28話:追及の時
『私は、あなたのものにはなりません。』
私は昨日、ルイスに高らかに宣言した、とは言っても、直ぐに実行出来るわけではない。
頭の中で一日の過ごし方を整理する。
朝起きて、彼の手でドレスに着替えさせられる。
彼に横抱きにされて、ダイニングホールへ行く。
彼の膝の上で朝食を取り、夜まで執務室で彼の公務に陪席する。
昼食も夕食も彼の膝の上で取る。
マヤの介助で入浴を終えると、ベッドまで彼に運ばれる。
彼の入念な足のマッサージを受けて眠りにつく。
何回『彼』と繰り返しただろう。
逃げ出す隙は、限られている。少なくともマヤの不在を突くのは最低条件だ。
——夕方。
私は、キャンバスの端に触れて絵の具が固まったことを確認すると、彼を見つめた。すると、彼は書類から顔を上げ、木漏れ日のように微笑んだ。
「ルイス様。長らくお待たせしましたが、あなたの絵が完成しました。」
彼は時計を一瞥した。
「ありがとう。宝石が筆致に置き去りにした欠片を、僕が拾い集めるには、時間が足りないようだ。夕食の後に見せてもらおうか。」
夕食後、私は彼に抱き上げられて、いつか来たピアノのある防音室を訪れた。
部屋の中央付近には、イーゼルに立て掛けられた額縁。かぶせられている白い布は、おそらくマヤの計らいだろう。
彼は、私をソファに下ろすと、イーゼルに向かった。言葉もなく布を外し、キャンバスへと視線を向ける。その瞳の奥には、落ち着き払った態度とは裏腹の、期待の光が揺らめいていた。わずかに前傾姿勢になり、呼吸すら忘れたかのように覗き込む。
それから、普段と変わらぬ低い声で言った。
「……これは誰の絵だろうか?」
「ご要望の通り、あなたを描かせていただきました。」
瞬間、彼は距離を詰め、綿も潰せないような力で私の肩を掴んだ。
重力に抗う暇もなく、ソファの柔らかなクッションに倒されていた。体が大きく沈み込み、ドレスの布地が微かに擦れる音を立てる。
彼は私を逃がさないように、わずかに体躯の重みを預けた。その体温と圧力が、私の全身をソファに抑えつける。
顔の隣に突き立てられた逞しい腕。上から見下ろす黄金の瞳。
——それは、私の絵とは確かに決定的に違う。キャンバスに描かれた、華奢な体躯と瞳を覆う長い前髪の少年とは。
「君の目には、今、僕があんな風に映っているのかい?」」
彼の呼気が、私の皮膚の上を滑り、残像を残す。筋肉で隆起した胸板と、慣れた温度に押し潰されてしまいそうだ。だけど、この行為が激情によるものではなく、真意を引き出すための支配だと私は知っている。
極限の近さで、動揺を悟らせないように、喉の奥から言葉を紡いだ。
「ええ。別人の絵だと思われるならば、お捨てになってください。」
沈黙の後、彼は張り詰めた空気を静かに吐き出すと、身体を起こした。
「……絵は後で処分しておく。だが、褒美は取らせよう。何を望む?」
どうあっても過去に踏み込ませてはくれないらしい。
言葉を失った私は、彼に再び抱き上げられて防音室を後にした。
——王宮の浴室。
「私は、あの頃のルイス様だって……。」
湯船の熱で、ふわりと緩んだ口元。胸の奥に仕舞い込んでいた言葉が、水の底から泡が浮かぶように、ふいに洩れた。
マヤは、私の髪を洗う手を止めて問いかけた。
「何かおっしゃいましたか?」
首をもたげて、彼女を見上げた。心配そうに様子を窺う姿は、やはりソフィーとの繋がりを感じさせる。
私は、咄嗟に思いついた話題を振ることにした。
「マヤはよく里帰りをしているの?」
「はい。孤児院の皆は家族のようなものですから。」
「それならソフィーとだけ距離を置かなくたって。少しくらいは——」
彼女が言葉を遮るように、手を動かし始める。
「……帰るときは、念の為、馬車は乗り継ぎますし、身体が鈍らないように一部は走ってもいます。」
私はこれ以上の追求は無駄だと悟り、話題を変えることにした。
「ねえ、次はいつ孤児院に帰るの?」
「まだ懲りていないのですか?……次は今月の末です。」
彼女は呆れた声であっさりと答えた。
私の策は、警戒にも値しないということだろうか。舐められているのは癪に障るが、油断されていると考えれば都合がいい。
次の脱獄計画の実行日は決まった。
しかし、私の脳裏には、作戦と共にソフィーの寂しそうな顔が浮かんでいた。
入浴後、私はベッドの上でルイスに足を按摩されていた。詳細な地図の範囲は、既に膝下まで広がっている。
私は抗いがたい安堵に満たされる前に、絵画の褒美を求めた。
「ルイス様、お願いがございます。」
「ああ、わかった。叶えよう。」
彼は構わず私のふくらはぎに手を伸ばす。
「ま、まだ何もお話していません。」
「僕が君の頼みを断る事はありえない。よって問題ない。」
彼は、肖像画の内容を咎めるように、剥き出しにしたふくらはぎを、優しい手つきで揉みほぐす。
下肢から奥に向かって甘い疼きが広がり始める。今日は、その疼きが耳からも広がっていた。
「聞いてください!!」
私は、声を張り上げてから要求を伝えた。
「——……」
彼は私の足に触れたまま、話を聴いていた。彼の足への執着心は日増しに強まっている気がする。
「随分と急な話だな。」
「ですが、叶えてくださるのですよね?」
「当然だ。」
彼の視線が顔から足へと移る。今夜の献身はまだ始まったばかりだ。
私は達成感を胸に、安堵を受け入れた。




