この質問、何の意味があったんだ
「――誰だ、てめぇ」
書斎のような一室に、静かな声が落ちる。
本から引き上げられた青年の視線が俺を捉え、開口一番でこれだ。
思ったんだが、このゲームのNPCって失礼な輩ばかりじゃないか?
どこぞのナビゲーター嬢に始まり、人を引きずる指揮官に、理由もなくこちらを毛嫌いして殺そうとしてくる銃乱射女ときた。
今までは、女ばかり。NPCの女が失礼なだけかもしれないという仮説もあったが、これで男女平等だと証明された。
まぁ、この際それはどうでもいい。
目的の相手を、こうして見つけられた結果が全てだ。
黒い銃身と黒い瞳。こちらを見つめるそれらを見返しつつ、俺は名乗った。
「傭兵だ。機人の傭兵、リミット。あんたは、占術師だな?」
名乗りつつ、同時に確信を以て尋ねた。恰好からして、実にらしいからな。
まさか、いきなり拳銃を突き付けられるのは予想外だったが。あの従者にして、この主人ありと言ったところか。
「……ファトだ。お察しの通り、占術師をやってる。にしても、傭兵、か……道理で行儀の悪い客だ。玄関から入ることすらできねえみたいだな」
あたりだ。だが今の返答、微妙にNPCの仕様から外れていなかったか?
名乗りは返ってきたが、種族を口にしなかった。それとも、口にするまでもない事柄なのか。
黒い髪に黒い瞳。ローブをまとった細身の体。
ファンタジーを謳う世界において、あまりに特徴がない人の姿。
十二の人間種に数えられながら、現状NPC以外には確認されていない、例外的な種族――純人。
本当にNPCなのか、なんて気にするのは今更だ。仮にこの青年が、NPCだろうが忠実な模倣遊戯者だろうが、その点は気にするようなことではなくなっている。
俺はそう割り切った心持ちで、拳銃を構えたままの青年に返答する。
「お宅の玄関には恐ろしい番犬がいるだろ。そこで門前払いに加えて穴だらけにされそうになってな。命からがら、何とかここまで辿り着いたんだ」
「ちっ……そうは見えねえな」
おや?
青年は舌打ちしながらも、あっさりと拳銃をローブの中に収めた。
意外にも、話が通じる手合いだったらしい。
正直拍子抜けだ。銃を突き付けられた時点で、こっちとしてはまた撃たれることも視野に入れていたんだが。
――……いや、やっぱり撃たれることにはなりそうだ。
部屋の外。聞こえてくる。これは、階段を駆け上がる音か。
建物に響くほどの足音は、あっという間に近づき――
次の瞬間には、部屋の扉が吹っ飛ばされそうな勢いで開いた。
「ファト様ッ!!」
銀髪をなびかせて、長いスカートを翻し、侵入してくる女。
「おのれっ!!」
「…………」
機械音を携えて、構えられた銃口が、俺を捉える。
散弾銃か。屋内での取り回しを考えた選択だな。この女、本気だ。
しかし、それ以上に俺の目を奪ったのは、別の物。
メイドだ。黒を基調とした長いスカートに、白いチュニック、エプロンにカチューシャまで。
どう見てもメイド服だ。
服飾に明るいわけではないので、もしかしたら違うのかもしれないが、俺が知る限りでは、こんな服装の呼び名をそれ以外に知らない。
だが……馬鹿みたいな恰好は間違いなく、この場所におけるこの女の本気なんだろう。
奉仕の妖精。言いえて妙だ。
気配と力量。外で相対した時と、感じる威圧感がまるで違う。
今この時この場所において、この女にまったく勝てる気がしない。
素直に両手を上げると、目を細めて俺を睨んだメイド女が、散弾銃の引き金に指をかける。
濃紫色のローブが、視界を横切る。銃口を遮るように、青年占術師が佇んでいた。
「やめろ、アイス。こいつはオレを訪ねてきた、新兵だ」
「ですが、ファト様。この男は危険です。……恥を忍んでも申し上げます。敷地外のことですが、手玉にとられ、手傷を負わされました」
「ほぅ」
青年占術師――ファトの黒い瞳が、初めて興味を抱いたように俺を見た。
俺は特に答えずに、肩を竦める。
あえて言うまでもないことだが、あれはアイスがこっちを舐めてかかっていたからこそ成立した不意打ち戦術だ。
二度目は絶対に通じないだろう。メイド姿のこいつを見た限りでは、敷地内においては、最初から通用しなかったとも思わせる。
やはり運が良かった。
「新兵でそれだけやれるか。協会の連中が喜びそうなこった。もう一つ使えるようになれば、更に仕上がるだろう」
「ファ、ファト様……!」
「ガタガタ言うな、アイス。オレもそれなりに見てきた。異界の傭兵ってのは、たまにイカれた怪物がいるもんだ。それこそ、精霊に愛されたような、狂った奴だ。てめぇもその口か?」
ファトが問いかけてくる。
精霊、ね。仮にそれが管理AIと同一存在なのだとしたら、答えは決まってる。
「愛されてるどころか、むしろ嫌われてるな」
入場して早々、モンスターの餌にされかかるという計画殺人行為をうけたばかりだ。
精霊とやらが本当に管理AIなら、俺は間違いなく愛されるどころか憎まれているだろう。
俺の答えを受けて、占術師が鼻で笑う。
「はっ。意識されてるだけで上等だ。ましてや精霊から嫌われるなんざ、愛されるより難しい」
どうにも皮肉な物言いだ。もしかして、精霊のことが嫌いなんだろうか。
そう考えると、この毒舌占術師と、気が合うかもしれないとさえ思えてくる。
そんな彼は、未だこちらを睨んでいるメイド女の脇を通り過ぎて、部屋の出入り口へと歩いていく。
「仕事してやる。部屋は一階だ。来い」
一度だけ振り返り、言うだけ言うと、ローブを着た背中は開け放たれたままの出入り口から出て行った。
丁寧に案内をしてくれる気はないらしい。後を追うしかない。
と、歩みだそうとしたところで、機械音。
……護衛のアイスが、散弾銃を俺に突きつけていた。
氷のような瞳の温度は、初めて顔を合わせてから今に至るまでで最低温を記録している。
こちらを凍死させんとばかりの瞳で射抜きながら、アイスが口を開いた。
「この屋敷で妙な真似は許しません。私には、あなたをいつでも挽肉にする用意があることをお忘れなく。この屋敷内で外のようにいくとは思わないことです」
物騒なお言葉を頂戴したわけだが、今すぐ突きつけられている銃の引き金が引かれないことは安心できる。
それに、屋敷内でこの女に勝てないことも、十分肌で感じて理解している。
もっとも、妙な真似をする気なんて最初から無い。
頷くと、目線と銃口で部屋を出るようように促される。
素直に部屋を出る俺の後ろから、こちらの背中に銃口を向けたままののアイスが着いてくる。気分は人質か何かだ。
屋敷の廊下は、外観から比べると、狭い造りに思えた。
扉は多く、やたらと部屋数が多いように見える。それが面積を圧迫しているのかもしれない。
先に部屋を出たファトの姿は、当然のようにない。
一階と言っていたので、途中の部屋に立ち寄ることなく、階段を目指した。
まっすぐ廊下を進んだ突き当り。大きく弧を描いている奇妙な階段を下る。
造りだけでなく、配色も随分と独特だ。
「外観もそうだが、おかしな趣味の屋敷だな」
しまった。思わず、口をついて出た。
間違いなく、背後から弾丸を撃ち込まれる案件だ。
しかし、確信したそんな未来は訪れず、代わりに静かな声が飛んできた。
「屋敷の奇妙な造りは、全て南瓜の妖精の仕業です。あの子たちは、自分たちの住みやすいように、勝手に空間を作り変えてしまうのです」
ろくでもない妖精もいたものだな。
苦労しているのか、言葉にはため息が混じっていた。
屋敷の主人や使用人の性格からして、そんな手合いはすぐにでも蜂の巣かミンチにでもしそうなものだが、できない理由があるんだろうか。
考えつつ、階段を下った先は、広々としたエントランスホール。
二階によく見られた奇妙さはなく、飾り気もまた無い。
天井から大きな証明が一つ下がっているのみの、静かな空間。
外に繋がっているだろう両開きの玄関扉が見える。
ようやく銃を下ろし、俺の横に並んだアイスが、その扉を手で示して言う。
「お帰りはあちらです」
「そうか」
俺はその真逆、ホールの奥へと歩いていく。背後から舌打ちが聞こえるが、無視だ。
ちょうど玄関の扉とは対極に位置する場所に、よく似た両開きの扉がある。
一階は二つの扉以外に、どこかに繋がるようなものは見たらない。
躊躇なく、その扉を開いた。
扉の先は、エントランスとは打って変わって狭い部屋だった。
照明が複数吊るされているが、明かりが弱く、薄暗い。
このゲームの証明は、中に不可思議な石が入っていて、それが光を放つという造りになっている。
原始的すぎて、むしろ面白いとさえ感じる。
部屋の壁や床には、黒墨で描いたような紋様が目立つ。
そして中央には、薄布がかけられた机が一つ。
その向こうに、占術師の青年は座っていた。
……本を読んでいる。
背後で扉が閉まる音に振り返ると、部屋の隅にメイド女が音も立てずに立っていた。
それが合図であるかのように、本から一寸たりとも目を逸らさずに、ファトが口を開く。
「よく来たな。座れよ」
「……ああ」
掛けられた言葉に従って、空いていた向かいの椅子に座った。
机一つを挟んだ席に俺が座ると、ファトは読んでいた本を閉じ、ローブの内へとしまう。
「さて、リミット、だったな。さっそくてめぇの得意属性を占ってやる……と言いたいところだが、その前に少し聞かせろ」
「なんだ?」
「こんな仕事だ。新兵なんて腐るほど見てきた。そんな中でたまに、気持ち悪いくらいに、この世界のことを知ってる奴がいやがる」
それは、きっとこのゲームを始める前に情報収集を行ったプレイヤーのことだろう。
話からして、そんなものをわざわざNPCに披露しているプレイヤーがいるらしいな。
「異界の理なんてものに興味はねえ。異界の傭兵どもがどこから来て、どこに行くのかもどうでもいい。ただ、こうしてこの場所にやって来たてめぇがどれだけ知っているのか、それを聞かせろ」
どれだけ、と言われても。何を話したらいいものか。
というより、この質問にはどんな意図があるんだろうか。
人間味溢れるNPCの――感情のようなものによるものか。
それとも、ゲームのシステム的に意味があることなのか。
ファトの黒い瞳。そこに浮かんでいるのは……ただの好奇心のようなものに見える。
まぁ、その辺りを探ったところで、仕方がないか。
それはきっと、俺の仕事じゃない。
「知っているかと言われれば、そうだな……この世界にやってきた俺たちは、十二種類の人間の姿になって過ごす、とかな」
「……誰でも知ってる話だな」
ファトが眉根を寄せている。他には無いのか、と。訴えるような視線を受けて、再度口を開く。
「精霊が司る九つの属性があって、俺たちは種族ごとにその一つを扱える。更にもう一つ、別の属性を扱えるようになる。それを教えてくれるのが、占術師だってな」
「……どこまでいっても基本的な知識、か。大したことは知らねえみたいだな」
ファトが小ばかにしたように鼻で笑う。
一体どんな答えを求められていたのかまったくわからないが、あまりお気に召さなかったらしい。
いっそ聞いてみるか。
「この質問、何の意味があったんだ?」
「ただの興味本位だ。言っただろ、新兵を腐るほど見てきたって。だが、てめぇの話で確信できたのは、妙な知識があったところで、必ずしも傭兵として大成するわけじゃねえってことだ」
いまいち話が呑み込めないが。ようするに、事前に情報収集をしたところで、必ずしもこのゲーム内ではトッププレイヤーになれるわけではない、みたいなニュアンスだろうか。
確かに、言いたいことは分かるな。事前の情報収集の重要さや、知識そのものが大事であることはもちろん否定しない。
だが、実際にゲームの世界に触れて感じた所感で言えば、このゲームを進めようするならば、腕が物を言う造りになっている。
勉強会の折に、フォースもそう言っていた。
その辺り、ゲームをまったく知らない俺が、ゲームのサーバーなんてものに派遣される要因になった一つであるとも思っている。
「知識は並み居る新兵と比して特質さゼロ。だってのに、アイスを退けるほどの腕前だ。アイス」
ファトは何が楽しいのか、仄かに笑っている。どうやら褒められているらしいが。
そして、一言も発さず、部屋の隅に佇んでいたメイド女に水を向けた。
「ええ、新兵にしてあそこまで種族固有能力を使いこなして戦う傭兵を、少なくとも私は初めて目にしました」
水を向けられたアイスが、静かな声で言葉を放つ。
種族の能力の件は、フォースにも言われたな。
あれを覚えたのは、ちょうど勉強会で種族について覚えた時だ。
聞いたところによれば、種族固有の能力は、最初からプレイヤーが使える能力にしては、上手く扱うのが難しいものらしい。
そのあたり種族によって差もあるが、機人のそれは、難易度が高い部類に入るそうだ。
――俺からすれば、戦争で有用なネットワーク技能の習得に比べれば、楽だった。それだけだ。
「加えて、これまで目にしてきたどんな傭兵でも及ばない――こんなにも、魂の底まで悪寒を感じさせる存在は初めてです」
「よかったな、褒められてるぞ」
続くアイスの言葉に、ファトが口元を歪めて言う。
褒められてるか? とてもそうは思えない。果てしなく嫌われている。
「オレの興味本位の話は、これで終わりだ。とっとと属性を占ってやる」
言いながら、ファトが机にかけられていた布を、引きずり下ろすように剥ぎ取った。
露になった机、その一面全てを使って、何かが描かれている。
絵、じゃないな。模様だ。
それもよく見たら、塗料などで描かれているのではなく、木製の机の表面に対し、直に彫り込まれて形を成している。
一目に、大きな円。
その縁に、等間隔を置いて、九つの模様が連なっている。
火が燃え盛る様子を具現化したように見える模様。
葉から根が生えた様を描いたような模様。
泡が弾ける瞬間を写し取ったような模様。
小さな円が押し固められように集まった模様
手の平に泥を塗って紙に押し付けた跡のような模様
不格好な多角形に棒が一本突き刺さったような模様。
円の中に歯車に似た何かが描かれた模様。
鎖のように細やかな線が輪状に描かれた模様。
そして、子供が落書きした雲のような模様。
それは俺の右手の平にもある、闇属性を示す模様だ。
すなわち。
「これは、各属性を表しているのか」
「そうだ。こいつが、お前の持つ属性を見定めてくれる」
言いながらファトが取り出したのは……ガラス玉?
そういえば、占うと言いつつ、ここにはそれらしい道具が無かった。
安直なイメージだが、水晶玉もカードもない。
どうやら、この机の模様とファトが掲げるガラス玉がキーアイテムらしい。
そのガラス玉が、机上に彫り込まれた円の上に置かれる。
すると、溝を滑るように、ガラス玉が円に沿って転がっていく。
……おい、まさかルーレットだとでも言うんじゃないだろうな。
いや、どう見てもルーレットだ、これ。まさかこんな方法で、自分の属性が決められるのか。
げんなりする俺を他所に、ファトは満足げに頷いている。
「これでいい。あとは、中心に手を置いてエーテルを流し込め」
エーテル。精霊の力、だったか。ゲーム上において、キャラクターの能力を使用するのに消費される謎エネルギーだ。
もちろん、そんなエネルギーを自由に扱う知識や術なんて会得していないので、流し込め、とか気軽に言われても困る。
能力を使う時のような感覚でいいんだろうか。
が、言われた通りに、円の中心に手を置いたところ。
能力を使用した時のように、自身の中で蠢くエネルギーの流れを感じ取った。
こちらは何もしていない。この辺りはゲームらしく自動で処理してくれるらしい。
俺から吸い取ったエネルギーによって、机に彫られた大円、そして各属性の模様が光を放つ。
同時に、模様の上を滑っていたガラス玉が、一人でに円を滑り、各模様を細やかになぞっていく。
目立った変化は、まず闇属性の模様から光が消えたこと。
説明されなくても分かる。種族として扱える属性は選ばれないというシステムだ。
残り、八つ。
「――九つに分かたれし、精霊の祖よ」
ガラス玉が光るルーレットを滑る様を眺めていると、唐突に、ファトが呪文のような言葉を口にし始めた。
見ているだけかと思いきや、占術師という限り、ここで手出し口出しをするという役割はあるようだ。
でなければ、このルーレットを店先にでも設置して、自動販売にしてもいいはずだからな。
光を放つ模様に手をかざし、瞑目したファトが言葉を紡ぐ。
「彼の者は、魔に挑む者。九層の空、三界を見渡す眼で以て、見定めよ」
言葉が紡がれる度に、光に変化が訪れる――光が強まる模様と、弱まる模様とに分かれてきている。
「刃を捧げ、応えを求む。言葉を捧げ、答えを求む」
すでに明らかな差異として映る、模様を彩る光の強弱。
俺の前に残る、三つの属性の可能性。
「彼の者が真に兵たりうるならば、その力の名を、ここに書き記せ――」
それが、締めの言葉だったのだろう。
ファトの台詞と共に、残された三つの属性の模様が、一際強く輝く。
緑の光。青の光。銀の光。
その中で、一つだけが残された。
ファトが、片目を開いて、俺を見る。
その目から、銀色の光を零しながら。
「見えたぞ。傭兵リミット、お前に許された属性は――」
俺に与えられた属性は――
「――っ」
その瞬間、誰かが息を呑んだ。
対面に座るファトだったかもしれない。
自分だったかもしれない。
部屋の隅に控えるアイスだったかもしれない。
三人同時だったかもしれない。
同時に、三人とも気づいた。
肌が、泡立つ感覚。背筋に汗が伝う。これは。
「ファト様――!!」
真っ先に動いたのは、アイス。
飛びつくように、メイドが占術師を攫って、狭い部屋の床を転がる。
未だ光を宿す机が倒れ、俺は咄嗟にそれを盾にするようにしがみつく。
直後。建物の倒壊音。地震災害に巻き込まれたように揺れる屋敷。
比喩表現ではなく、目の前に、天井が全て落ちてきた。