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終幕 ユリア・ジークリンデ ④

 ミルドレッドまでも会話に入ってきた。

 現役主婦から『ママ』やら『お母さん』と呼ばれても、きっと彼は喜んでいないし誇ってもいない。それでも、条件反射のように世話を焼いてしまうのだろう。

 彼がこのような性格なのは、おそらく弟であるルキウスの存在が大きい。

 ルキウスは、〈名もなき神〉が最後に作った命だ。〈名もなき神〉の死期が近かったせいで、僅かな力でなんとか生まれてきた命だった。そのため、誕生したばかりのルキウスは力も弱く、意志薄弱──ほかの〈きょうだい〉たちと比べると、とても未熟な命だったという。

 そんな弟を、セウェルスは誕生する前から見守り、それからも守って育ててきたからか、彼はルキウスには甘くて過保護である。


「……ともかく、俺に構わず、早く歯を磨いて朝食をとってくれ。──なんだ、エゼルベルト。呆然として……何に対してそこまでショックを受けているんだ」


「無性別と男って全然違うものだよ、ママ……。あと、身長が高くなったことだけじゃなくて、髪のくせ毛もなくなってストレートキューティクルになったことや、目の色も紅色から透明感のある青緑色になったことにも驚いてるからね……」


「そうか」


 ママやら何やらいろいろと言われたが、セウェルスは面倒くさそうに聞き流した。

 すると、エゼルベルトが何かに気付く。

 セウェルスの腕と扉のわずかな隙間から見える、寝台らしきところに置かれた女物のような色味の服──。セウェルスが、何かを見られたくないかのような言動を続けていること──。

 エゼルベルトの脳裏に、余計な直感が走る。


「……ねえ。もしかして、今さ──アイオーンの頃に使っていた女物の服を捨てようとしてたりするのかい……?」


「えっ──!?」


 「うそでしょう」と次に言い出しそうなユリアの声が思わず漏れてしまう。この声で、部屋の奥にユリアがいることと、女物の服を捨てようとしていたことがバレてしまった。セウェルスは、悔しそうに顔を歪ませ、喉に何かを詰まらせたような音を出している。


「……当然だろう。女装は二度としない。ノリでもしない。すべて捨てる」


「へっ!? ほんとに!?」


「あたしの心の栄養素は!?」


「な、なんだって……? 心の……? ──いや。何を言われようがもうしないし、買わないからな」


 ミルドレッドの言葉に一瞬の戸惑いを見せたセウェルスだったが、断固として拒否した。しかし、ミルドレッドも負けじと訴え続ける姿勢をやめない。


「もう女の身体に変身できないから!? アイオーン以上にデカくてゴツくなっちゃったから!? でも、せっかくのイケメン美女顔を活用しないのはもったいないと思うのよ、あたしは!」


「何に活用するんだ……。アイオーンだった頃の感性と、今の俺の感性は違う──女装など、性別が無かったからこそノリでやれていたことだ。だから、頼まれても女装はしない。もう期待はするな」


「待ちなさい待ちなさい。少し落ち着こうじゃないか、アイオーン──あ。違う、アイオーンだ。……ん? アイオーンじゃないな、ルキウスか」


「エゼルベルトが落ち着け。俺はセウェルスだ」


 この時、ユリアは思う。

 顔は見えないけれど、きっと今のセウェルスは、とてつもなくツッコミに疲れた顔をしている──。

 彼が帰ってきてから、まだ半日と少しくらいしか経っていない。それなのに、その期間でどれだけのツッコミを入れただろう。アイオーンだった頃よりも、ツッコミをする機会が爆発的に増えている。アイオーンだった頃にはスルーできていたことが、記憶が戻ってからできていない。真面目で律儀な性格に戻ったせいだ。


「あー。そうだ、寝ぼけてた。ごめんよ。──ともかくさ、セウェルス。ほら、なんというか……せっかく持ってた属性をあえて減らすなんて、ちょっともったいなくないかい?」


(テオも同じこと言いそうだわ……)


 ユリアは密かに半笑いした。

 さすがは変人が生まれてくる確率が高いと言われていたラインフェルデン家の血を継ぐ一族だ。当時から変わり者が多く、そんな悪口があった。しかし、ラインフェルデン家はそんなことを気にすることはなかった。


「まあ……本当にもうやりたくないんだったらそれでもいいわよ……。でもね、覚えておいて──。世の中にはイケメン美男の女装だからこそ感じるトキメキが世の中にはあるのよ」


「どれだけ望まれようとも、俺は二度としないぞ」


「ケチー!」


 この一連のやり取りを見ていたユリアは、ミルドレッドがエゼルベルトと意気投合して結婚した理由がなんとなく判った気がした。

 それから、さらに数分ほどのやり取りやツッコミがあった。

 彼が解放されたのは、その後だ。


「──はぁ……。やっと作業に戻れる……」


「お疲れ様……。やっぱり、セウェルスにとって『アイオーンの頃にしていた女装の記憶』というのは──」


「黒歴史以外の何物でもない」


「でしょうね……」


 出逢ったばかりの頃のセウェルスも、レティエムからの女装要求もきっぱりと跳ね除けていた。なので、ユリアは彼の心情が自然と読み取れる。


「改めて思い返すと……なかなかに感覚が違うものだな。だからこそ、黒歴史だと感じてしまう──あれも、これも、それも……今の俺であればしないというのに……」


 そう呟くと、セウェルスはバツが悪い顔をしてユリアを見る。


「……『アイオーン』だった頃の俺は、長い孤独を経験していたため愛に飢えていた。だからこそ、友愛を示してくれたお前から置いていかれそうだと感じると、不安や嫉妬にかられて、子どものような言動をしたこともあった──。だから、お前にはいろいろと迷惑をかけてしまったな……すまなかった。もう、そういったことはしない」


「気にしないで。不安や嫉妬にかられて、子どものような行動をとってしまうことは……私にも良く解るわ」


 ラウレンティウスの縁談を知った時に、ユリアの心には不安や嫉妬があった。友として身内として愛している人が、まったく知らない人と一緒になるということに複雑な感情を持っていた。

 このような子どもじみた独占欲は、どうにかしなければならない。


「アイオーンと、今の俺──。その違いに、形容しがたい複雑な気持ちを抱くことなど……記憶を失う前から判ってはいたんだ……。だが、それを受け止める覚悟が足りなかったみたいだな──」


「……『セウェルス』と『アイオーン』では、生まれながらに持っていた記憶や立場だけではなく、生きていた期間や過ごしていた環境も違いすぎるわ……。たとえ同一人物であっても、ここまで前提やその後の生活環境に違いがあると、異なる感性を持つようになってしまうのも無理はないと思う……」


 あまりにも特殊な人生を歩んだ彼の苦悩は、そういった経験がないユリアには寄り添えないかもしれない。それでも、その苦悩を和らげることはできるはずだ。


「セウェルス。私は、傭兵だった頃のあなたも、アイオーンだった頃のあなたも、今のあなたも──すべて好きよ」


「……俺も、民や兵の『光』となった英雄であるお前も、普通の人間であるがゆえに苦悩していたお前も、どこか幼さが見え隠れする今のお前も──すべて好きだ」


 これは、異性としての愛の告白ではない。

 それぞれが辿ってきた人生の場面には、常にお互いがいた。そんな相方への労いと敬意の言葉だ。

 ユリアからの言葉に、セウェルスも同じように返すと、彼は苦しみを少し受け止められたのか、静かに目を伏せた。

 それから、ふたりは中断した服の整理を再開した。

 クローゼットに新しい衣類を入れるためのスペースを確保し、捨てるものもすべて袋に詰め終える。


「──ひとまず、捨てる服はこれくらいか」


「そうね。……衣類の収集日は、いつだったかしら?」


「明日だ。朝食を作っていた時に、冷蔵庫に貼ってあったゴミの収集日カレンダーを見て気が付いたから、服を整理をしようと思い立ったんだ。良いタイミングだった」


 彼の言葉を聞いたユリアの頭に、「行動と発言が、主婦のそれなのよ」という感想が浮かぶ。


 その数時間後、ユリアの携帯端末にカサンドラから電話が入った。

 今から王宮に来られないかということだった。

 その理由は、ヴァルブルクの名字を名乗ることについての話し合い──ユリアは、すぐさまカサンドラのもとへと向かった。

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