ゲームは専門外だぞ
「デスゲーム、ね」
その単語はこのご時世において、もはや死語だった。
「ああ」
だが、それを話題にした男は、真面目くさった表情を崩さない。
昼下がりの喫茶店。
向かいの席には、喪服か礼服か区別のつかないスーツを着込んだ男。
頭からつま先まで真っ黒だ。どうしようもなく、浮いている。
対して、こっちはジーンズにジャケット、スニーカー。
地味な配色のそれらは、街角の喫茶店においては保護色のように馴染んでいるはずだ。
対面する男のせいで、きっと台無しに違いないが。
そんな思いを秘めつつ、俺は聞き返す。
「比喩か何かか」
「違う。言葉通りだ」
一言に切り捨てられ、続く言葉を失った。
続きを話せ。目で促すと、奴は話し出す。
「エーテル・テイル・オンラインを知っているか」
聞いたことくらいはある。大規模オンラインゲームのタイトル名、だったか。
ゲームに一切興味のない俺が名前を知っているくらいに有名だ。
何かのニュースでその名を知った。確か、話題の新作がどうとかこうとか。
「知ってる。ゲームだろ。それがどうした」
「そのゲームで、死者が出た」
なるほど、だからデスゲームか。
思わず鼻で笑った。睨まれる。
仕切り直し。
少し温くなったコーヒーで唇を湿らす。
「ありえないだろ」
「既に発生した事象だ。そして、原因を調査、特定するのが、我らの仕事だ」
否定する俺に、返ってくる言葉は感情がない。
相変わらず、マシーンのような物言いをする男だ。
ただ、続けられた言葉は、マシーンらしくない物言いだった。
「手を貸して欲しい」
「ゲームは専門外だぞ」
「しかし、人が死んでいる。となれば、お前の仕事の管轄ではないのか」
……嫌な言い方をしやがる。やっぱりマシーンだ。
人の感情を理解したマシーンとは、こいつのような奴のことを言うに違いない。
苦くもないコーヒーを飲んで苦い顔をしているだろう俺に、奴は言葉を重ねてくる。
「ゲームと戦争の違いは何だと思う」
簡単な問いかけだった。答えは決まってる。
「人が死ぬか、死なないかだ」
言ってしまえば、その程度の違いしかない。
ゲームの大会が開催されているサーバー、その隣のサーバーで戦争が行われているなんて、今時珍しくも何ともない。
もっとも、そんな些細な差異が全てだと、俺は思うがね。
でなければ、傭兵なんてとっとと引退して、プロゲーマーにでも転職しているところだ。
あいにくゲームはやったことがないけどな。
「お前ならそう言うと思った。そして、エーテル・テイル・オンラインでは、既に人が死んでいる。つまりこのゲームは、戦争に片足を踏み入れている。そうは思わないか」
詭弁だ。珍しく長台詞を吐いたかと思えば、ろくなことを言わない。
そして、こういう時のこのマシーン野郎は、煙に巻くのも説き伏せるのも、ほぼ不可能であることはもう分かっている。
ただでさえ口が上手いわけでもない俺だ。
話がこれ以上面倒臭い方向へ進まないうちに、降伏の意志を示した。
「わかったよ、引き受けりゃいいんだろ。で、報酬は」
背もたれに体を預けて投げやりに言う。
黙ったまま、奴は黒いカードをテーブル上に滑らせて寄越してくる。
この手の仕事を引き受けるのは初めてじゃない。
前金をギフトカードで受け取るのも慣れたもの。
コーヒーカップを口元に運びつつ、逆の手でギフトカードを手に取る。
――金額を確認して、危うくカップを落としそうになった。
「っ」
「どうかしたか」
落としかけたカップを何とか無事にテーブルに戻し、カードの額面と、向かいに座る男の顔とを何度も確認する。
手を組んで座るマシーン野郎の口元には、微かな笑みが浮かんでいた。
してやったりといった表情だ。クールな相貌に浮かぶそれは、嫌らしさを助長する。
金額がバグ表記でないことをようやく納得して、俺は尋ねるべきことを口にした。
「……この仕事、どこからの依頼だ」
ギフトカードに記された金額は、仮に俺が一年間、毎日戦争に出たとしても、届かない金額だった。
俺の年収を軽々超えるその額を、前金で寄越してきた今回の相手。
間違いなく、このマシーン野郎の所属する組織じゃあるまい。
聞いておかないと、きっと後悔する。いや、もう遅いか。
すでに、今日この場でこの席に座ったことを、俺は後悔している。
「A・A。著名な企業だ。聞いたことくらいはあるだろう」
奴があっさりと口にしたのは、あいにくと知らない企業の名だった。
俺は、戦争屋だ。仕事柄、一部の企業とは縁があるし、業界に関わる企業の名前を見落とすほど落ちぶれてはいない。
となれば、A・Aとやらは、畑の違う企業ということになる。
「その様子だと知らないか。ここ数年で急成長を遂げ、業界でも注目を集めている。今回世に送り出した新作も評判は上々――かの企業はエーテル・テイル・オンラインを作り、運営を行っている企業だ」
聞かなきゃ良かったな。そう思ったが、遅い。
喫茶店の一角に、沈黙が落ちる。
俺たち二人が座る席だけ、お通夜会場のような雰囲気に包まれている――これから順当に、葬式にシフトするかもしれないな。
縁起でもないことを考えながら、俺は言葉を選びつつ口を開く。
「企業と電脳界の処刑人の癒着ってタレコミをメディアにしたら、幾らぐらい貰えるんだろうな」
「少なくとも、そのカードの金額に比べたら、雀の涙だろう。後日、メディアが報じるニュースは、とある傭兵の死亡記事だ」
俺の面白くもない冗談に、笑みの欠片も浮かべない表情と共に、もっとつまらない冗談が返される。
世知辛い世の中だ。現実逃避すら許してもらえない。
少なくとも、目の前のこいつは、俺が逃げることをもう許さないだろう。
諦めの境地に至りながら、俺は尋ねた。
「電脳界の処刑人から、仲介屋にでも転職したのか」
「ノーだ。これは正式に上層部も認めている我々の仕事であり、お前に依頼する案件でもある」
そういうことらしい。
毎度毎度、ろくでもない仕事しか持ってこない。
このマシーン野郎は間違いなく、俺のことが嫌いなんだろう。奇遇だな、俺も同じ気持ちだ。
電脳界の処刑人が特定の国家や、まして企業に肩入れすることはありえない。
下手な人工知能より機械的で公正明大。ネットワーク上のあらゆる不安要素を始末する、治安組織。
そんなヤツラが、特定の企業から依頼を請けて動き、かつその案件を俺のような木っ端傭兵に斡旋するというサービスまで。
このマシーン野郎個人の裁量を超えた、明らかに組織としての動きが見て取れる。
メディアが知ったら、糞尿を垂れ流して喜ぶこと請け合いだ。
「さて、仕事の話をさせてもらおう。まさか、ここで降りるとは言わないだろうな」
マシーン野郎が、わかっている顔で言いやがる。
舌打ちを返してやるのが、俺にできる精一杯の意趣返しだった。
話を聞いた以上、俺はもう降りられない。
それこそ間違いなく、どこぞの傭兵の死亡記事がニュースサイトに載ることになるだろう。
「よろしい。お前には、幻想型大規模オンラインゲーム、正式名称エーテル・テイル・オンラインにプレイヤーとして参加してもらう」
「具体的な目標および目的は何だ」
言葉を切ったマシーン野郎に、即座に俺は聞き返す。
ゲームは素人だ。あれをやれ、これをやれ、と言われてすぐに出来るとも限らない。
プレイヤーになる前に、目的に沿った情報収集から始めることになるだろう。
「特に何も」
「――――」
絶句する、とは今の状態のようなことを言うのだろう。
そんな馬鹿な。
その時、ふと思い出す。
かつての戦友、名をアルバリー。
とある戦争の開戦前夜、二人で飲んでいた時、奴と交わした会話だ。
奴は、明日自分は死ぬだろうと語っていた。予測AIによれば、九十八パーセントの確率で戦死する、と。
そんな奴は今、故郷で農耕プラントの経営者をやっている。
戦地から生きて帰った時の奴の顔を、思い出した。
今の俺はきっと、あの時のアルバリーのような顔をしているだろう。
現実逃避が終わる。
「何もって……何もないってことか。そんな仕事が、あるはずが」
「ああ、そういえば、一つあったな」
俺の言葉を遮って、マシーン野郎が思い出したように言う。
……あったのかよ。
依頼する仕事の内容を忘れるなんて、正直どうかしているとしか思えないが。
とっとと話せ。目で促すと、奴は口を開く。
「いやなに、大したことじゃない。依頼先から、今回の一件でゲームにログインする者がいたらぜひ伝えて欲しいという言葉だ」
そう口にする奴は、今日もっとも嫌らしく見える笑みを浮かべて、続けた。
「心行くまでエーテル・テイル・オンラインを楽しんでくれ、だそうだ」