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【冤罪なし、反省ゼロ。溺愛の罰を召し上がれ】悪役令嬢、ヤンデレ王子に飼われ溶かされ壊される〜今さら謝られても、もう一生離さないよ〜  作者: 重井 愛理
三章

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30話:疾駆の時

 ——翌日の夕食。


 銀のフォークが、私の唇に差し出された。

 載せられているのは、赤ワインで煮込まれた猪肉のロース。湯気と共に立ち上る芳醇な香りは、アルコールの角が取れ、熟成されたブドウが凝縮された酸味を放っていた。それが香辛料と混ざり合い、理性の防壁を突き崩す。


 私の口は従順に開かれた。舌の上に広がる繊維がほどけるほどの柔らかさと、ベリーのソースの味わいを咀嚼して、嚥下する。胃の腑に落ちた質量が、彼の愛となって身体の一部になっていくようだった。

 ルイスは、私が飲み込んだのを確認すると、清潔なナプキンで口元を丁寧にぬぐい、尋ねた。


「さて、アリエル。約束の褒美について、考えはまとまったかい?」


「昨夜お願いした通りにございます」


「その件は調整を進めている。僕は君自身が欲するものを訊いているんだ」


 私は喉の渇きを悟られぬよう静かに紡ぎ出した。


「では……乗馬を。風を、自然を肌で感じたいのです」


 これは本音の欠片だ。

 かつて、レオンと並走し、草原を駆けた記憶。風が頬を打ち、草いきれが肺を満たす、あの圧倒的な”自由”の感覚。この閉塞した絢爛な檻の中で、私はそれを渇望していた。淀みない外気を、肺いっぱいに吸い込みたかった。



 ルイスは数秒の沈黙の後、カトラリーをテーブルに置き私の目を見つめた。黄金の瞳は穏やかで、同時に、私の脳裏の光景を見透かすように鋭い。


「風を感じたい……か。いいだろう」


 私を抱き直して、耳元で低く囁く。


「ただし、君の運命の手綱を握るのは僕だけだ」


 彼は、思い出を自分の色で塗りつぶす新たな悦びを見出したような歪んだ笑みを浮かべていた。




 ——半刻後、夜。


 王宮の裏門には、白銀の駿馬が一頭、鼻息を白く弾ませて待機していた。


 ルイスは、防寒のために厚手の毛皮のマントで私を包み込むと、軽々と抱き上げたまま、鐙に足をかけた。そして、鞍の前方に私を横向きに座らせると、後ろから覆い被さるようにして手綱を握った。私の背中は彼の堅牢な胸板に密着し、両脇からは彼の腕が伸びている。

 逃げ場などどこにもない、馬上の幽閉だ。 


 祖国では、自らの足で鐙を踏み、手綱を操っていた。隣を見れば、レオンが無邪気に笑っていた。だが今は、ピンヒールという枷を嵌められ、不安定に揺れる鞍の上で踏ん張ることもできない。許されたのは、ルイスという支柱を信じて寄りかかるのみ。

 それでも、いつもより高い視点と、力強い馬のたてがみに胸が高鳴った。


「怖くはないかい?」


 頭上から降ってくる吐息が髪を撫でる。


「あなたが後ろにいらっしゃるのに、恐怖など感じる隙もございませんわ」


 強がりを言うと、彼は愉しげに喉を震わせた。



 ルイスが短く合図を送ると、白馬は弾かれたように走り出した。急激な加速の反動で、身体が後ろへと持っていかれる。私は反射的に、ルイスの上着の裾を強く握りしめた。


 北国の夜風が吹き付ける。寒いを通り越して、皮膚が痛い。澄んだ空気が肺を満たす。前方の頬を切り裂く風と、背中から伝わる彼の過剰なまでの体温。その温度差が、私の輪郭を鮮明にする。

 これこそが私が求めていた”自由”の感覚であり、生の実感だった。



 馬は王宮の敷地を抜け、裏山へと続く森の道を進んでいく。

 月明かりだけが頼りの暗い道でもルイスの手綱捌きは正確無比だった。馬の脚が刻むリズムに合わせて、身体が揺さぶられる。制御された振動と強固な背後の支柱には、落馬の不安など微塵もない。私はただ、純粋な疾走の高揚感で知らず知らずのうちに、彼に身を委ねていた。



 やがて、木々が開け、視界が青白く染まった。

 目の前に広がっていたのは、巨大な氷の回廊だった。夏場は激流が走る渓谷が、厳冬の寒気によって完全に凍結し、天然の参道を作り出しているのだ。


「ここは……」


「冬にしか現れない洞窟だ。いつか君に見せたいと思っていた」


 ルイスは馬を止めると、先に降り、私を抱き下ろした。


「ここからは歩いて行こうか」


 ルイスは、私を抱えたまま、氷の上を滑るように歩き出した。

 足元の氷は分厚く、底知れぬ闇を閉じ込めている。一歩間違えれば水底へ引きずり込まれてしまいそうだ。しかし、彼の足取りには迷いがない。


 停止した滝の横を抜け、奥へと進むにつれて、両脇の氷壁が高くなる。気づけば、頭上には数多の氷柱が剣のように垂れ下がっていた。



 たどり着いたのは、月光さえ届かない洞窟の最深部。彼は、私の背中をぽんぽんと優しく叩いた。


「アリエル、僕に掴まって」


 促されるまま、彼の首筋に腕を回してしがみつく。その時、彼が右手を掲げた。


 ボウッ。


 小さな音がして、彼の手のひらに紅蓮の炎が灯った。その光が壁に達した瞬間、世界は彩りで溢れた。透明な氷が炎の光を乱反射し、琥珀色、茜色、更に空と同じ蒼色が融け合う。無機質な洞窟が、まるでオーロラの中心にいるかのような、幻想的な宮殿へと姿を変えた。


「……ぁ…………」


 あまりの美しさに、私は声にならない呼気を漏らした。

 破壊のための力ではなく、希望を照らすための灯り。これが彼が見ている、いや、彼が見せたかった世界なのだろうか。

 

「綺麗だ……」


 ルイスが呟いた。彼の顔に視線だけを向ける。その瞳に映っていたのは、氷の回廊ではなく私の横顔だった。


 不意に私を抱く手の力が強くなり、彼の顔のそばに引き寄せられる。私たちは白い息が交差する程の距離で、同じ景色に時間を忘れて見惚れていた。



 しばらくして、彼はゆっくりと炎を消すと、まだ高熱の残る掌で私の頬を包んだ。


「寒かったろう……? 温まるまで、こうしていよう」


 彼は勘違いをしている。確かに馬上で風に晒された表皮は冷え切っている。だけど、私の芯は——。


 感覚のなかった頬に血が通い、ジンジンとした痺れが戻ってくる。その熱は、顔から首を伝い、心臓へと流れ込んだ。

 激しさを増す鼓動が、私がいかに彼なしでは生きられない存在にさせられているかを、残酷なまでに突きつけていた。

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