終幕 ユリア・ジークリンデ ③
「おはよう、ふたりとも〜……」
やってきたのはユリアだった。
彼女がここに来るということは、洗面所で支度を整えているはずだが、髪のてっぺんからは寝癖らしき毛が一房だけはね上がっている。
「あ〜、花の香りの紅茶……良い香り──と、サンドイッチ、ソーセージ、サラダ、スクランブルエッグ……」
まだ眠気に負けているようで声の張りはないが、サンドイッチなどの食事にはしっかりと気が付いた。
彼女はセウェルスとアシュリーの横を通り過ぎ、サンドイッチが乗せられた皿を手に取ると、食事室に持っていかないどころか椅子にも座らずに、流し台の前に立ってモグモグと頬張りはじめた。
「……一番落差あんの、ユリアやな」
「……そうだな」
アシュリーとセウェルスがぼそっと語りかけると、ユリアは寝ぼけた顔をゆっくりとふたりに向ける。
「……何か言った?」
「誰も取らないから、せめてこの椅子に座って食べろという話だ」
セウェルスは呆れた声色で言うと、調理時に使っていた昇降式のカウンターチェアをユリアに譲る。ユリアは小さな子どものように「うん」と頷くと、サンドイッチを咀嚼しながら椅子に座った。
「兄ちゃんやなぁ」
と、アシュリーが呟くと、渡された朝食を持って厨房室を去ろうと歩き始めた。
「なんだ。ここで食べないのか?」
「実家から持ってきた研究がエエとこやから、観察しながら食べるわ」
「だったら、食器洗いは自分でするんだぞ。俺は、ほかにすることがあるからな」
「はいよー。兄ちゃん」
そして、アシュリーは去っていく。
彼女が食事室から出ていくと、セウェルスは息をついた。
「──ユリア・ジークリンデ。このあと、少し手伝ってほしいことがある」
「? 何をするの?」
そう問われると、セウェルスは真剣な眼差しをユリアに向ける。
「俺の部屋にある、アレを捨てる」
◆◆◆
セウェルスの部屋にある捨てる物。
それは、アイオーンだった頃に着ていた女物の服だった。
「──今日は、ルキウスと共に服を買いに行く予定なんだ。ラウレンティウスに車を出してもらってな」
「あら、そうだったの。だから、クローゼットの中を整理したいのね」
「ああ。……それに、今の俺は、あの頃とは違って女装などしないからな。そもそも、男物の服だろうが、もとの身長に戻ってしまったから着られないものばかりだ。置いていても仕方がない」
アイオーンの頃に女装をしていたのは、アシュリーとイヴェットが女物の服でも違和感がないのではないかと好奇心でアイオーンに着させたことから始まった。そして、想像通りに似合っていたことから、彼女たちがこれからも着るよう勧めたのだ。くわえて、アイオーンだった頃の彼は、性別がある人間たちを羨ましく感じる気持ちがあったという。
アイオーンは、人間とまったく同じ見た目ではあったが、星霊であったため性別は無かった。しかし、肉体を変化させることはできたため、そのときの気分で男性か女性かに変化させていた。
現在は、ただの人間の男の身体に戻っているため、アイオーンだった頃のように女性の身体になることはできない。
「──あ、この七分のスカートなら、私でも穿けるかもしれないわ。シンプルなデザインだから、使いやすいかもしれない」
「だったら貰ってくれ。すべて捨てるのは、さすがにもったいないと思っていたからな。……他にも、ユリア・ジークリンデが普段着として使えそうなものはあるか、探しながら捨てていくか──」
「……ねえ。話は変わるけれど──外では、私のことは『ユリア・ジークリンデ』と言わないわよね……? 変な目で見られてしまうわ」
本名とはいえ、現代では名前をふたつ持てるのは王室の人間のみということが法律にある。
それに、その女性名は、約千年前に生きていた有名な英雄のもの。そう呼んでいることを他人に聞かれたら、大胆なあだ名だとおかしく思われるに違いない。
「もちろん、そのつもりだ。──ふたりきりの時にしか言わない」
「ふたりきりの時、だけ……?」
「ああ。ふたりきりの時だけ、な」
優しく微笑むと、彼はクローゼットの整理作業に戻った。
家族の前でも、言ってもいいはずなのに──。
彼の言葉は、ユリアにはどことなく意味深なものに聞こえた。だが、彼はそれ以上何も言わなかった。
ただの気のせいか。しかし、どういう気持ちでその言葉を受け取ればいいのか──。それが解らなかったユリアは、ほんのりと悔しさと恥ずかしさを混じらせた困り顔で、アイオーンが着ていた服をゴミ袋の中に詰め込んでいく。
その時、部屋の外からラウレンティウスの両親であるエゼルベルトとミルドレッドの声が聞こえてきた。喋りながら廊下を歩いている──と、その時、セウェルスの部屋の扉がノックされた。
「……俺が出る」
ため息混じりにユリアに言うと、彼は部屋の中を見られないようにするためか、小さく扉を開けた。
「──何か用か?」
「あっ……いやぁ……。昨日は酔いつぶれてしまってごめんね……。運んでくれたのはセウェルスだって母さんから聞いてね。だから、お詫びとお礼を言いに来たんだけど──朝から何かやってるのかい? いつも通り台所にいるかなっと思ってたけど……一応ノックしたら、まさか本当に部屋にいるとは思わなかったからさ」
「服を買いに行く前に、クローゼットの中を整理しておこうと思ってな」
「あ、そういや、今日は服買いに行くんだったっけ? 息子と一緒に。アイオーンだった頃とは、身長が違いすぎるもんなぁ……。着回しできる服は、やっぱり早めにほしいよね」
「ああ」
「それじゃ、昨日のお詫びのとして、その整理を手伝おうか?」
「いや、いい。気にするな。ふたりは朝食を食べてくれ。冷蔵庫にあったものを使っただけだが、朝食を作ってある」
「それは有り難い──。にしても、君の身長って、ホントにラウレンティウス以上にあるんだなぁ……」
「……まあな」
エゼルベルトが話を終わらせてくれない。『アイオーン』だったセウェルスが、この屋敷に帰ってきてくれたことが嬉しいのだろう。
それに対してセウェルスは、自分の大きな身体で部屋の中を隠そうとしているのか、未だに自室の扉を小さく開けたままにしている。おそらく、女物の服をすべて捨てようとしていることを知られたくないのだろう。
(律儀に聞くことなく、それとなく話を切り上げてもいいと思うけれど……それだと逆に怪しまれるかしらね……)
女物の服を捨てようとしていることが露見すれば、きっとこの夫婦は止めてくるだろう。そういう夫婦なのだ。ユリアも知っている。
そして、今の背丈に合う女物の服をまた買えばいいと説得される。お金は自分たちが出すからとも言いそうだ──そういう夫婦なのだ。だから、ユリアは静かに気配を隠している。
「──なんだかさ……元々は、アイオーンが男だったって事実がさ……今更ながらじわじわと心に効いてきたな……。『器』が完成して、君がふたたび姿を得られた時から、声は完全に男のそれだったし、基本的には男らしい身体つきしてたけどさ……女の人の身体にもなれる身体だったし……。どっちでもなれるのが、君だったし──」
「記憶喪失だったとはいえ、雰囲気もなかなか変わったわよねぇ……。アイオーンだった頃は、ちょっと幼さがある物静かなミステリアス系美青年だと思ってたけど……今は、すごくしっかりしたお兄ちゃんというか、主婦度がめちゃくちゃ増したというか──どちらかといえばママだわ。昨日も完全に言動がお母さんだったもん。特にルキウスくんに対する言動が」
「誰がママだ。俺はルキウスの兄だぞ」




