終幕 ユリア・ジークリンデ ⑤
昼食の後、ユリアは王宮に向かった。
裏門へと回ると、カサンドラの側近でありダグラスの養父でもあるエドガーが待ってくれていた。その周囲には、王宮内の雑務をこなす職員や衛兵たちがいない。ユリアは秘匿された人間であるため、人払いされているようだ。
豪奢で長い廊下をしばらく歩くと、とある部屋の扉の前でエドガーは立ち止まった。
「──陛下。いらっしゃいました」
扉をノックしてからエドガーがそう言うと、部屋の中から「入りなさい」とカサンドラの声が聞こえた。扉を開けると、彼はユリアに部屋へ入るようにと目配せする。
「失礼します。カサンドラ様」
「よく来てくださいました。さあ、こちらへ」
こぢんまりとした簡素な──王宮にあるほかの部屋と比べれば──部屋だ。机には、すでに来客用の茶が淹れられている。
世間から秘匿されているユリアは、本格的な来客室では迎えられない。そもそも王宮の中で働く職員のほとんどがユリアの存在を知らない。なので、彼女が王宮を訪ねてきた場合は、人の出入りが限られる裏門から入り、このような部屋で対面する。
「さっそく、あなたがヴァルブルクの名を名乗ることについてですが──その前に、ひとつ聞かせてください。あなたは、どうしてヴァルブルクを名乗りたいと思ったのですか?」
「両親とテオを殺さなければならなくなった『あの日』……私は、民を守るために自害を選んだ後、己の弱さゆえに抱いていた誇りを見失ってしまいました……。けれど、今は──もう一度、誇りを抱いて生きていきたいと思っています。両親と同じ、ヴァルブルクの姓を持ちながら……」
それから深く息をつき、続きの言葉を紡いだ。
「私は、今もヴァルブルクの戦士です。そして、この身に流れるもう半分の血──ヒルデブラント王家の者として、この国を守りたいと思っております」
そして、最後に、「ヴァルブルクの姓を堂々と名乗りたいという願いは、ただの私の我儘にすぎませんが……」と呟いた。
名字がなくとも、今のまま極秘部隊に属していれば国を守ることができる。だが、できることなら叶えたかった。
すると、ユリアの言葉を聞いたカサンドラは、彼女の言葉を予測していたかのように微笑んだ。
「やはり、そうでしたか──。その前提で、昨日に家族や親族を交えた話し合いをしました。その結果、貴女にはふたつの条件を出させていただくことになったのです」
「……決まるのが、想像以上に早いような気がするのですが……」
「なんとなく、貴女からこういった話が出てきそうだと思っていましたからね。かなり前から、こうなった時はどうしようかという話し合いはしていたのですよ」
「用意周到……というより、私の行動が読まれていたとは……。──条件とは、どのようなものですか?」
「ひとつめは、ヒルデブラント王族の養女となること──私たち王室の養子ではなく、私の従弟の養子としてです」
「ヒルデブラント王族の、養子に……?」
予想外の条件にユリアは目を見張る。
カサンドラの従弟にあたる人に、ユリアは会ったことがある。とても明るくて話好きであり、元気と行動力と度胸がある中年の紳士だった。過去にカサンドラは、体を張った天然ボケとドジなところが玉に瑕であり愛嬌と言っていた。
「貴女が王族の養女となった理由を、世間には、魔術師としての希少な能力を持つ者を保護するためと公表する予定です。従弟は、〈持たざる者〉の保護やその者たちへの教育指導、魔術師の人材育成などをしている組織を運営しております。その活動の中で、ヒルデブラント王族が総力をあげて保護しなければならない人間を見つけた。念のため、貴女の出自は『王家の遠縁』としておくつもりです。──そういうことにしておけば、養子となったことに怪しむ者は少ないでしょうから」
カサンドラは続ける。
「公表する『貴女の経歴』と『ヴァルブルクの名を持つようになった筋書き』は、次の通りです──貴女は王家の遠縁にあたり、養子となった後に極秘部隊の一員となり、数多くの功績を残した。その功績の証と敬意を示すため、王家は特例としてヴァルブルクの名を与えることにした。まるで、歴史に残されている『英雄ユリア・ジークリンデ』が、この世に再誕したかのような女性だったから──」
このことは頭に入れておかないといけない。それが世間に伝えられる自分の経歴なのだから。
しかし、間接的とはいえ、まさか王家の者として迎えられることになろうとは。それも、かなり例外的で仰々しさを感じる理由だ。
「あの……ヴァルブルクの名を与えた理由が、わりと大層なもののように聞こえますが──」
「そう? 公の場で見せる貴女の言動を見たら、意外と納得してくれると思いますよ?」
「……それでも、怪しまれた場合は、どうするおつもりですか……?」
最悪の場合、王家は国民や他国からの信頼を落としかねないことに繋がってしまう。
だが、カサンドラは少しも不安がる様子はなく「大丈夫ですよ」と紡ぐ。
「そこで役に立つのが、現在、貴女が所属している『極秘部隊』という立場です。ここに籍を置いているだけでも立派なことであり、例外的なことですよ。極秘部隊は、個人情報が完全に秘匿されたヒルデブラント王家の管轄である特殊な軍隊ですからね」
この極秘部隊に入れる人間は、魔術師の血が濃い上流階級の者以上の存在──つまり、魔力生成力や他の能力が先祖返りした者。あるいは、常人離れした能力を持って生まれた特別な人間などだ。
魔力を噴き出す〈母はなる息吹〉を有する国であれば、こういった組織は必ず存在している。なので、その条件はヒルデブラント国民だけでなく、他国の民衆も認知している。
「もちろん、そうであっても世間から怪しまれぬよう物事を進めなければならないのは確かです。ですが、極秘部隊の者達の個人情報を探ることは、法律で禁じられております。あなたが極秘部隊に籍を置き続けるかぎり大きな問題は起きないでしょう」
その言葉のあと、カサンドラは机に置かれていたティーカップを持ち、紅茶に口をつけた。
「さて……それらのことは、一旦置いておき──。傍系の養子といえども、貴女もヒルデブラント王族の名を持つ者ということになります。なので、相応の作法や教養を身に着けていただくことになりますが……よろしいですね?」
「はい。ヒルデブラント王家の名を背負うのなら、身に付けていて当然のことです」
作法や教養に関しては、少し掻い摘んだ程度だが、過去に現代の作法を学んだ経験がある。最近まで縁のない知識だったが、会得することはそこまで苦労しないかもしれない。
「──ちなみに、なんとなく貴女が苦手意識を持っていそうなダンスも、しっかりと学んでもらいますよ。踊る機会はほとんどないとは思いますが、念のためにもね」
その瞬間、ユリアは「うっ」と喉を唸らせた。
ダンスは、昔の時代から上流階級の社会では必須技能だ。そこまで堅苦しくなく、明るくて軽やかなダンスならまだできるかもしれない。
だが、優雅でゆっくりなダンスは落ち着かず、むずむずとしてしまう。そんな動きをする機会がほとんどなかったからだ。習うダンスはそんな感じのものが多いだろう。
ユリアは、どちらかといえば華やかなことが苦手だ。
しかし、嫌いではない。おしゃれな人はかっこいいと思うし、自分を表現できる人は羨ましいと思う。
ただ、そういうもののセンスがないと自覚しているため苦手なのだ。
現代に来てからそれなりに経つが、雑誌に載っているコーディネートや、展示されているマネキンといった見本がなければ服は買えない──その苦手意識をうまく克服できずにいた。
「……はい。もちろん」
あからさまに気落ちしたユリアの表情と声色に、カサンドラは小さく笑う。
「やっぱり苦手なのね。ですが、あなたにはセウェルスがいますから、練習に困ることはないでしょう。まずは、踊ることに慣れなさい。恥ずかしがって壁の花になることや、失敗を恐れて動けなくなるのが一番いけませんからね」
「……待ってください。なぜ、セウェルスが舞踏の練習相手に……?」
「あら。まだ何も聞いていないの?」
「? はい、何も……」
ユリアが不思議そうに言葉を零すと、カサンドラは満面の笑みを浮かべた。
何か、面白がっている? まさか、何かがあった──? ユリアの顔が、少しずつ訝しむ。
「セウェルスとルキウスも、貴女と同じく私の従弟の養子となることが決まっているのです。だから安心なさい」
刹那、ユリアは驚き方を忘れてしまったのか、口を半開きにしたまま動かなくなった。
「あの子たちも、貴女と同じ家の養子となるの──だから、義理のきょうだいね。ルキウスは、ダンスを学ばせることよりも、まずは現代のことをしっかりと知り、慣れることを先にしたほうがいいでしょう。現代についての知識をある程度持っているとはいっても、現代で暮らしはじめてからまだ半年ほどしか経っていませんからね。なので、貴女のダンスの練習相手はセウェルスとなります」
ユリアには、カサンドラが何を言っているのかわからなかった。なので、もう一度聞こえた言葉を思い返す。
セウェルスとルキウスも、王族の養子になる。
しかも、ふたりが養子となる家は自分と同じだから、ふたりは自分の義理のきょうだいになる。
──はい!?
「う、うううそぉッ……!? な、何が、どうなって!? そんなことになったのですかッ!?」
「昨日の夜に、セウェルスからメールが届いたのです。ユリアの両親から娘を支えてやってほしいと頼まれたこと。そして、個人的にもユリアを守りたいということ……。だから、ヴァルブルクの名を継ぐユリアの隣に堂々と立てる立場が欲しいということが書かれておりました」
メール。
そういえば、酔ったテオドルスに絡まれているときに、彼は携帯端末を操作していた。その時に打ったのだろうか。
「──そして、今日の朝、電話でこの条件をセウェルスに伝えると、『傭兵あがりの身ではあるが、ヒルデブラント王族に属する者として相応しい人間になることを誓う』と言ってくださいました」




