ハロー・ワールド
「ネットワーク技能の持ち込みには利用できませんが、それ以外の部分でご満足いただけるよう、様々な商品をご用意してますっ。課金サービスの詳しい内容について、お聞きになりますか?」
「いや、必要ないな」
「そ、そうですか……」
ばっさりと斬り捨てると、ミニュイは蒼い瞳を伏せて、残念そうにしょぼくれる。
営業トークを両断しただけなので、良心に訴えるものは特にない。
「で、ではっ、これにてリミットさんのキャラクターメイキングは完了です!このままテルオンの世界へ没入されるのであれば、右の扉へ。玄関口へ戻るのであれば、左の扉へどうぞっ」
メイキングとは名ばかりの説明会も、これで終わりのようだ。
背後を指し示す案内に従って振り返ると、雑貨店の出入り口が二つに別れていた。
俺としては左の扉を選んで、気晴らしにでも行きたいところだが、そうもいかない。
仕事の始まりだ。
「それじゃ、世話になった」
ミニュイに一声かけて、右の扉に向かって歩みを進める。
二つ並んだそっくりな造りの扉は、木目の濃い薄い程度しか違いがない。
左の扉に強く惹かれる心を抑えつつ、右の扉に手をかけて、押し開いた。
「リミットさんっ」
扉が開かれる音と重なって、背後から、サポートを担当してくれたナビゲーター嬢の声がする。
「キャラクターメイキング、お疲れ様でした! どうぞ、テルオンの世界を目一杯お愉しみくださいっ。さぁ、新人様一名ご案内! 担当は幻想型AIキャラクター、ミニュイでした!」
…………今、なんて言った?
「ッ」
弾かれたように、振り返る。
ファンタジーな物語の中に登場しそうな店内。
振り返った先のカウンターに立つ、エプロンドレスの少女。
青い髪に、青い瞳のアバター。
笑顔を浮かべ、こちらを見送るその表情。
【認証完了。キャラクター名:リミット。ワールドに没入を開始します】
業務AIの声。
振り返った視界に映っていた全てが消え失せる。
あっという間に、俺の体は通信領域に送られていた。
データ構築先の座標指定等による通信待ち時間は、大抵こういった領域に放り出される。
領域の景観はサービスにより様々だが、このゲームは宇宙空間をモチーフにしている。
無数の星々。そこに秒間一つ二つ程度の頻度で流れる星を遠目にしながら、つい先ほどの衝撃を思い返す。
「あれが、人工知能……?」
幻想型AIキャラクター。あのナビゲーター嬢は、自らのことをそう称した。
学習能力の高い――いわゆる頭の良い人工知能は珍しくない。
だが、あんなAIは、見たことも聞いたこともない。
あれじゃ……生きている人間と変わらない。
事実、俺はあの決定的な台詞を聞くまで、ミニュイのことを生の人間だと思っていた。
今でも半分疑っている。
「……エーテル・テイル・オンライン、か」
現在最も勢いのあるオンラインゲームの名を欲しいままにしている、人気ゲーム。
思えば、疑うことばかりだな。
ゲーム内における、プレイヤーの死亡。人間としか思えない、感情豊かなAI。
予感が過る。俺は今、何かとんでもなく得体の知れないモノに、足を踏み入れようとしているのではないか、と。
「はぁ……」
馬鹿々々しい。所詮はゲームだ。ろくでもない戦場に放り込まれるのは慣れている。
それが今回は、ちょっとおかしなろくでもないゲームだってだけの話だろう。
ため息を吐く回数は、減らそう……減らせるように努力するよう善処しよう。
少なくとも、この仕事が終わるまでは。
あとこの仕事が終わったら、仕事を持ち込んできたマシーン野郎に、お前より感情豊かなAIがいたぞ、と煽ることは確定だ。
真偽はどちらでもいい。
【座標指定完了。ワールドへの没入処理を完了します。ようこそ、エーテル・テイル・オンラインへ】
ミニュイとは比較にならない無機質な業務用AIの音声が響く。
それを皮切りに、星々に埋め尽くされていた空間が、がらっと切り替わる。
最初に味わったのは、足が確かな大地を踏みしめる感覚。
少し擦ると、靴の裏に小石のようなものを踏む感触。
見上げると、青い空。天気は良いようで実に結構。
次は、己の体を確認する。
スニーカーにジャケットといった格好からうってかわり、上下ともにみすぼらしい布製の服へ。
地味さ加減は変わっていないが。
服の上には、矢の一本すら防げなさそうな皮鎧。
アバターは無事にゲームのキャラクターに変換されたらしい。
さて、俺にとってはこれが初めてのゲームなわけだが、そんなことに心が躍るわけもなく……?
「なんだ?」
ゲーム開始早々、何かが俺の間隣りにいた。
でかい。常人の一回りほどの高さ。横幅も結構なもの。
巨大な動物が寝そべっているかのようだが、こんな動物が存在した覚えはない。
新手のウイルスかとも思ったが、ウイルスが平然と存在しているゲームなんてあるはずがない。
だから、何か、とした言いようがない。そして、黒かった。黒以外の何色でもない。
微かに身じろぎしている様子さえなければ、生き物ではなく、黒い小山だと思っただろう。
「――――」
俺の膝丈よりも下。色も黒く、ただ窪んだだけのように見えるそれが、目だと分かった。
目が、合う。
その瞬間、途方もない不快感に襲われる。
……なんだ? 理由も分からないのに、近年稀な、尋常じゃない不快感が拭えない。
だからだろうか、反応が遅れた。
空気を裂く音。その様子は、握り拳を一気に開いたかのようだった。
黒い小山は一瞬で、その高さを二倍近く広げていた。
口を開いている。気づくのが、遅すぎた。開かれた口の中も、真っ黒だ。
これは、不味い。
ネットワーク技能――使えない。
そうだった。ここは、ゲームの世界<サーバー>だ。
「伏せろッ!」
どこからか、悲鳴のような叫びが耳朶を叩く。
視界の端に、緑の光が迸ったように見えた。
疑問やその他諸々の感情より早く、体が動く。
自ら体勢を崩し、地面に向かって飛び込む。
「――っ」
倒れ込んだ瞬間、轟音が周囲の音の全てを奪っていく。
間近で爆音。結構な規模だ。衝撃で、俺の体も吹き飛ばされた。
矢、あるいは銃弾か? とにかく何かが飛来して、俺の前にいた黒い奴に炸裂したようだ。
大量の土煙が立ち込め、視界は最悪。だが、もうあの黒いのが近くにいないことは分かった。
あの不快感が消えてるからな。あれはちょっと尋常じゃなかった。
頭からかぶった土埃を払っていると、人の足音を捉えた。
近づいてくる。おそらく、一人。
すぐに土煙を割って、その正体が現れる。
「貴様、なぜ防衛線の外に出た!」
登場して早々に怒鳴り声ときたものだ。姿を現したのは、若い女。
声に覚えがある。爆発の前に聞こえた声と同じものだ。
深緑の長髪を後ろでくくり、明らかに俺が着けているものよりも上等な鎧を身にまとっている。
鎧の下に着ている白い服からして、俺の着ている服の布地とは質が違うことが明らかだ。
片手に握る抜き身の剣も、良さそうな物に見える。
何より特徴的なのは、きつそうだが美人な顔つきと、細長く尖った耳だ。
人間とは明らかに異なる特徴。ネット上のアバターは原則、人間的な特徴から乖離しない。
アバターの著しい改造は、ゲームサーバーにおけるキャラクターアバターならではの文化といえる。
改めて、自分がゲームに接続しているということを実感する。
「その出で立ち……まさか、貴様は新兵なのか?」
新兵? 新規参入のプレイヤーのことを、ここではそう呼ぶのだろうか。
むしろこっちが聞きたいくらいだ。あの黒い奴とか、そもそもここはどこだ、とか。
しかし尋ねるより早く、眉を逆立てたまま駆け寄ってきた女が、こちらの襟首を掴んで引きずり上げた。
無理やり立ち上がらされた次は、腕を掴まれる。
女はそのまま勢いよく駆け出したため、俺は引きずられるようにして、強制的に走らされる羽目になる。
「先ほどの攻勢で、奴らは一度退いた! 今のうちに戻るぞ!」
ヤツラ? 事情はよく分からないが、この女とヤツラ……おそらくあの黒い奴と戦っているということは飲み込めた。
どうやら、俺が顕現したのは、戦場のど真ん中だったみたいだな。
……最近のゲームは、こういうものなのか?
初心者がいきなり訳の分からない戦場に放り出されて、無事に済むものなのだろうか。
素朴な疑問に苛まれているうちに、立ち込める土煙の中を抜け、ようやく視界がまともに確保できるようになる。
目に映る光景は、予想していたものとは少し違っていた。
「街か」
駆け抜ける足元は、むき出しの地面から、石畳で舗装された路に変わっていた。
見渡す左右には、白や乳白色、茶色を基調とした建物が連なっている。
近代的なものとは根本から様式が異なるそれらは、ファンタジーとレトロを足して、アンティークをかけたようなもの。
戦場と呼ぶには、いささか小綺麗な景観だ。
「貴様、新兵だな! そうだろう!」
未だこちらの手を引く……いや、もはや引きずってひた走る女から、声が飛んでくる。
新兵かと問われれば、その通りだ。
あの黒い奴を前にした時。爆発に反応した時。起き上がる時。
今も、前を走る緑髪のポニーテールに、引きずられるままだ。
この女は結構速いが、それでも本気で走れば追い抜くことだってできるだろう。
なのに、自らの力で走ろうにも、足がもつれる。息が切れる。
体が、思う通りに動かない。ネットワーク技能のこともそうだ。
忘れるなんてありえないのに、今まで、どうやって技能を扱っていたのか、まるで分からなくなっている。
これが、ゲームにログオンするということか。
すなわち、遊戯専用の体になるということ。
電脳活動体で培われた能力は、軒並み初期化されたような有様なんだろう。
だから、少し懐かしい。ずっと昔、初めて仮想空間に、アバターで降り立った時を思い出す。
今の俺はまさに、新兵だ。
「おい! 聞いているのか!」
「――ハロー・ワールド」
「くそっ、これだから新兵は……恐怖でいかれたかっ……!」
失礼な。誰も狂っていないし、壊れてもいない。
アバターの稼働能力は地に落ちたに等しいが、精神的な面については変わっていないからな。
この程度の戦場で、狂えるはずがない。
それにしてもこのゲーム、何かと失礼な手合いが多いな。
どこぞのナビゲーター嬢といい、目の前を走る女といい。
……まさか、この女もAIだなんて言いださないよな。さすがにプレイヤーだろう。
眼前で揺れる緑の髪を眺めながら思う。
人工知能は高度な物になるほど、稼働するのに多大な処理機構を必要とする。
理論上、作成自体は不可能ではないとされながら、あのミニュイのようなAIが稼働していないのは、ネットワーク上のリソース不足が最大の要因だ。この星のネットワーク容量は、既に限界を迎えている。どこにも、そんなリソースを生み出す余裕はない。
ミニュイについても、本当にAIであるのなら、電脳界の処刑人に報告すべき案件になるだろう。
連中が知らないとも思えないが。
ん、あれは。
引きずられながらそんなことを考えていたところ、石畳が続く街路の先に、人の姿を捉えた。
一人二人という数じゃない。目に入る限り、数十人は下らない数が集まっている。
同時に、無作為な集団でもない。その動きはどこかで見たような動きで、その目的が手に取るように分かる。
とはいえ、実際の戦場と比べると……いや、必要ないか。ゲームだしな。
「見えた。防衛線だっ」
安堵したような女プレイヤーの台詞。
そして、近づく光景が、俺の予想を正しいものとして証明する。
こちらに気づいた幾人かが手を振っている。
木の資材を組み合わせて作られた"バリケード"の一部が開かれ、俺たちはそこに転がり込んだ。
おっと。
すぐに女プレイヤーが急停止し、手を放された俺は地面に放り出される。
「シーヴちゃん、そいつか? ……確かに、マジで新兵っぽいな」
「新手のモンスターとかじゃねーよな。ほら、実体化の」
「でも、シーヴちゃんが新兵って言ったんでしょ。じゃー新兵で間違いないんじゃない?」
「始めてすぐに戦場のど真ん中とか、運の無い新兵だなぁ……」
体を起こすと、すっかり周りを囲まれていた。
武器や防具の見本市のように、統一性の無い兵装に身を包んだ集団。
それも、ゲームサーバーの外ではほぼ見ることのない、奇怪なアバターの奴ばかりだ。
獣同然の頭と手足を持つ奴。あるいは顔や手足は人の物だが、犬猫のような耳に尻尾を持つ奴。
常人の腰ほどしかないだろう背丈の奴。病的なほどに色白の奴。額に目立つ二本角が生えた奴。
会話を拾う限りでは、この集まっている連中も、プレイヤーで間違いなさそうだ。
ナビゲーター嬢が語っていた、この世界の設定を思い出す。
プレイヤーは、傭兵。それがこんな風に武装して集まっている。
もう疑いようもないくらい、ここは戦地だ。
あの黒いのの正体も、容易に察しがついた。
「モンスターと戦っているのか?」
立ち上がりながら周囲に問いかけると、周囲の連中が口々に、好き勝手に話し出す。
「おお、冷静! 期待の新人ってやつかー?」
「そだよー。今まさにモンスターとやり合ってる真っ最中だよ」
「というか、今回の相手、数も多いし強いよなぁ。この街も終わりじゃね?」
「おい、そこ! 諦めてんじゃねえよ!」
騒がしい連中の会話から情報を拾っていると、囲っている人垣の一角が割れた。
姿を見せたのは、緑の髪に耳の尖った女。俺をここまで引きずってきた女だ。周囲が呼ぶその名は、シーヴ。
進み出てくると、集まっている連中に向けて、よく通る声を響かせた。
「皆、新兵が現れたとて浮かれるな! 敵は一旦引いたが、またすぐにでも攻めてくるかもしれない。配置に戻れ!」
シーヴはこの場において、指揮官的な立場にあるらしい。
彼女の言葉に従い、周りを囲んでいたプレイヤーが方々に散っていく。
しかし、なんというか、妙な雰囲気だな。
プレイヤーの真剣み、とでも言えばいいのか。
気の抜けた声で応じる者もいれば、真摯な声を張り上げる者もいる。
解散して辺りへと散っていくプレイヤーは、それぞれ温度差があるように見えて……その実、誰も彼も、妙に気合いが入っている。
「――へぇ」
プレイヤーたちが、敵に備え、防衛線を築いていく様子が目に入る。
武具を携え、前に出る者。その後方で遠距離用の武器を準備し、援護の構えをとる者。
高台で辺りを警戒する者。隅の方で休む者。別の方では、食事の用意らしきを行っている者たちもいる。
実際の戦場と比べることにやはり意味はないだろうが、そういった雰囲気を作り出すゲームとして考えると、成功しているんじゃないだろうか。
と、一人感心してもいられない。
俺も自分の仕事をするべく歩き出す。
「おい、貴様、どこに行こうとしているっ!」
バリケードの展開されている側とは逆に向かって歩き出そうとした矢先、腕を掴まれていた。
向き直った先には、俺の腕を掴んでいるシーヴがいた。もう引きずられるのは勘弁してほしいんだが。
非難を込めた視線を向けるが、相手はお構いなしだ。眉を逆立てて、俺に詰め寄ってくる。
「答えろ。どこに行こうとしている、と聞いたのだ。今この時にも、敵が再侵攻してきてもおかしくないのだぞ」
特徴的な尖った耳が、感情を表現するように動いている。
俺を睨みあげるその目はどこまでも真剣だ。きっとこの場にいるプレイヤーの誰よりも。
真剣なのは結構だが、正直俺にとってはどうでもいい話だ。こちとらゲームで遊びに来た訳じゃない。
適当な言い訳を即座に思いつく。
「見ての通り、俺は新兵だからな。ここにいても役に立たないだろ」
「そんなことはわかっている」
わかってんのかよ……じゃあ離してくれよ。
俺のささやかな願いは叶わない。少し表情を緩めたシーヴが眉尻を下げた。
「しかしまさか、こんな時にあのような場所に新兵が現れるとは、予想外だった。あの時は怒鳴って悪かったな」
「ん、ああ、別に」
あの爆撃の直後のことだ。
おおかた命令違反で勝手に防衛線を超えた兵士だと思われていたのだろう。
これはゲームだ。戦場っぽいとはいえ、好きに遊ばせろと思う輩も当然いるのかもしれない。
実際の戦場を知る身としては、怒鳴られた程度で特に思うところもなかったが。
「こっちこそ、あの黒いのにやられるところだった。助かった」
油断していた。あれが、モンスター。いきなり戦闘どころか、殺されかけるとは。
いわゆる、初見殺しという奴なのだろう。
こんなゲームが絶大な人気を催す辺り、ゲーム業界の流行り廃りを、俺が理解できる日は来ないかもしれない。
どこぞのナビゲーター嬢の件もあって、どうにも振り回されている感が強いな。
俺が特に気にしていないことが伝わったのか、今度は逆に口元を釣り上げるシーヴ。
「お互い無事で何よりだ。そうだっ! 新兵ならば、今の状況が不明瞭だろう。この際だから、私が説明してやる。既に知っているだろうが、私はシーヴ。このファイラスの街で展開されている防衛線における、指揮官の一人だ」
「え、いや、別に――」
それはさすがに不要だ。こっちはさっさと仕事に入りたい。
……が、断る暇も与えられず、強い力で再び引きずられ、布幕で囲われた場所に連れてこられた。
中央に長机、椅子が複数。机の上に広げられているのは、地図か?
作戦司令部、といったところか。陣と呼ぶにはだいぶお粗末だが。
ここに来てようやく解放された腕をさすっていると、机に両手をついて、シーヴが言う。
「正直、今この街の状況は逼迫していてな。新兵一人の力とて、無視はできん。そういえば、お前の名は何と言う?」
何も知らない新兵に、現場指揮官自ら状況を教えてくれるらしい。
大きなおせわ……いや、親切に涙が出そうだ。
とはいえ脱走しようにも、今の俺ではこの女から逃げ切るのは難しい。
情報収集と割り切って、俺は素直に頷いた。
「リミットだ。よろしく頼む」
「よし、リミット。これを見ろ」
シーヴもまた頷いて、机の上に広げられた地図を示した。
「モンスターが突如姿を現したのは、二日前だ。すでに街の半分に侵攻を許してしまっている。各通りに防衛線を展開して防いでいるが……人員が足りない上に、犠牲者も出ている。どこかが破られるのは時間の問題だろう」
あんなのが街の半分を占拠してるのか。そりゃ大変だ。
シーヴが地図上に置かれた駒を動かしている。興味のないスポーツのニュースを見るような気分で、俺はそれを眺めた。
地図は、この街とごく周辺を書き記した物だったようだ。
楕円形に近い形の街。その半分、方角で言う東側を灰色の駒が埋め尽くしている。
もう半分には、白い駒と黒い駒が混在し、いくつかのグループを作って置かれている。
話から判ずるに、灰色の駒がモンスター、混在した駒がプレイヤー勢力を表したものだろう。
それにしても、なんでこんなに原始的なんだ……。
非常に見づらい地図を前にしてげんなりする俺を他所に、駒を動かし終えたシーヴが、腕を組んで俺を見た。
「借りれるものなら、猫の手ならぬ新兵の手も借りたいぐらいだな。とはいえ、新兵はまず占術師殿に会わなければ話にならない」
「占術師殿?」
知らない単語が登場した。オンラインゲームについて調査した時には、出てこなかった単語だ。
おそらくは、このテルオン固有の用語だろう。
「新兵として現れた者は、占術師に会い、己が属性を見極めなければならないのだ。種族として持つ属性ではない、己が真に得意とする属性を、占術師殿が教えてくださる」
キャラクターメイキング時に聞いた、二つ目の得意属性のことだな。
精霊が選ぶ云々という話だったが、それを知るところからして、なかなか手間がかかるらしい。
プレイヤーが新たな力を得るために、仕事をこなしたり、特定のNPCに会ったりといった段階を踏むシステム。
ロールプレイングゲームではよくあるシステムらしい。俗に、お使いだなんて揶揄されることもある。
この場合は、占術師というNPCに会う必要がある。実にゲーム的な面倒くさい段取りだ。
「占術師とやらに会わなきゃいけないのは分かった。で、その占術師はこの街にいるのか?」
「いらっしゃる。ここだ」
地図の一角に指が置かれた。
「…………?」
おかしいな。見間違いか?
シーヴの指は、街の中央から東側――灰色の駒の集まりの中に置かれている。
俺は灰色の塊はモンスターの勢力だと思ったが、実は自陣だったのだろうか。
「……ちなみに、俺たちの陣の場所はどこだ」
「地図の見方も分からないのか。ここだ」
シーヴが小ばかにしたように言いながら、置いていた指で地図をなぞる。
灰色の駒を少々蹴散らして、街中を移動した指は……街の西側、大通りの一つに陣取る白と黒の集団にたどり着いた。
予想通り、白黒が自陣で、灰色がモンスターで間違いなかったようだ。
だが、問題は解決していない。
「なんでその占術師は、敵陣のど真ん中にいるんだ……」
「奴らの侵攻によって、口惜しくも占術師殿が住まう区画が占拠されてしまったのだ……! 占術師殿が持つ力に惹かれて、モンスターも非常に多くが集まっている」
「つまり、もう生きていない可能性の方が高いか」
俺が言うと、シーヴが鋭い視線を向けてきた。
占術師というNPCが同じNPC、つまりモンスターに殺されるのかは知らないが、狙って集まっているという話なら、あり得る話だ。
「そんなことはないっ! 占術師殿には、強力な護衛が付いているのだぞ。身動きこそ取れないが、その無事は疑う余地はない。奴らの一部が退いている今が好機! こちらで部隊を編成して救い出すのだ!」
盛り上がっているシーヴが机に拳を振り下ろし、置かれていた駒が散らかった。
NPCを救うために、ここまで真剣になるプレイヤーがいるとは……ゲーム冥利に尽きるというものだろう。
サービス開始から然程経っていないが、既に熱狂的なファンを獲得しているゲームだとは聞いていた。
目の前にいるシーヴもそんな連中の一人に違いない。
しかし、他人事だと思って話を聞いていたが、俺にも無関係な話だとは言い切れない。
占術師に会わなければ、俺は自分の二つ目の得意属性を知ることが出来ない。新兵どころか、それ未満だ。
ゲームで遊ぶつもりは毛頭ないが、これからこのサーバーで動き回るのに、能力に制限があるのは好ましくない。
もしも占術師が無事だというのなら、一刻も早く会う必要があるだろう。
そのための提案を口にする。
「その救出部隊、俺も加えて貰えるか」
「なんだと。お前を……?」
ダメ元で申し出てみると、酷く胡乱な物を見るような視線が向けられる。
視線がすぐに伏せられ、やれやれとでも言いたげに首を振ったシーヴが溜息をつく。
「やる気があるのは結構なことだが、死に急ぐな新兵。こうして状況を説明してやったのは、何も死なせる為じゃない。お前も間近で見ただろう? モンスターは、強い」
強い、かどうかは正直分からなかったな。
気持ち悪い、そして不快な存在だったは間違いないが。
あの時はいきなりで面食らったが、あの不快感は、ゲーム的に調整されたものなんだろう。
モンスターは潜在的に人の不快感を煽るように調整されたNPCということだ。
でなければ、モンスターを倒して進めるはずのゲームが成立しない。
こういったゲーム内部でオブジェクトを調整するのは、大抵のゲームで行われている。
「せめて種族の固有能力を使いこなしているのなら話は別だが……そんなはずはないだろう?」
「出来ないな」
シーヴの問いに、素直に答える。
いきなり登場した専門用語だが、字面からして推測は出来る。
種族が持つ属性に則った固有能力。ミニュイの説明にもあった内容だ。
あの失礼なナビゲーター嬢の説明会も、無意味ではなかったな。
「案ずるな。そこまで期待するのは酷な話だ。見たところ、リミットの種族は機人か。あの種族固有能力はなかなか有用ではあるのだがな」
「――――なに」
シーヴの口から、聞き流せない言葉が放たれた。思わず声が漏れる。
「む、そう剣呑になるな。新兵にいきなり多くは望んでいないだけのことだ。
だから、我らが占術師殿をお救いするまでは、炊き出しの手伝いでも」
「違う、そうじゃない。俺の種族が、なんだって……?」
「……? 機人、だろう?」
「馬鹿な」
そんなはずはない。
俺は確かに、言ったはずだ。森人か、巨人がいい、と。
シーヴは、訳が分からないといった顔をしている。
「馬鹿なものか。首元のその紋様、機人の種族の証じゃないか」
「……」
言われるままに首に手をやると、肌の質感とは違う、ざらりとした感触が触れる。
鉄の幕が張られたような冷たさ。
シーヴが手元に出現させた手鏡を、俺が自身の首回りを見られるようにかざす。
そこには確かに、ブロック体を繋ぎ合わせたような模様が、首を一周するように這っていた。
「……違う。これはただの、そう、ファッションだ。俺の種族はたぶん、森人か巨人だ」
「そんなわけがあるかっ! 大体たぶんってなんだ。どうして自分の種族があやふやなんだ!」
知るか。そもそも、俺は種族とやらがそれぞれどんな特徴を持っているかなんて知らない。
いろいろと特徴的なプレイヤーが多かったから、それが種族的特徴なんだろうが。
知らないものは知らない。よって、俺がヒューマノイドとやらであるという証明にはならない……はずだ。
「森人は私のこの耳のように、尖った耳が特徴だ……お前はどうだ?」
シーヴが自分の尖った耳に触れながら、諭すように言ってくる。
俺は、自分の耳を触ってみた。普通の形をしていた。
「……巨人ならば、両手足に一目で分かる刺青が入っているぞ」
続いて、両手足を見てみる。刺青の影も形もなかった。
顔を上げると、呆れたような表情のシーヴがいる。
くそ、どうしてこうなった。
電脳界の処刑人は仕事をしなかったのか。山ほど文句を言いたいが、それをここで言っても仕方がない。
「おーっす。新人がいるのって、ここかー?」
そんな時、声がしたかと思えば。幕の入り口から誰かが司令部に入ってきた。