だが、使用されている素材は軽くて頑丈で、動きやすいよう工夫もされている。なので、実際に着用して戦うことも可能だ。
その鎧の下には、ドレスのようなシルエットをした純白の薄手の外套を着ている。
外套下部の前面は、歩きやすいように開いているが、背面部はドレスのように裾が広がっている。その縁や布端には、マントに施された刺繍と同じく金糸で縫われた優雅な植物文様。その優雅さを邪魔しないように、かつ動きやすくするために、下半身は同色のズボンなのだろう。
インナーは、首元までを覆うハイネック型の黒い服だ。インナーの首元にも、金糸の刺繍がささやかに縫われている。
「この髪型──どうかしら? 変ではない?」
今の彼女の髪型は、髪全体をゆるい巻き毛にしている。左右の横の髪を少しだけ垂らしつつ、頭部の両側面から髪を編み込み、後ろの髪もふんわりと編み込んでひとつ括りをしている。巻き毛と編み込みをしていることから、後ろから見ても華やかだ。それでも、ひとつに括っていることから、軽い印象は少し抑えられている。
これらの準備は、ミルドレッド、クラウディア、ディアナの現役主婦である三人が手伝ってくれた。まるで子の晴れ着を着せるかのように、三人の母親たちは手伝ってくれた。
「うん! バッチリ! 鎧姿も似合ってるよ!」
「雰囲気、一気に変わったなぁ。いつもそんくらいオシャレすればエエのに」
イヴェットとアシュリーからは好評だ。
「おう。いい感じじゃねえか、姫さん」
ダグラスも褒めてくれた。しかし、セウェルスは不安げな顔を見せている。
「……似合っているせいで、変な男に絡まれたりしないか……?」
「心配しすぎだよ、兄さん……。そうならないように、おれたちも警備するんでしょ?」
妙なところで心配症な兄に、ルキウスは呆れる。
「私も一緒にいるのだから大丈夫さ」
と、テオドルス。
「つーか、そもそも絡もうと思うヤツなんざいるか……? この大イベントは昔からあるけどよ、そんな事件は今まで聞いたことないな。なにせ、オレらがいなくても、警察官や騎士がそこらじゅうにいて目を光らせてるしよ。他方勤務の人も駆り出されてるって話だぜ」
クレイグは、可能性そのものを疑問視した。
すると、ラウレンティウスは何かに気付いた。
「──いや、違う。俺達の存在意義は、そこじゃない……。問題を起こす奴がいれば、そいつのことは警察官や騎士に任せればいい。だが、仮にそんな奴がいれば、ユリアは即座に容赦なく制裁を下してしまって、ある意味惨事になるだろう……。俺達が心配すべきなのは、問題が起こった時のユリアの行動だ」
その瞬間、誰もがハッとする。
「……それもそうだったね。今日は、ドレスでもないし」
「ああ。一理あるな」
「ちょっと盲点やったわ」
「オレら、感覚鈍りはじめてんなぁ……。ちょっと意識して、気ぃ引き締めとこうぜ」
「ここで気づけてよかったぁ……」
「──ちょっと待ちなさい」
テオドルス、セウェルス、アシュリー、クレイグ、イヴェットが順に納得すると、ユリアは凄みのある雰囲気でつっこんだ。
ルキウスは何も言わなかったが、若干の納得とユリアへの罪悪感が入り乱れた顔をしながら目線をそらしている。
「あ~……だから伯母さんは、俺ら特務チームも警備にあたってくれって言ったのかね。その可能性を見越して。まあ……無きにしも非ずだよな……」
「総長!?」
「それでも、これは大きな行事だ。いろいろな可能性を踏まえておくにこしたことはないよ」
「何のフォローにもなっていないわよ……」
仲間全員から『やらかす確率が高い』認定を受けた。ユリアは怒るに怒れなくなり、どんどん萎れていく。これから晴れ舞台に挑むというのに、なんてことだ。
「まあまあ。──とりあえず、まず初めに私たちがすべきことは、馬に乗ってイベント会場となっている旧市街を回ることだったね?」
「ああ。ルートは、その各地点にいる誘導役の警察官が指示をしてくれるから、迷うことはない。そして、その途中にある地点で、ユリアが弓術を披露する場が設けられている。技を披露した後、円形闘技場の遺跡まで行って、そこでユリアとテオドルスが模擬戦をする。最後は旧市街にある一番大きな神殿へ行って、ユリアのスピーチだな」
テオドルスとラウレンティウスは今後の予定を確認し合う。
なんだろう──最近、仲間たちが私に対して容赦がなくなってきたような気がする。昔のほうがもう少し優しかったような気がする。
すると、ダグラスは腕時計を見て、「うぉっ」と焦った声を出した。
「そろそろ準備に移らんと時間がマズいな……。というわけで、警備するやつは各自の持ち場に向かってくれ。姫さんとテオドルスは、屋敷の門の前に。もうじき、そこに馬が来るから、それに乗って旧市街に向かってくれ」
ダグラスが号令を出すと、警備を担当する仲間たちは頷き、地を蹴り上げて、即座にその場から姿を消した。
今回のイベントでは、騎士団に戻っていたダグラスが警備の配置を考えてくれたという。ラウレンティウスたちが、それぞれ顔見知りの人たちと出会わないようにだ。彼らが極秘部隊となったことは、その家族と王家以外知らない。地味ながらいろいろと面倒な仕事だったとダグラスはボヤいていた。
「ユリア。念のために言っておくけれど、お腹が減ったとしても、スピーチの時に腹の虫を鳴したら駄目だよ? 会場全体に響いてしまうからね」
「誰が鳴らすものですか、もう……。子ども扱いしないでちょうだい」
「ごめんごめん」
そんな会話をしながら、ユリア、テオドルス、ダグラスの三人は屋敷の門前に向かった。門から屋敷の敷地を出ると、道の向こう側からゆっくりとした速度で、一台の車と御者が乗った馬が二頭やってきた。車は、車体が長いタイプのもの。馬は、白馬と黒馬だ。
門前に到着すると、ダグラスは馬を操っていた御者たちや車の運転手と会話をし、ユリアには白い馬へ、テオドルスには黒い馬へ乗るよう促す。
「ふたりとも緊張──なんか、してなさそうだな」
「これでも意外と平気ですよ」
「ええ。問題ありません」
端的に言えば慣れているからだが、ユリアたちの事情を知らない人たちがいるため、ここでは大っぴらには言えない。
「そんじゃ、行ってこい。気を付けてな」
ユリアとテオドルスは手綱を操り、馬を歩かせた。これから十分ほど馬を歩かせると、イベント会場となっている旧市街に入り、人が多くなっていく。
しばらく進んだところで、ユリアは空を見上げる。
──父上と母上も、見ていてくださっているかしら。
ちょうど一年前の自分は、過去のトラウマに囚われていた。それどころか、『大切なことを見失っている』ことすら気づけていなかった。
だが、今は違う。闇を乗り越え、自分を取り戻すことができた。
「……ここから、『再スタート』ね」
ユリアは呟く。
それを聞いていたテオドルスは頷いた。
「ああ。私も『再スタート』できる。夢も叶ったし、力が湧いてくるよ」
「夢?」
「君の『戴冠式』を見届けることだよ」
「戴冠式って、王位継承を宣明するための儀式でしょう?」
「この式典に、王位継承がないだけの差だよ。君はヴァルブルクの戦士として、そして王族として、これからも誰かのために戦うのだろう? その部分は、ヴァルブルク王国での戴冠式であっても変わらない。だから王位がないだけで、ほとんど似たような意味合いの式典さ」
戴冠式でなくとも、この式典は、彼にとって大切だと思うところは存在しているもの。だから、本来の戴冠式と相当することだと感じているようだ。だから、彼の夢は叶ったと感じている。
テオドルスは、ユリアよりも少し早く馬を走らせて、彼女の前方に移動した。
「──だからこそ、貴女様の式典には、この私がいないと気が済まないのですよ。ユリア・ジークリンデ様の側近は、後にも先にもこのテオドルス・マクシミリアン・フォン・ラインフェルデンだけですからね」
「……それもそうだな。私の側近の役目を完璧に果たせるのは、テオドルス・マクシミリアンだけだ」
「ええ。もちろんですとも」
テオドルスは、誇らしく言葉を口にした。
この時代で、こうしたやり取りができる機会は、もうほとんどないだろう。それを感じているからか、ユリアとテオドルスは旧市街に入るまで『主従』の会話を続けた。
一時、側近が副王となって、立場が主君よりも上になっていた期間があった。
それでも従者は、自ら仕える主君を『妹』として、『半身』として、今も変わらず想い続けている。




